カナリヤ・カラス | ナノ


荒い息を吐き出し、腕の骨まで抉られて尚、平然と嗤うバンガイを睥睨しながら、目白は鎖を握る手に力を込めた。


もうこれ以上、夜咫が侮辱されるのを黙って見ていることなど出来なかった。

同じ兵器であるバンガイが、夜咫を声高々に異端と称するのは、彼に人間の真似事をするなと言っているのと同義だった。

所詮、兵器でしかないお前が。人の形をした化け物が、紛い物として生きるなど笑わせると、バンガイは夜咫を嘲った。彼が今日まで通ってきた道も、抱いてきた願いも、全てひっくるめて、バンガイは卑下した。

それを夜咫が聞き入れているのが、何よりも堪えられなくて。思わず武器を振り翳した目白は、切り裂かれたように痛む胸を飲み下すように、息を吸い込む。


「…………夜咫が」


握り締めた両手が、それはそれは無力だった頃を思い出す。最下層のスラムで生まれ、弟共々、幼い時分から父親の道具として搾取されていた日々を。

大人達に虐げられながら工場で働き、仕事が終われば物乞いをして、なけなしの、餌とも呼ぶべき食糧にありついた。父親に殴られるのを恐れ、家の中でも身を隠し、弟と二人、身を寄せ合い、ゴミのように眠った。

そうして生きることに掻い続けていたある日。もう女として使える年頃になっただろうと、娼館に売り飛ばされることが決まった自分にしがみ付き、どうか彼女を売るのだけは止めてくれと嘆願した弟が、父の顰蹙を買った。

聞くに堪えない罵声と共に蹴られ、殴られ。このままでは死んでしまうという程に弟が嬲られて、もう止めてくれと父親に頼み込んで、自分も殴打されかけた。彼が現れたのは、その時だった。


其処に偶々通りかかっただけの少年は、偶々その光景を目の当たりにしてしまった。ただそれだけの理由で、自分達を救ってくれた。

荒れ狂う父親を軽々と卒倒させ、彼に使われる以外に生きる術を知らなかった姉弟を導き、新しい居場所と自由と尊厳と――数えきれない様々なものを与えてくれた。

彼は、かつて自分がそうされたように、誰かに手を差し伸べたかっただけだと言った。だが、自分にとってはそれが全てだった。


あの時、とても人とは呼べない状態で生きていた自分達を、人としてあるべき形にしてくれたのは、夜咫だ。

そんな彼が、人ではないと蔑まれることに、眼を瞑っていられる訳がないと、目白はバンガイを前に強く踏み込む。


「夜咫が、あんたの言うブラックフェザーとかいう兵器だとしても……夜咫は、あんたとは違う」


この一撃がバンガイにとって羽虫の戯れも同然だとしても、一矢報いてやらねば気が済まない。

例え、鎌を手元に戻した傍から傷の修復を始められても、そんなことは関係ない。

届けたいのは、刃ではない。そも、相手はバンガイですらない。目白が見ているのはずっと、彼一人だ。


「化け物は、あんた一人よ、バンガイ。夜咫は……夜咫・クフォロードは、私達と同じ人間よ!!」


もう一度、強く踏み込んで鎖鎌を振るう。敵わぬ相手と知りながら。この化け物を、彼一人に負わせてはならないと、目白は向う。

彼を仲間と言うのなら、自分達と同じ人間だと言うのなら、共に戦わなければならない。
二百年前に造られた生物兵器である彼を、人間たらしめる為に。此処で自分が退く訳にはいかないのだと、目白はバンガイの頭部目掛けて鎌を投げる。

鎌はバンガイのこめかみを捉え、頭蓋の奥まで突き刺さる。だが、脳を貫いて尚、刃は彼の命には届かない。


「めじ――」


バンガイにとって、ほんの戯れに過ぎない力で、鎖が手繰り寄せられる。
まさしく赤子の手を捻るような軽々しさで、目白の体を宙に浮き上がらせたバンガイは、にたりと口元を歪めた。

その笑みに戦慄する間も与えられず、目白の胴体が掴み上げられる。


とうに修復を終えた腕で、目白を捕らえたバンガイは、この女を此処で殺すのは惜しいと思った。

無論、それは彼女に心揺るがされたからではない。勇猛で、それでいて何処までも健気な、彼女のような女こそ、時間をかけて凌辱し、ありとあらゆる尊厳を奪い尽くした果てに縊り殺すのが至高であると、バンガイは味を占めているからだ。


だが悲しきかな。オーダーは、ブラックフェザー以外の鏖殺だ。
未だ有象無象の敵勢力の後始末もあるし、暫くはゆっくり凌辱する時間もないだろう。

口惜しいが、此処は手早く仕事を済ませるしかないと、バンガイは目白の腹に指を突き立て、肉と臓腑を引き千切らんとした。


しかし、指に力を込めようとした刹那。鋭い風が吹き抜けたかと思った次の瞬間、バンガイの腕が下から切断され、僅かに宙に浮き上がった。

その様に瞠目している間に、目の前で斬られた腕が更に切り刻まれ、細切れの肉と骨がバラバラと落ちていく中。それは解放された目白を抱きかかえ、降り立った。


「や……夜咫」



自分が何物であるか。その答えは、ずっと前から知っていた。ただ、その名前を知らなかっただけで、自分が人とは違うことだけは、はっきりと分かっていた。

だから、どう考えても助かりようのない傷を受けて尚、その場で立ち上がり、慄く敵を斬り伏せた時も、何も恐れはしなかった。

この姿を見た人々が悲鳴を上げ、自分から遠ざかっていくのも、石を投げるのも、当然のことだと、遠い昔に受け入れていたようだった。


何時か何処かで、自分ではない自分が、塞がらない胸の傷を埋める為に、それを覚えていたからか。

自分が、人間ではない何かであることを知られても、悲しくはなかった。ただ、彼等もまた、自分から離れてしまうのだな、と。少し寂しい想いをしただけだった。

だが、そんな感傷は杞憂に過ぎなかった。


(夜咫、あんたは人間よ。誰が何と言おうと、あんたは化け物なんかじゃない)


自分が人の形をした何かであることを知って尚、仲間達は自分に寄り添い続けてくれた。

化け物と忌避することも、厭うこともせず。それまでと同じように、夜咫・クロフォードという存在を受け入れてくれた。


(だから、もう無茶はしないで。自分なんかどうなったっていいなんて……そんなこと、思わないで)


それが、自らが生きた兵器であることを確立されても変わらないのであれば。自分も変わることはない。

此処に居るのは、バイオフォーセスだとかブラックフェザーだとか、そんな名前の物ではない。


(あんたは私の息子なんだから)


依然、変わらず。此処にいるのは、鳩子・クロフォードが息子にして、彼女の意志を受け継ぐアルキバのリーダー代理。夜咫・クロフォードだ。

そんな分かり切ったことを改めてインストールするのに、些か時間を要してしまったと自嘲しながら、夜咫は目白を一度だけ強く抱き締めた。


彼女が、危険を顧みずバンガイに立ち向かってくれたことで、取り零しかけたものが掬われた。
その感謝と、出遅れてしまった謝罪と、もう揺るぐことのない決意を込めて目白を抱き締めると、夜咫はバンガイの血がこびり付いたブレードを振り払い、構える。


「これ以上……お前に何も奪わせはしない」


酷く、心が凪いでいる。

目の前にいるのは、最愛の母の仇にして、多くの仲間達を屠ってきた、不倶戴天の敵だというのに。
煮え滾るように熱い血潮が、体の隅々にまで行き渡り、細胞一つ一つを奮い立たせていくのが分かる。研ぎ澄まされた感覚が、あらゆる鼓動と呼吸を拾い、背後の仲間達の表情でさえ、手に取れる。

激情に煽られ、荒れ狂っていた”怪物”さえも呑み込んだ先の境地。因幡との戦いを経て、目白の言葉を受け、其処に辿り着いた夜咫は、未だかつてなく赫灼と迸る眼で、バンガイを見据える。


「決着を付けるぞ、バンガイ。鳩子の仇であるお前を倒し……俺は、亰の王になる」


血のように赤く、獣のように光りながら、その眼は確かに、人の色を宿している。
それが気に喰わないと舌打ちし、バンガイもまた、両の拳を握り、夜咫へと構える。


「……まぁだ人間ぶったこと言いやがってよ」


あくまで自らを人であるというのなら、その皮を引き剥がしてやるだけ。

決して変わることのない本質を曝け出し、知らしめてやろう。彼自身にも、彼の仲間達にも。
兵器というものの何たるかを、兵器として完成されたこの身を以て教え込んでやると、バンガイは咆哮する。此処から、本当の戦いが始まると告げるように。


「なら、思い出させてやるよ。てめぇが人殺しの大量殺戮兵器だってことをよぉおお!!」

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