カナリヤ・カラス | ナノ


落ちる巨影。それが、瓦礫の山諸共、彼を踏み潰すのを見ながら、一同は魂を抜かれたように立ち尽くしていた。

これが悪い夢であったなら、もうそれ以上何もいらない。そう心から想える程の絶望が、其処にあった。


「流石に二体同時は俺でもキツいか……いや、この手応えなら、案外イケるかもしれねぇな。なぁ、ヤタガラス」


最早、満身創痍という言葉さえ生温いと言える程に痛め付けられた夜咫。それをゴミのように踏み躙りながら嗤う、人の形をした黒い”怪物”。

誰もが――彼が何物であるかを知る鶉井でさえも、愕然とした。あれは、何だ。あんなものがいるなんて、聞いていない、と。

一同が、黒い鉱石のように変質した皮膚の鎧を纏う大男の姿に慄き、本能的に半歩後退りした、その時。隆起した皮膚の隙間から覗く赤い双眸が、竦み上がった彼を見据えた。


「お?鶉井じゃねぇか。なんだってお前、こいつらと」

「バ、バンガイ殿……!!」


聞き慣れたその声に、ようやく平静を取り戻した鶉井は、安堵の息を漏らした。

あのような異形の姿容は見た事がないが、それでも、彼は紛うことなき、大亰自治国軍が所有する古代兵器・バンガイだ。

味方として、こと戦場に於いて、これ以上頼れる存在もないだろう。ゆくりなく彼との邂逅を果たせたことを、鶉井は天に感謝した。


これでようやく、いつ戦闘に巻き込まれて死ぬかも分からぬ状況から解放される。この際、捕虜にされたことも、その姿を見られた恥辱も受けいれよう。

戦場では、生き残った者こそが勝者。後でどんなに惨めな思いをしようが、知ったことではない。
死人に口無し。名誉の死なんてものを遂げた連中の言葉は聞こえないし、ああだこうだと言って来る輩も、同じようにしてやればいい。


だから、恥じ入ることもせず、助けてくれと。そう口にしようとした刹那。

突如、視界が暗転する。遅れて、ぐしゃりと何かが押し潰される音がして、鶉井は首を傾げようとしたところで、気が付いた。


既に首は傾いていた。骨がへし折れていたので、頭の重みで自然とそうなってしまうのだ。


何故、こんなことになっているのか。それを理解出来なかったのは、当の鶉井ただ一人で。ギンペーも、星硝子も、孔雀も、バンガイが拳から弾き飛ばした皮膚の塊を喰らい、鶉井の頭部が大破したのを見て、震慴した。


「ったく。どいつもこいつも、敵兵に屈しやがってよ。それでも誇り高き自治国軍兵かってなぁ」


彼にとってそれは、小石を放るのと変わらないのだろう。そんな気軽さで仲間である鶉井を屠ったことも然ることながら、力の抜けた孔雀の腕からずり落ちた鶉井の死体を見て愉しげに笑うバンガイに、一同は畏怖した。

バンガイの容貌も性状も、人の領域を踏み越えている。あれはまさに、化け物としか言い様がないだろうと、星硝子は瓦礫の中に埋もれた夜咫へと眼を遣った。


一対一であれば勝てる見込みがあると言っておきながら、何て様だと吐き捨てられる訳がなかった。

こんなものと対峙しては、誰だってそうなるに決まっている。例え、同じ兵器であったとしても、だ。彼と同じく、生きた兵器である自分が、あれには勝てないと肌で感じているのだから、間違いない。


それでも、二対一であるなら或いはと考えているのだろう。

銃把を握る手に力を込める星硝子を見つめながら、孔雀は彼女の意識の内側まで食い込むような声で問い掛けた。


「星硝子。片手が空いたところで、もう一つ、荷物を手放しても構わないか」


星硝子の思う二対一の二とは、彼女自身と、夜咫のことだろう。

彼は依然虫の息だが、逆に言えば、あれだけ痛め付けられていながら、未だ生きているのだ。闘志が尽きていないなら、死ぬまでバンガイに喰らい付いてみせるだろう。

夜咫を勘定に入れるのは、当然のことだ。だが、彼だけを戦力として加算するのは如何なものかと、孔雀は両の腕を使って、槍を構える。


あの化け物相手に、自分が何処までやれるのかは分からないが、いないよりはマシだと言わせてみせよう。

それが彼女の”右腕”として矜持であり、責務であろうと、この状況で笑ってみせた孔雀に、星硝子は強張っていた顔を僅かに緩めた。


「…………そうね。腕の一本や二本で、どうこう出来そうな相手じゃないものね、アレ」


正直、バンガイを相手取るのに、夜咫と二人では手が足りないと感じていた。

されど、兵器同士の戦いに人間である孔雀を巻き込んではならないと、星硝子は不安を噛み潰していたのだが、迷いは彼が断ち切ってくれた。


――出来た”右腕”だ。銃を握りながら震えている、この腕より余程。


それで、いつもの調子を取り戻した星硝子は、未だ背後で佇んでいるギンペーに、優しくも勇ましい声を掛けた。

彼の戦場は此処ではない。だから、これでもかとタフな笑顔で送り出してやるのだと口角を上げて、星硝子は銃口をバンガイへと向ける。


「ギンペーくん。悪いけど、見送りは此処まで。……アイツの足止めはしてあげるから、後は一人で頑張って」

「星硝子さん……」


心配にもなるだろうが、それでも構ってくれるなとウインクすると、ギンペーは情けないほど蒼白くなった拳を握り締め、再び走り出した。

感謝の言葉を告げる余裕は無かった。ただ、後でもう一度会うことが出来たなら、その時は、嫌というほど伝えよう。ありがとうございました、と。


みるみる小さくなっていくその背中を一瞥し、眼を細めると、星硝子はこれで準備は整ったと深く息を吸い込んだ。そして、その一息を推進力にするかのように、弾丸めいたスピードで駆け出し、バンガイの上空へと跳躍した。

その影をバンガイの眼が捕えるより早く、二丁拳銃から銃弾の雨が降る。それが小気味良い音を出しながら、硬質化した皮膚に弾かれるや、今度は下から、潜り込むようにして懐へ詰め寄っていた孔雀の槍が、バンガイの頭部を穿たんと突き上げられる。

あらゆるものを貫いてきた槍の、鋭い一撃。それさえ、バンガイの首に食い止められるが、孔雀は一層強く踏み込んで、渾身の力を込めて腕を振り上げる。


「っはああああああああああ!!!!」


貫くことは出来ずとも、力任せに押し通せば、相手の重心を崩すことは可能だ。

勢いに押され、バンガイの体が僅かに仰け反る。其処ですかさず、背後に着地した星硝子は跳躍し、彼の首に脚を回すと、後方へ身を捩じり、その巨体を頭から地面に叩き付けた。


銃弾の効果が薄いなら、肉迫するのみ。女だと侮ってきた輩を悉く捻じ伏せてきた金剛力でバンガイを沈めた星硝子は、血を吐き出す咥内へ数発、弾丸を喰らわせた。

硬化しているのは外皮のみ。それが分かっただけで、随分気が軽くなったと息を吐いたのも束の間。
伸ばされたバンガイの腕が、上から強引に突き立てられたブレードによって押し止められたところで、その場から距離を置くことに成功した星硝子は、追撃から逃れんと煙の如く身を翻した彼に、にったりと微笑んだ。


「よかった。まだ行けるみたいね、夜咫くん」

「…………当然だ」


瓦礫に埋もれながら、傷を癒していたのか。腹に刺さっていたブレードを両手に、赤い蒸気を巻き上げる夜咫は、幾らかまともな状態で星硝子に応えてくれた。


彼がこれだけ頑丈であるなら、自分もそれなりに踏ん張ることが出来るだろう。

己の限界値は未だ分からないが、取り敢えず、死にかけるくらいならどうにかなるらしい。ならば、多少の無茶はしてくれようと、星硝子は腹を括った。


「OK。矢も三本あれば丈夫になるし、三人寄れば何とやらって言葉もあるし……これで、どうにかなりそうね」


相手も同じ――いや、それ以上の条件というのは手厳しいが、其処は三人でどうにか埋めていくしかあるまい。

星硝子は、鶉井から聞き出したバンガイの情報を頭の奥で捲りながら、この化け物を如何にして攻略していこうかと思案した。


その思考回路を焼き切ったのは、咥内の再生を終え、瓦礫の中から体を起こしたバンガイの声であった。


「bV、か」


聞き馴染みなど無いのに、嫌に浸透していくその呼称に、星硝子は眼を見開いた。


それが何を意味しているのか、彼女はとうに理解している。


――バイオ・フォーセスbV。


百年戦争時代に造られた、黒い翼の”怪物”達。その七號機が、星硝子と名乗ってきた人の紛い物の正体なのだと、バンガイは嗤う。

彼もまた、同じ人を模した兵器でありながら。それを知らずに今日まで生きてきた彼女を嘲りつつ、傍らの夜咫を見遣り、バンガイは、此処まで作為めいた偶然もあるものなのかと皮肉に口を歪めた。


「ハッ、前後で揃ってるなんて運命的だな。となると、もしかするとアイツはbUか?bXは既に確認されているからなぁ」


bVとbW。奇しくも連なるナンバーのブラックフェザーが此処に集まっている。

これが、天に御座す神の所業でないのなら、因果というものは星の引力にも匹敵するとバンガイが咥内に残っていた弾を吐き捨てた直後。閉じかけた口の中に弾丸が撃ち込まれた。


銃弾は硬化した首を貫通出来ず、喉の奥で押し留まる。其処を狙って更に数発。寸分の狂いもなく命中した弾が弾を押し出し、バンガイの皮膚を突き破る。


「……知ったこっちゃないわよ。そんなこと」


煙を上げる、弾丸一つ分の風穴を眺めながら、星硝子は呟く。彼女らしくもない、悲憤に満ちた声で。

しかし、その顔と表情には、揺るぎ無い強さがあって。孔雀は、やはり彼女は星硝子だと、眩いものを見るように眼を細めた。


「bネんちゃらなんて前時代的な名前の奴なんか、此処にはアンタ以外いない。私は星硝子、この子は夜咫。シックスだのナインだの、そういうのはベッドの上で言ってなさい」


呆れる程に自由奔放、傍若無人、荒唐無稽。故に、何処までも誰よりも人間臭い。

例えその身が、人ならざるものであろうとも、星硝子が星硝子である以上、それは覆らない。だから、bVなんて名称に縛られてやらない。そう胸を張って宣告した星硝子であったが――。


「…………何が可笑しいのよ」

「ああ、いや。悪いなぁ。勘違いしてるみてぇだから、ちぃと教えてやらねぇとって思ってよ」


くつくつと嗤うバンガイが嘲っているのは、彼女の主張ではなかった。

星硝子の言葉を可笑しく思ったのは確かだ。だが、彼が気を取られたのは、彼女の思い違いにあった。


「俺の今の名前は、バンガイ。これは雁金が、俺が眠っていたカプセルに書かれていた文字から取った呼称でな。正式名称は、バイオフォーセス”番号・外”」


彼女は言った。「bネんちゃらなんて前時代的な名前の奴なんか、此処にはアンタ以外いない」と。

その考えが、間違っているのだ。


同じ名を冠する兵器であっても、彼は数字を持たない。規格外が故にナンバリングされなかった特異な個体。枠組みの異なる存在。

故に、番号・外と名付けられた自分に、どうしてお前らが勝つことが出来るのかと、バンガイは失意の底へと一同を押し沈める。


「ブラックフェザー十機には該当しない、プロトタイプ。バイオ・フォーセスの”オリジナル”……それが俺だ」

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