カナリヤ・カラス | ナノ


「――じろ…………目白……しっかりしてよ、目白…………姉さん!!」


遥か彼方から響く轟音と、聞き慣れた声に揺り起こされ、目白はゆっくりと目蓋を開けた。

深い意識の海に沈んでいた体が引き上げられたような感覚と共に、鈍い痛みが目覚めを告げる。それが全身にゆっくりと駆け巡って行くのを感じながら、目白は、煤だらけの頬に涙の轍を作った弟の顔を確めるように眺めた。


「目白!!」

「め、ぐろ…………」


泣けど叫べど眼を覚まさずにいた自分を、尚も必死で起こそうとしていたのだろう。
ようやく姉が意識を取り戻したことに感極まり、飛び込むようにして抱き付いてきた弟の涙声を聞きながら、目白は鈍痛に軋る頭で、現状把握に努めた。


「私……どうして…………確か、皆と一緒にバンガイと戦って……それで…………」


彼を一人で戦わせまいと、仲間達と共に立ち向かい、ついにあの”怪物”を追い詰めたかと思った次の瞬間。四方八方から繰り出させた全ての攻撃が弾き飛ばされ、目の前には、黒く変色した皮膚の鎧に覆われたバンガイの姿があって。その悍ましい形貌に慄いたのも束の間。硬質化した皮膚の欠片が四散して、仲間達の体が紙屑のように吹き飛ばされて。

一体何が起きているのかと声さえ出せずに竦み上がった刹那。咆哮を上げながら飛び出していった彼が、バンガイに斬りかかって、その刃を軽々と受け止められて、それから――。


「目白!!」


意識が途切れる寸前、最後に眼にした光景が脳裏で瞬くと同時に、目白は弾かれたように体を起こしたが、その体はすぐさま前につんのめり、あわや転倒しかけたところを目黒に抱き止められた。

ただ起き上がっただけで、全身の骨が軋み、あらゆる臓器が悲鳴を上げている。それ程のダメージを受けて尚、走り出そうなど愚行でしかないが、目白はそんなものに構ってはいられなかった。


取り上げられたブレードを腹に突き立てられ、そのまま地面に叩き付けられた夜咫を助けようとして、自分は、しくじってしまった。

硬化した皮膚の前で鈍らと化した鎌を振るうも、蚊を叩き落すように弾かれ、伸びた鎖を掴まれ、壁に叩き付けられ、不様に横たわる体を踏み潰されそうになった瞬間。長元坊が渾身の力でハンマーを振り翳し、バンガイの体を僅かによろめかせたかと思えば、ハンマーの柄を掴まれ、軽々と投げ飛ばされた。その隙に、バンガイの背後から飛び掛かった目黒が、彼の眼に鎌を突き立てるも、叩き伏せられた。

そうして、もう誰一人として動けなくなった状況で、バンガイに向かっていったのは夜咫だった。

腹にブレードが刺さったまま、彼はバンガイに喰らい付き――最後はバンガイの剛腕に堪え兼ねた床諸共、下の階へと落ちて行った。


今になって、何故其処で気を失うのだと自分を糾弾したくなる。例え四肢が千切れても、彼を追わなければならなかったのに。

どうして、よりによってあそこで倒れてしまったのだと血が滲むほど歯を食い縛りながら、這いつくばってでも前へ進まんともがく。


「動かないで!!その傷じゃ……行ったところでどうにも」

「だからって……此処で、倒れてる訳には、いかないじゃない……!」


あれからどれだけ時間が経ったのか分からないが、未だ下の階からは地響きが轟いている。
ということは、今も夜咫は、バンガイと戦っているのだろう。

目も当てられない程に痛め付けられた体で。圧倒的な力の差を突きつけられて尚、彼が戦っているというのに、どうして自分がこんなところで寝転がっていられるのだと、目白は今にも倒壊しそうな背骨を叱咤するように、足を進めようとする。


「私は……夜咫を一人にしないって……そう、決めたの……!あんな化け物が相手で……夜咫が苦戦してるなら、尚更……!!」

「やめてよ、目白!!それ以上動いたら傷口が!!」


とてもじゃないが、今の目白はまともに戦える状態ではない。

落下した先で瓦礫に穿たれた腹部からは、かなりの量の血が流れていたし、壁に打ち付けられた衝撃で、骨を何本かやられている。まともに歩くことさえ侭ならない様子だし、そんなボロボロの体でバンガイに向かったところで、命を落とすだけだ。

夜咫を一人にしてはならないという気持ちは痛いほど分かるが、それでも、みすみす姉を死なせてなるものかと、目黒が懸命に目白の歩みを妨げた、その時。


「……目白の、言う通りだど」


聞き馴染みのある声に、目白と目黒は同じように眼を見開き、揃って其方へ顔を向けた。

流石は双子だと、場違いな称賛を口にしたくなるような光景に、声の主は肋が軋むのも構わず、肩を震わせて笑いながら、瓦礫の山から起き上がる。


「……長元坊」

「おで達じゃ、あいつに勝てない……だからこうして、皆してやられちまった……。でも、それが戦わなくていい理由には、ならないど……」


ハンマーごと投げ飛ばされ、壁が破砕するほどの勢いで叩き付けられた彼もまた、満身創痍だ。

壁にぶつかった際、負傷したらしい。額からは血が流れ、片目は殆ど開いていない。腕も力が入らないのか、いつも軽々と担いでいたハンマーは引き摺られ、煩わしそうに散在する瓦礫を押し退けている。
歩き方も不自然だと思って注視してみれば、片足が潰れていた。恐らく、共に投げ飛ばされたハンマーが足の上に落ちてしまったのだろう。
骨も数本折れている。一歩前に踏み出すだけで、地獄のような痛みに襲われる。それでも、長元坊は立ち止まらなかった。

たかが、全身がバラバラになってしまいそうなくらいだ。彼を失ってしまうかもしれないことに比べたら、これっぽっちの痛みなど、屁でもない。バンガイと戦うことだって、怖くない。本当に恐ろしいことが何か、長元坊は知っている。


彼は、生まれながらに体が大きかった。否、母親の胎内にいた頃から、彼の体は異常なまでに大きかった。

長元坊が生まれたのは、百年戦争の爪痕が深く残る地区だった。其処では、環境汚染の影響で奇病を患う者が多く、長元坊もまた、体が過度に成長を続ける病を患っていたのだ。


母親の腹を開いて取り出され、乳児の内に五歳児ほどの大きさにまで成長し、物心つく頃には同い年の子供達の倍以上の背丈にまで育った彼は、凡そ人間として扱われていなかった。

人々は彼に奇異の眼差しを向け、母親も、自分は化け物を産み落としてしまったのだと、息子である長元坊を悍ましく、そして、疎ましく思った。

ただ、人よりも大きくなってしまう。それだけの理由で罵声を浴び、石を投げられ、家族からも見放された。そんな日々から自分を救い出してくれたのは、夜咫だった。


夜咫は、何処にも居場所が無く、ゴミ溜めの中に埋もれるようにして座り込んでいた自分に手を差し出し、引っ張り上げてくれた。誰もが忌避したこの体を、大きくて羨ましいと言ってくれた。きっとお前は、誰よりも逞しく、頼もしくなるに違いないと励ましてくれた。

それが嬉しくて嬉しくて、わぁわぁと声を上げて泣いた時からずっと、長元坊は決めていた。

この大きな体は、彼の為に使おう。誰よりも強く、誰よりも優しく、故に、誰よりも傷付いてしまう彼の為に。豆粒程の小さな小さな一欠片になるまで戦い続けよう、と。


そんな長元坊にとって、本当に恐ろしいことはただ一つ。夜咫・クロフォードという”英雄”が、いなくなってしまうこと。それだけなのだ。


「引っ掻き傷一つでもいい……ちょっと転ばせてやるだけでもいい……それが夜咫の兄ぃを助けるかもしれないなら、おで達も、命を懸けるんだど!!」


あの”怪物”を相手に、夜咫が勝利する可能性をほんの僅かでも上げることが出来るなら、命など惜しくはない。
革命は眼と鼻の先にある。彼の理想の御旗が登るまで、あと少し。その礎になれるなら、死んでも本望だ。

だから、止めてくれるなという顔をして爬行する長元坊に続き、目白も、今にも倒れそうな体を必死で前に進めていく。

無駄死にで終わっても構わない。夜咫の為に戦うことも出来ずに生き残ってしまうより、遥かにマシだと。そう物語る背中を蹴り倒してでも、二人を止めてやりたい衝動を握り締め、目黒は声を荒げた。


「あーーー、もう!!どいつもこいつも!!」


呆れ返ったようにそう叫びながら、ふらつく目白に肩を貸し、長元坊の背中を鼓舞するように叩いたのは、目黒の中にも彼らと同じ想いがあったからだ。

夜咫は、目白の想いに気付けない程度に鈍く、誰よりも生き延びなければならないのに無茶ばかりして、変なこだわりに捕らわれがちで、抜けたところが多い。
英雄視されたり、鉄亰のヤタガラスと恐れられているが、彼は存外、ただの人間だ。だから、助けてやりたいと思うのだ。

自分達の手など及ばないところに行ってしまったと分かっていても。友達の力になりたいと思うのは、当たり前のことじゃないかと吼え立てる心に、目黒は押し負けたのだ。


こうして、夜咫とバンガイが落ちて行った階層目指し、三人が足並みを揃えた、その瞬間。


「アアアアアアアアアアア!!」


甲高い咆哮と共に飛び込んできたそれに、一同は度肝を抜かれた。


「…………な」

「あ、あれは……」

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