カナリヤ・カラス | ナノ


人であることを捨てた声を上げながら、滅茶苦茶な軌道で向かって来る夜咫の眼光が、軌跡を描く。

それ程の速度で床を蹴り、壁を駆け、瞬く間に因幡の頭上を取った夜咫の動きは、先程までとは比にならない。
余計な物をこそぎ落としたことで身軽になったのか。旋風さながらの勢いには、因幡も圧倒されている。


しかし、因幡は断固として倒されはしなかった。弾き返すことさえ敵わぬ攻撃を受け止める体が悲鳴を上げようと、それを押し潰さんと夜咫が力を強めても、因幡は膝を付くことさえ許さない。

彼に屈するくらいなら、この場で自害した方がマシだと、そう語るような顔付きで、因幡は限界以上の力を引き出して、夜咫を懸命に押し返す。


「グ、ぎ」

「理性無き獣が王だと?笑わせるな、小僧!!」


牙を食い縛る夜咫の額に頭突きを喰らわせると、因幡は僅かにたじろいだ夜咫の腹を蹴り飛ばした。

更に、ぐらつく夜咫の胴体に、銃剣を突き刺す。内臓を貫かれた痛みに夜咫は叫び声を上げるが、知ったことかと因幡は夜咫の腹を真横に切り裂く。


夥しい血と、臓腑が零れる。だが、夜咫はそれを無理矢理手で押し込めるや、身を屈めながら、ブレードを振り上げる。

その一撃を寸前で躱したが、切っ先が掠めたのか、因幡の胸から記章が千切れ飛ぶ。
誉れ高き自治国軍人に捧げられる、名誉の証。それに一瞥もくれず、因幡はみるみる塞がっていく夜咫の腹の傷を睥睨する。

忌々しい、人の形をした”怪物”が。どうしてお前のようなものが生まれ落ちたのだと言うような眼で、因幡は牙を剥く夜咫に、銃弾を浴びせる。


「臟が煮え繰り返りそうなのは、こっちの方だ、夜咫・クロフォード。お前のような人間の出来損ないの為に、私の娘は死んだ。愚かな理想を手放せぬまま、娘は死ななくてはならなかった!!」

「ぐ、あああああああああッ!!」


弾丸を喰らいながら尚も前進せんとする夜咫の姿は、まさに形振り構っていられないという様子だが、因幡にとってそれが、何より恨めしかった。


此処にいるのは、人間ではない。人を模した”怪物”だ。

それを、彼女も知っていただろうに。こんなものの身を案じ、こんなものに希望を託し、こんなものの為に命を落として。

嗚呼、本当に。本当に、愚かしいにも程があると、怒りの形相を露にしながら、因幡は銃剣を捨て、腰の軍刀を引き抜き、跳躍してきた夜咫の胸に刺突を喰らわせた。


「が――ッ」

「兄ぃいいい!!」


その声さえも煩わしいと、喉笛にもう一本刀が突き立てられたところで、夜咫を救わんと長元坊が駆け出した。

それが無意味であることを、長年の付き合いである彼もまた、理解しているだろうに。全くどいつもこいつも、何故こんなものに情を持つのかと、因幡はゴミを打ち捨てるように、夜咫を振り払い、向かって来る長元坊にぶつけた。

勢い余って激突し、受け止めきれなかった夜咫が落下すると、開けた視界から因幡の蹴りが飛んできた。

渾身の飛び膝蹴りを顔面で思い切り受けてしまった長元坊の巨体が嘘のようにすっ飛び、目白達の道を塞ぐ。
その頃には、喉を握り潰すようにして、傷を繋ぎ止めた夜咫が襲いかかってくる。

彼の手には既に、武器さえ握られていない。いよいよ、正真正銘の”怪物”に成り下がったのだと、因幡は辟易と軍刀を翻した。

宙を舞う、右手。それが地面に落ちるより早く、夜咫は左手で斬撃を受け止めるが、右手を切り落とした方の軍刀が、首を斬り付ける。


「ぐ…………っ」

「首を差し出せ、けだもの」


切り裂かれた頸動脈から、夥しい血が溢れる。人間であればとうに死んでいるだろう。しかし、これは首を斬り落としたとて死ぬかどうか、分からない。

であれば、死ぬまで殺すまでだと語るように、因幡は柄を握る手に力を込める。


「お前の罪は、お前の血でのみ洗い流される」

「ガ、ァ……」

「させるかあああああああ!!」


それを食い止めんと、今度は目白と目黒が因幡に襲いかかる。

夜咫ごと貫けばいいものを、わざわざ迂回して、自分の背後を取らんとしてくる二人に、因幡は思わず舌打ちした。


何を庇うことがある。これは、刃が宛がわれた状態で、傷の修復を始めるような”怪物”だ。確実に自分を仕留めたいのであれば、夜咫の影に身を隠し、彼ごと自分を攻撃すれば、それで終いだろうに。


苛立ちながらも、因幡は冷静に軍刀から手を離し、床に投げ捨てた銃剣を拾い上げ、それで目白と目黒を迎撃した。

その隙に、起き上がった長元坊が夜咫に駆け寄り、突き刺さったままの刀を抜いてやっていた。


「すまねぇど、兄ぃ。痛いけど、ガマンしてくれど!!」


どうせすぐに忘れる痛みだというのに、詫び入れながら刀を抜く長元坊に、因幡の堪忍袋も限度を迎えた。


――いい加減にしろ。


そう吠え立てるように声を上げながら、因幡は鎖を力任せに手繰り、目白と目黒の姿勢を崩すや、すかさず銃口を長元坊に向けた。


「坊!!」


引き鉄に宛がわれた指に、力が込められた。

その瞬間、横切って行った黒い風に瞠目したのも刹那。銃弾を受けたその人の姿に、振り向いた長元坊は絶句した。


「あ…………兄ぃ」

「……ヒュー…………ヒュー…………」


塞ぎきっていない首の切れ目から、呼吸が漏れ出ている。

その音さえ、立ち昇る蒸気と共に消えゆく光景に、誰より瞠目していたのは、因幡だった。


「…………貴様」

「う……ぐ………………」


痛みに顔を歪め、唸り声を上げる夜咫は依然、闘争の熱に浮かされている。

だが、彼は長元坊を庇った。因幡を倒す為に全てを擲とうとしていた筈の夜咫が、”怪物”に成り果てた筈の彼が、身を挺して仲間を守ったのだ。


因幡は、再び武器を握らんと、落ちた右手を拾い上げ、手首に繋ぎ止めた夜咫を暫し見据え――やがて、武器を下ろした。


「…………何をしている」

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