カナリヤ・カラス | ナノ


蟒蛇の如く撓う管の一閃が、鷹彦の腹を打つ。

検査服の下から伸びる尾のようなそれは、首の後ろから伸びる物より太く、重い。
床を軽く鞭打つだけで、地響きと罅割れを起こす。その重量をモロに受け、勢いよく壁に叩き付けられた鷹彦が喀血したところで理解が追いついた雛鳴子は、振り向き、声を上げた。


「た……鷹彦さん!!」


駆け付けようとして、足が其処で止まった。

もし、攻撃を受けたのが雛鳴子で、此処にいるのが鷹彦だったとしても、彼も同じように立ち止まっただろう。


否。この場に於いて、何者も動くことは出来ない。空間そのものが時を奪われたように制止する程の威圧感。全てが蛇に睨まれた蛙さながらに、竦むのが必定。


「そうか……葦切さんがいないから、今度は貴方が、私をいじめるのね」


行き場を無くした憤懣と怨嗟。それらが抜け落ちた箇所を埋めるように溢れ出る、悲嘆と煩慮。その混沌に赫う双眸を前に、雛鳴子も鷹彦も、飛び出しそうな心臓を呑み込むように息を吸った。

臆した体が、此処で自死した方がマシだと訴えているようだった。

この警鐘に従え。さもなくば、残酷な最期を遂げることになるだろう、と。本能が目の前の脅威を物語る。


「でも、貴方は兵隊さんじゃないから……殺してもしかられない。むしろ、ほめてもらえる。何人か殺しちゃったけど……これで、ゆるしてもらえるね」


少女の形をした兵器は、歪んだ恍惚に眼を細め、笑っている。

与えられる痛みから逃れる唯一の術は、成果を上げること。成果とは、軍の敵を排すること。その数に比例して、得られる免罪符は多くなる。


ならば、殺そう。立ちはだかる悉くを屠り、その血を以て罪を雪ぐことで、誉という名の安寧を得よう。

それはとても簡単なことだと、カササギが翼を広げる。その様を見遣りながら、鉛を纏ったように重い体をどうにか動かして、雛鳴子と鷹彦はカササギへと構える。


「大丈夫ですか、鷹彦さん」

「……骨は折れていない。内臓は分からんが……まだどうにか動ける」


先の一撃で、肋は軋み、鎖骨も息をするだけで喘いでいる。管の尾を受けた腹部も、内側が焼けたように痛む。次にカササギの攻撃を喰らえば、今度こそ駄目になるだろう。

この状態で殺意を剥き出しにしてきたカササギを相手に、何処まで堪えられるか。
計算するだけ絶望が色濃くなるだけだと、鷹彦は小さく頭を振りながら、背筋を伸ばす。


「だが……この状態ではそうは持たせられん。相手は、俺を狙ってくるようだし…………やはり、お前だけでも」


これ以上、増援に望みをかけることは出来ないだろう。

下の階層から響く轟音からするに、夜咫達もバンガイと交戦している。彼等の助力を得ることは望めまい。

他の誰かが此方に向かっているとしても、まずぶち当たるのはあちら側。となれば、此処まで助太刀に来てくれる人間はまずいない。


――此処が、潮時だ。


カササギの狙いが自分に向いている今の内に、雛鳴子を逃がし、ギンペー達と共に撤退するしか、金成屋が生き延びる術はない。

自分が逃げ遂せるタイミングを得るまで持ち堪えるか、最悪、夜咫達の元までカササギを誘導し、混乱に乗じて雲隠れするしかあるまい。

嗚呼、本当に最悪の手だが、そんなこと今日まで散々やってきただろうと自嘲する鷹彦であったが、その淀みは雛鳴子の声によって振り払われた。


「だったら、尚更じゃないですか」


この期に及んで、何処からそんな力強い言葉が出てくるのか。

最早正気の沙汰ではないと鷹彦は眼を見開くが、晴れ渡る空のような瞳は光を失っていない。
寧ろ、未だかつてなく眩く輝いているそれは、其処に無い何かを見通しているかのようで、鷹彦は惑った。


「……少なくとも、彼女には私達二人を即死させることが出来ないということは、今までの戦いで分かりました。なら、まだ粘ることは出来る筈です」

「それは相手にその気が無か――」

「私には、彼女が、相手を見くびって手を抜くような手合いだとは思えません」


既に希望の死に絶えたこの場所で、これ以上往生していても、二人共命を落とすだけ。
そんな分かり切った答えが正解ではないのだと、雛鳴子は知っているようだった。

こうも綺麗に血迷うことなど、出来はしないだろう。かといって、彼女が本気で希望を信じているとも思えない。

奇跡なんてものに頼った傍から奈落の底へ突き落されていくあの町で育った雛鳴子が、今更、蜘蛛の糸に縋り付く訳がないのだ。

であれば、これは確信としか言い様がないのだが、その所感は何処から来るのかと疑る鷹彦に、雛鳴子は依然揺るぎ無い声で答える。


「彼女は紛れもなく生物兵器です。しかし……あの見た目の通り、彼女は生物としても兵器としても未成熟なのではないでしょうか。……何と言うか、彼女の戦い方は非常に素人臭くて……。私達二人で此処まで持たせられたのも、その為だと思いませんか?」

「……確かに、アルキバはカササギとの応戦を極力避けていたようだし、彼女の戦線投下も日が浅いと聞いている。君の言う通り……彼女が殆ど戦闘経験を積んでいない状態というのは、考えられるな」


射程距離や攻撃の多様性でいえばバンガイに遥かに勝る為、彼に匹敵する兵器として警戒されてきたカササギだが、性能面ではなく戦闘面で優劣を付けるのであれば、比べるまでもなく彼女が圧倒的に劣っているだろう。

彼女の行動には非常にムラが多く、無尽蔵に生み出せる武器を扱い切れていない節が見られる。


もしカササギが絶え間なく攻撃を続けていたのなら、此方はすぐに追い詰められていただろうに。

こうして自分達に会話する余地を与え、徒に尾を振り回している辺り、彼女が自らの性能を持て余しているのが見て取れる。


アルキバが逃げに徹していたこと。加えて、これまで彼女が経験してきた戦いが、凡そ一方的な虐殺に等しかったが故に、カササギが兵器として研磨されることが無かったのが原因だろう。

力任せに武器を振るえば、それで事済んだ。だから、それ以上を求める必要性がなかった。

たかが二人を相手に、此処まで手間取っているのがその証拠だと雛鳴子は言うが、それも限界が近いのだと鷹彦は頷けなかった。


「しかし、だ。彼女は此方を力任せに押し切ることが出来る。単純な力量差がある以上……すぐジリ貧になるのは眼に見えている」

「……そうですね」


計算も無しに、答えだけを読み取った、見解と呼ぶには余りに乱暴なそれは、予知と称して然るべきだろう。

雛鳴子の言葉を確証たらしめるには、足りないものが多過ぎる。彼女の言うことは、殆ど予想の範疇を出ていない。
このままカササギとの戦闘を続行するのは、やはり得策ではないと鷹彦は言うが、雛鳴子はやはり、引き下がらなかった。


「だったらいっそ、倒してみませんか。あの生物兵器を……私達で」


あまりに迷いの無いその声に、鷹彦は眩んだ。

逃げ回るのが精一杯。それももう長くは持たないこの状況下で、二人でカササギを倒す見込みが、一体何処にあるというのか。


「……雛鳴子、お前」

「おかしいですよね。私……何故だか全く負ける気がしていないんですよ。相手は、大亰自治国軍が誇る生物兵器だっていうのに」


希望に毒されて、頭をやられてしまったのかと疑る鷹彦に、雛鳴子は苦笑した。


無理もない。自分自身、どうかしていると思うのだ。

たった二人――既に負傷している鷹彦と、彼の足手纏いになりかねない自分で、あの兵器を倒そうなど、狂っている。


だが、それが普通だ。あの狂気に煙る町では、自ら深淵に飛び込むことなど日常茶飯事。ならば今更、躊躇うこともない。


自分は散々、見て来た筈だ。常に無茶と無謀の中を闊歩し、悠々と命綱を渡ってきた男の姿を。

あの背中を追い掛けて、こんな所までやってきたのだ。信じるべきは、正気ではないと、雛鳴子は語る。脳裏に過った、不確かな希望を手繰り寄せる為の算段を。あの兵器を打ち倒す為の策略を。


「それでも聞いてください、鷹彦さん。私の考えていることが、烏滸の沙汰か否か……判断を付けられるのは今、貴方だけなんです」


今此処で、雛鳴子の言葉を聞き入れては、今度こそ退くことが出来ないだろう。
幾らカササギに付け入る隙があるとはいえど、彼女が手に余る兵器であることには違いない。これ以上の応戦は、死を招く。恐らく、一人でも欠ければもう一人も必然、命を落とすだろう。可能性に賭けるなら、やはり雛鳴子を逃がす方が堅実だ。

それでも、あの眼を説き伏せることが出来ないことを、鷹彦は知っている。


「君も随分、あいつに毒されてきたな」


こうと決めたら、何を言われようと決定を覆さない。

幾度となく対峙してきたその眼に、一度たりとて勝てた試しが無いのだ。抗うだけ時間の無駄。ならば、腹を括るしかあるまいと、鷹彦は罅割れたサングラスの位置を直し、彼を真似て不敵に笑ってみせた。


「いいだろう。生憎、狂気の採点付けには慣れている。君の頭が正しく機能しているか……俺が定めよう」


似た物何たらという言葉があるが、それを口にすれば、彼女はいつものように稚けなく憤慨するだろう。

その顔は、全て終わった後。いつも通り、四人が揃った時に見せてもらうとしよう。

振り回されてやる代償としては安いくらいだろうとほくそ笑みながら、鷹彦は踏み出す。飛び越えられる筈もない死の谷を、跳躍してみせんばかりの力強さで。


prev next

back









×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -