カナリヤ・カラス | ナノ
少年は走る。形振り構わず、ひた走る。例え自分が辿り着いたところで、どうにもならないと知りながら。
それでも行かなければならないのだと、心臓の奥深くにある、見えない器官に急かされて、疾駆する。
立ち尽くしていては、取り零す。大切な何かを、永久に失うことになる。
それを回避する術はないかもしれない。だとしても、抗わない内から諦めることは出来ないのだと、少年は無我夢中で走り続ける。
「ちょっとギンペーくん!あんまスピード出すと、危ないわよ!」
その危ういこと危ういこと、と肝を冷やしつつ、星硝子は滅茶苦茶に走るギンペーの行く先に構える自治国兵を狙撃した。
ギンペーの走り方は、我武者羅の極みだ。とにかく前に進むことしか考えていない。いち早く仲間の元に向かうことだけしか頭になく、自分の身の危険さえ勘定出来ていない始末。
あの調子では、自治国兵に体当たりしても、何かに蹴躓いて派手に転倒しても、死ぬか、足が動かなくなるか、仲間と合流を果たすまで止まらないだろう。
「……駄目だコリャ。全然聞こえてないわね」
気持ちは分からないでもないが、あれでは目的を果たす前に玉砕しかねない。放っておいては自滅するだろう。
折角此処まで連れて来てやったのに、そう簡単に死なれては困る。後であの口喧しい保護者に難癖付けられては堪らないしと、星硝子は孔雀の肩を叩く。
「孔雀、あの子の援護お願い。私は先に、前の掃除してくるわ」
「……おい、ただでさえ荷物を抱えてるんだぞ、俺は」
荷物、というのは小脇に抱えた鶉井のことだ。
道案内の為に引っ張って来たのだが、腰が抜けていたので担ぎ上げた方が早いだろうと、孔雀に持たされていたのだ。
この大荷物を手に、此処まで来るのにも苦労させられたというのに、もう一つお荷物を抱えて行けというのかと孔雀は顔を顰めるが、星硝子は華麗なウインクで返す。
「荷物一つにつき腕一つ。なら、もう一個くらい担いでも大丈夫でしょ?」
「……いいだろう。お前の無茶振りには慣れている」
そう言われて食い下がっては男が廃ると、孔雀は鶉井を担ぎ直し、片手に握った槍を回す。
武器を手にしていることを考えれば、腕二つでは足りないが、それがどうした。
普段から喧しい荷物を二人、面倒見て来ているのだ。両の手が塞がるくらい慣れていると、孔雀は笑いながら、星硝子の背後を襲う自治国兵の眉間に槍を突き刺す。
「二つでも三つでも持ってこい。お前の”右腕”として、幾らでも担ぎ上げてやる」
「……貴方のそういうとこ、私、大好きよ」
頬の真横を掠める槍に恭しくキスをして、星硝子は刺された自治国兵に回し蹴りを決める。
その鮮やかさを際立たせる為に、余剰な物は自分に持たせておけばいい。彼女の”右腕”が成すべきは、その身を何処までも軽くしてやることに他ならないのだからと、孔雀は星硝子の背中を押す。
「愛してるわよ、孔雀!後は、よろしく!」
その勢いに乗るようにして、星硝子は風の如く駆け出す。
話している間に、ギンペーは随分先へと進んでくれたが、十分に追い付けるし、追い越せる。
星硝子は迫り来る自治国兵の間をすり抜け、時に踏み台として活用し、跳躍しながらギンペーの背中を追う。
その過程で取り零された連中を始末するのが自分の仕事だと、孔雀は星硝子が置き去りにしていった自治国兵を片付けていく。
律義に一人一人相手にしていては、自分も取り残される。よって、去る者は追わず。逆に此方を追う者・狙う者を始末していく方針で、孔雀は二人のバックアップに徹する。
片腕が塞がっているというのに、孔雀の槍捌きは衰えることなく、適確に兵士達を穿つ。
見事な手腕だ。だが、槍と共に振り回されるも同然の身としては危なっかしくて仕方ないと、依然担がれたままの鶉井は抗議の声を上げる。
「は、離すであります!自分は運搬されずとも――」
「騒ぎに乗じて逃げられては敵わん。それに、勘違いしているようだから言っておこう」
しかし、孔雀は彼の言葉を聞き入れる気など毛頭無かった。
確かに手荷物が自分で歩いてくれるなら、それに越したことはない。しかしそれも、荷物が自分の思うように移動してくれるなら、の話だ。
自由を得た鶉井が、このまま自分達について回るか。それは否だ。この戦乱に紛れ、身を隠し、反撃の機会を狙ってくるに違いない。
それを許してやる程、自分は甘くはないし、馬鹿でもないと孔雀は槍の切っ先を鶉井の喉笛に宛がう。
「お前はナビゲーターではない。捕虜だ。自由に動けると思うなよ」
「ひ……ッ」
少しでも暴れようものなら、手元が滑ってしまうかもしれない。そう脅しをかけると、萎縮したのか。鶉井の体は不思議と軽くなった。
これは持ち運び易くていいと、孔雀は改めて、星硝子が散らかした道の掃除へと勤しむ。
既に夜咫達が突入しているのもあってか、敵の数はそう多くない。これなら存外早く、雛鳴子達と合流出来るだろう。
尤も、当のギンペーには敵の数云々など眼に入っていないだろうが、それでいい。
今更臆病風に吹かれ、また背中に引っ付かれては面倒だ。自分で走ってくれる内に、走らせておこう。その為の道が自分達が作ってやると、星硝子は前方を、孔雀は後方を整備していく。
「さぁ、どいたどいたぁ!!ギンペーちゃんの、お通りよ!!」
「風穴か道か、開けたい方を選べ!!死にたくないなら後者を推奨するぞ!!」
先行する星硝子が切り開いた道を無我夢中で走りながら、ギンペーは思う。
自分がゴミ町に来てから今日まで、金成屋は幾つもの危機に見舞われてきた。
掃除屋との衝突。純貴族による襲撃。砂漠に巣食う生物兵器や、遺跡を守るロボットとの戦い。楽須弥やラプター社での一件。数えてもきりがない程の窮地を、彼等と共に乗り越えてきた。
何れも、死を覚悟した。何度も何度も、もう駄目だと諦めかけた。それでも、こんなに不安になることは未だかつて一度も無かった。
自分一人になっているからではない。鵜飼と戦っている時でさえ、此処まで恐怖しなかった。
それはきっと、死を感じているのが自分一人だったからだろう。
そう。ギンペーが何より恐れているのは、喪失感だった。
これまで、誰かを失うかもしれないと、こんなにも強く感じたことは無かった。
自分なんかが心配するまでもなく、彼等は強い。どんな敵が向かって来ようと、悉く退けてきた三人の身を案じることはあっても、彼等の死を鮮明に思い描いたことはない。
だが、雛鳴子と鷹彦がカササギの脅威に曝されているせいか。鴉が姿を消してしまったせいか。ギンペーの脳裏には、此処で誰かがいなくなってしまう――そんなイメージがしがみついて離れてくれない。
「雛ちゃん……鷹彦さん……鴉さん……!!」
一人でも欠けてはいけない。金成屋は、四人いなければ駄目なのだ。
自分がいなくなったところで三人は構わないかもしれないが、自分は、あの三人がいないと嫌だ。
だから、走るのだ。何も出来ないかもしれないが、何もしないままに終わるよりはマシだからと、ギンペーは焦燥に駆り立てられるがままに疾走する。
その足が止まったのは、前を走る星硝子が第六感からブレーキを掛けたのとほぼ同時。
そして次の瞬間。轟音が鳴り響くと共に目先の天井が崩壊し、無数の瓦礫が雨霰の如く降り注ぐ様を目の当たりにした一同は、声を失った。
「な――……」
いや。正しくは、道を塞ぐように積み重なる残骸の山――その上に横たわる人物の姿に驚愕した、と言うべきだろう。
全身は血塗れ。腹部には自らの得物たる二本のブレードが突き立てられ、片腕はめちゃくちゃな形に捩じ切られている。
そんな状態でも尚、息をしているその人に、誰もが掛ける言葉を見付けられずにいる中。絶望が、嘲笑を伴って降って来た。
「おっとぉ、此処に来て二体目かぁ」