カナリヤ・カラス | ナノ
圧迫された臓器から逃れんと、口から血が溢れ出す。それが滴り落ちるより早く、閃く刃から身を捩るが、避けきるには体勢が悪かった。
肩を穿たれ、そのまま後ろに押し飛ばされた夜咫は、背中から着地すると同時に銃弾の追撃を受ける。瞬時に床を転がることで、どうにか回避することは出来たが、腕と腿に一発ずつ掠めた。
手痛いダメージに切歯しながら、夜咫は血でぬめる柄を握り締めるが、その気迫は既に薄れている。
爪を折られた獣は、其処で終いだ。因幡は、床に膝を付く夜咫を蹴り飛ばし、刺し貫いた肩を踏み付けた。
「……図体ばかりでかくなって、中身はまるで成長していないな、夜咫。未だ母親に縋り続け、子供のように癇癪を起こし……剰え、八つ当たりか」
「夜咫ぁっ!!」
「目白!!余所見しないで!!」
押さえ付けられた夜咫を眼にした目白が、声を上げた傍から、目黒に引っ張られた。
間髪入れず、真横に振り下ろされた剣撃。そして此方を再び見定める血走った眼を、鎖で覆って潰す。
眼球を押し潰された痛みに絶叫する兵士の、反り返った喉を鎌で切り裂いて、襲い掛かってくる次の兵士を躱し――そうしてまた、夜咫から離されていく。
こんなことをしている場合ではないのにと、いっそ場違いな思考に噛み付かれる。
此処にいる兵士達も、討つべき敵に違いない。だのに、今は進行方向に群がる虫のように、ただ煩わしくて仕方がないのだ。
押し退けて、蹴散らして、行かなければ。取り返しの付かないことになる前に。
伝染していく焦燥がレジスタンス一同を蝕んでいく中、集団にいながら孤立無縁と化した夜咫は、それでも懸命に抗っていた。
まだ自分は戦える。たかが片腕が思うように動かなくなっただけのことだ。武器は握れる。体力だって十分にある。自分は、負けてなどいない。
そんな眼をしても、立ち上がることが出来なければ何の意味もないと、因幡は夜咫の手に銃剣を突き刺した。
「ぐ、ァああッ!」
「お前が私に憤るのは、お前が鳩子を救えなかったからだ、夜咫・クロフォード」
それは、夜咫から武器を奪うよりも、彼に耳を塞がせぬようにする為の意味合いが大きかった。
不様に這いつくばり、動きを封じられ、逃れることも出来ぬ状態で、自分の罪を突き立てられる。それが、かろうじて繋ぎ止められている夜咫の心を砕くのに最も適した術であると、因幡は理解しているのだ。
「鳩子を救う力を持たず、鳩子の為に死ぬことさえ出来ない。そんな弱い己を認められないが故に、お前は私を責め立てる」
「違う」
「何も出来ないくせに、思い通りにならないと腹を立てる。これを駄々と言わず、何と言う」
「違う!!俺は……俺は――!!」
因幡であれば、鳩子を救うことが出来た。そう期待してしまったからこそ、夜咫は憤っている。彼の行いは鳩子に対する裏切りである、と。
だが、それがそもそも筋違いなのだと因幡は夜咫を詰る。
鳩子を救いたいという願いを他者に託した時点で、それがどんな結末を迎えることになったとて、夜咫に怒りを覚える権利は無い。
それも、夜咫は親であるのであれば、娘である鳩子を救って当然と、勝手に期待を寄せていたのだ。直接頼み込んだ訳でも無い。それは夜咫の、思い込みの中のことだ。
であれば、罪の所在は明白。咎められるべきものがあるとすれば、それは、鳩子を救いたいという想いを他人に委ねた夜咫の弱さだ。
因幡は、言い逃れの出来なくなった夜咫の心に杭を突き立てるように、最後の追い討ちを掛けた。
「お前は、未だ親離れ出来ない子供のままだ。そんなお前に、国を治めることなど出来るのか」
罅割れた夜咫の心は、それで完全に砕ける筈だった。
他の誰でもなく、鳩子を裏切っていたのは自分なのだと。そう痛感させられて、原動力を失った夜咫を捕えれば、それで全ては終わる。
因幡はそれを狙って、此処で夜咫を迎撃し、彼を引き付け、あらゆる攻撃を躱しながら執拗にその罪を責め立てた。
この作戦は、非常に良く出来ていた。対夜咫として、これ以上の策はないだろう。しかし、因幡は最後の最後で過った。
「………………出来る出来ないじゃない」
「……何?」
瞬間。背筋が凍るような予感に、因幡は反射的にその場から飛び退いた。
もし彼が回避行動に出ていなければ、脚の一本は確実に持っていかれていただろう。
脛から噴き出した鮮血。それと同じ色をした双眸に、ほんの少し呼吸が止まった。
その眼光は、怒りに我を忘れた獣の物では無い。宿命に立ち向かう、志に燃える者のそれだ。
しかし、それは人というには余りに獰猛で、凶暴で。切り裂かれた脚の痛みさえ彼方へ葬られる程の気迫を前に、因幡は瞠目する。
自分は今、何と対峙しているのか、と。
「俺はやるんだ。鳩子が夢見た世界の為に、鳩子が救いたいと願ったものの為に…………俺が、やらなきゃならないんだ!!」
其処でようやく、夜咫に追いついた目白達は、揃って顔を蒼白させた。
彼女達は知っている。今の夜咫が、何をしようとしているのか――何になろうとしているのか。
「待って、夜咫!!それは――」
どれだけ腕を伸ばしても、声を張り上げても、遠過ぎた。怒りの臨界点を越え、平静を取り戻して尚、焚き付けられた激情の中にその身を投じることを決めた夜咫を止めるには、目白達では足りなかったのだ。
空に飛び立つ鳥を掴むのに、人の腕では足りないように。
「オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」