カナリヤ・カラス | ナノ


「……さて、どうするか」


結局、盗った以上は使っていようがいまいが一緒、という鴉の言葉に全てを諦め、レジスタンスの財布から支払いを済ませた一同は、一名を除きおっかなびっくり亰の街を散策していた。


こんな気持ちになるのなら、最後の晩餐――否、昼餐くらい豪勢にしておけばよかった。
気分ではないとデザートを頼むのを止めたのが今になって悔やまれる。

これで死んだら、絶対に成仏出来やしないだろうと、鷹彦達はどうにかこの危機を乗り切る方法はないかと揃って溜め息を吐いた。


「軍資金に困っているような連中だ。生活費が盗られたとなったら、血眼になるだろう。そして今度こそ、”ヤタガラス”との衝突は避けられまい」

「……鴉さんの仕業だってバレなければ、どうにか穏便に事を済ませられないっすかね」

「いや。恐らく財布を盗られたと気付いた時点で、奴等は俺達を疑ってくる筈だ。俺達が”ヤタガラス”を見て気付いたように……連中も、鴉を見て何か感じ取っただろう。あの状況下で財布を盗ってくるような奴なんて、アイツ以外にいないだろうと、すぐに勘付くに違いない」

「ですよねー……」


只でさえ、金成屋・鴉という男は悪目立ちする。地味な色合いも極めれば派手に転じるもので、頭の先から爪先まで黒一色で揃えられた彼のスタイルは、何処にいても影のように浮き立つ。
それに加え、あの青年――夜咫がいるとなれば、レジスタンスの面々の眼を逃れられる訳がない。

あの短時間で、何人が鴉に気付いたか分からないが、少なくとも席の近くに陣取っていた者には見られていた記憶がある。ほぼ間違いなく顔を覚えられたと見ていいだろう。


夜咫の乱入から離脱まで数分足らずの間、鴉が大人しくしてくれていたのなら、他人の空似で済ませてもらえただろうに。
悉く自分の休暇が台無しにされていくことに腹を立てたのか。むしゃくしゃしてやった。反省はしていない、というやつなのか。だとしたら、それは幾らか同情する。だが、共感はしかねる。

三人は、何事も無く終えることこそ無事というのだなと痛感しながら、辟易と眼を細めた。


「かといって、素直に謝りに行っても許してはもらえないですよね……」

「ああ。こうなった以上、俺達が成すべきことは一つ。身を隠しながら福じぃからの依頼を速やかに片付け、一秒でも早く亰から出る。これに限る」


面倒事が差し込まれるのはいつものことだが、それでも、雛鳴子とギンペーにとっては、いつもと違っていることが一つあった。

それは、今日の鷹彦はいつになく用心深く、とにかく相手を警戒し、全力で衝突を回避しようとしている点であった。


鷹彦は何事も簡潔に済ませられるなら、それに越したことはないと、常に最短と最適を求めて行動している。
だから毎度毎度、こうしたトラブルに見舞われるその都度、最大限の無駄を省いた上で目的を達成する術を考え、出来る限り穏便に事を済ませようとはしているのだが。それにしても、今回の彼は一際気を張っているように見える。

致し方なく戦闘が起こるのであれば仕方ないと諦めることだって少なくないのに、今日の彼はとにかく無血を望んでいるようであった。


その理由を、雛鳴子達はそれとなく察していたが、それでも尋ねるような眼を向けたのは、信じたくなかったからだろう。

今回の相手――”鉄亰のヤタガラス”が、鷹彦でさえ忌避したいと思う程の手練れであるということを。


「あの男……星硝子達が警戒していただけある。恐らく、鴉やワタリに匹敵する腕を持っているぞ」

「そ、そんなにヤバいんっすか、あいつ」

「……鷹彦さんが一目見ただけでそこまで言うなんて、相当ですね」


夜咫が刃を振るっていたのはほんの一瞬だったが、彼の技量を判断するのは、それだけで十分だった。


彼の太刀筋はとにかく鋭く、とにかく速く、とにかく無慈悲で、それはさながら、旋風であった。

あの動きはとても、片脚を失った者が出来るものではない。義足であれだけのスピードを出し、駆け抜けるように人体を両断するなど、人間離れも甚だしい。
あれを相手取るリスクを考えれば、このまま収穫ゼロでゴミ町にとんぼ返りした方がマシと言えるだろう。しかも、不安材料は彼だけではない。

ステーキハウスを出てからもう何本目になるか、数えることさえ放棄し始めた煙草を取り出すと、鷹彦は溜め息を量産し続ける肺を紫煙で満たした。


「奴等が言っていた”カササギ”というのも気掛かりだ。……”ヤタガラス”がいながら、即時撤退する程の何かが亰に存在している。こんな核弾頭級の厄介事、二つも抱えてやっていけるかという話だ」


鷹彦が避けたがる夜咫でさえ厭うもの――”カササギ”と呼ばれる何かが、此処には存在しているというのだ。

夜咫達が去った後、ステーキハウス付近でそれらしいものを見かけることは無かったが、恐らくそれは今も、亰の何処かに在る。
そんなものにまで眼を付けられたら、いよいよ亰に骨を埋める覚悟をしなければならなくなるだろう。

鷹彦は、今なら天に祈ってもいい。祈ってもいいから、助けてくれと重々しい息を吐きながら小さく項垂れた。


「こうなったら、依頼なんて放り出して、今すぐゴミ町に帰るのが得策だと思うんだがな…………」

「おっ。見ろよ、お前ら。液晶フィルムカバー屋だってよ。カカカ、いいなァ。こういうカオス極めた露店見てるとザ・観光って気分になるな」


枯れた草花よろしく、ぐったりとしたくなる気持ちにもなろう。

今にも壊れそうな吊り橋の上を恐る恐る歩いている横で、手すりの上を一輪車で駆け抜けていくような真似をされては、必然疲弊する。
雛鳴子は、呑気に混沌とした露店を冷やかす鴉を睥睨すると、もう余計なことはしてくれるなと言わんばかりに彼のコートを引っ張った。


「何を平然と観光モードに入ってくれてるんです。自分が置かれてる……っていうか、自分からわざわざ滑り込んでいった状況が理解出来てるんですよね」

「思いがけずお小遣いが手に入ったので、一切の計画性も罪悪感も無く衝動買いをして、亰を心底エンジョイ出来る」

「此処は世界有数の機械都市だってのに、こいつの頭のネジを締められる奴が何処にもいないだなんて絶望的だな」

「ぶはは、電池で動く金魚のオモチャだけ売ってるぜ、あの露店。誰が買うんだよあんなの、超ウケる」

「そうですね。鴉さんみたいな馬鹿が買うんじゃないですかね」


こいつも電池が抜いたら止まってくれたらいいのに。

痛む頭を抱えながら、雛鳴子達は「いい加減真面目に仕事してくれ」と鴉を露店街から引き剥がしていった。


確かに、当初の予定通りに事を進めるなら、今は亰の市場を見て回る頃合いだ。だがその予定は、他ならぬ鴉がぶち壊してくれたのだ。
だのにどうして、福郎からの依頼に着手することもせず、こんな――言っては悪いが――くだらない店々が並ぶ道を、だらだらと歩いているというのか。


何かしらの調査をするのなら、それらしいところで聞き込みをするなり、情報を仕入れるなりすればいいものを、何が液晶フィルムカバー屋だ。何が電池で動く金魚のオモチャ専門店だ。せめてもっと、有用且つ有益な場所に行け。

そう責め立てるような顔をする雛鳴子達に、今度は鴉が溜め息を吐いた。


「お前らなァ、せっかく亰まで来たってのに、何神経質になってんだよ」

「「誰のせいだと思ってるんだテメェ」」

「だから、俺が何したっつー話よ」


鴉は、心底呆れたように眼を伏せつつ、道中ドリンクスタンドで購入したマンゴージュースを啜った。

その容器が血で満たされるまでぶん殴ってやった方がいいのか、と雛鳴子と鷹彦は揃って拳を構えたが、此方もステーキハウスよろしく、レジスタンスから奪った金で支払った鴉は、随分軽くなった財布を片手でぽんぽんと弄びながら、誠に遺憾だとわざとらしく眉を顰め、続ける。


「大体コレ、あいつらのじゃねーぞ。中に入ってるカードやら何やら見た感じ、別のとこで巻き上げてきたもんだ。盗品をスッたことを罪に問われる筋合いねぇっての」

「そういう理屈が通じないだろう相手だから問題なんですって」

「無問題、無問題。奴等が財布の所在に気付いたところで、俺らをわざわざ探し出して、追いかけ回そうって気になるこたねぇだろうからよ」

「……どういうことだ?」


言っている意味がさっぱり分からんと、怪訝な顔を見せる一同に、鴉はやれやれと肩を竦めた。

本当に、逐一人を煽るリアクションをとってくれるものだ。やっぱり一発くらいは殴っていいのではないかと雛鳴子が脳内でシャドーボクシングする中、鴉は答え合わせを始めた。


「奴等は此処では追われる側の身だ。人のケツ追っかける余裕はハナからねぇし、俺らを探すより、次の獲物を探した方が手っ取り早いし、得られる額に望みが持てる。盗った財布の中身がいつまでも無事か。そんなこと、奴等が一番分かってるだろうぜ」


鴉の言う通り、とうにすっからかんにされているやもしれぬ財布の為に危険を冒そうとする理由は無いだろう。

面子云々の問題はあるかもしれないが、彼等レジスタンスもまた追われる身であり、しかも今さっき騒ぎを起こしたばかり。
自治国軍が警戒網を敷く中、亰を駆け回り、お縄に掛かるリスクを負ってまで鴉を見付け出そうとする程、彼等に余裕はないだろう。

下手をすれば、例の”カササギ”に出くわす可能性だってあるのだし。犯人の目途が立っていても、目を瞑るのが得策と言えよう。
秤にかければ簡単なことだろうと、鴉はカップに残ったジュースを飲み干し、空の容器をゴミ箱に投げ捨てた。

此処がゴミ町であれば、何処であろうと構わず放り投げていたところだが、此処は亰であることを弁えているらしい。つくづく、この男はモラルの振り分けがおかしい。
雛鳴子は「ナイッシュー」とニヤつく鴉を依然睨み続けたまま、その横顔に塗り付けるように言葉を吐き出した。


「……だとしても、やはり鴉さんの行動は軽薄です」


中身の知れない他人の財布の為にと言いながら、当の鴉がその、中身の知れない他人の財布の為に危険に手を伸ばしているのだから、矛盾している。破綻している。

レジスタンスの金に手を出すことで被るリスクを思えば、数万程度の金など、どうでもいいだろうに。
どうしてこんな子供じみた八つ当たりをするのかと、雛鳴子は叱責するように鴉を詰る。


「そんなに食事の邪魔されたことが腹立たしかったんです?……それとも」

「それとも?」

「……自分で気付いてるか知りませんけど。鴉さんは、同族嫌悪の気が強いです。星硝子さんの時然り……”鉄亰のヤタガラス”に対しても、自分と似たものを感じて、腹を立て……むしゃくしゃして財布をかすめ取ってきた。そうじゃないんですか」


きょとん、とまるで似つかわしくない擬音が出てきそうな顔をしたかと思えば、鴉はすぐにシニカルに顔を顰めた。


「むしゃくしゃしてって……思春期の青少年かよ」

「はぐらかさないでください」


それでも、そんな風に茶化しても誤魔化せるものではないのだと、雛鳴子は鴉のマフラーを引っ張りながら、彼の眼を真っ向から見据えた。


血のように色濃く、不吉の黒を際立たせる赤い双眸。

その奥底に引っ込めたものを出すまでは離してやらないと言わんばかりに喰い付いてくる雛鳴子に、流石の鴉も言葉を失った。


「……此処までくると、いよいよ偶然で片付けられません。鴉さん……貴方と、貴方に似ている人達……一体、何の繋がりがあるんですか」

「…………」

「鴉さん……」


鷹彦も、ギンペーも、思うことは雛鳴子と同じらしい。


今日まで誰も触れて来なかった、触れようともしなかった。いや、触れないようにさせられていたというべきなのかもしれない。

誰もが気に掛けていながら、まるで火に手を伸ばすことを拒むかのように、本能的に避けてきた。
指先だけでも触れてしまえば、それで全てが崩れ去ると。そう言い聞かされてきたような感覚を、彼が与えてきたからだろう。


彼は何も言わず、何も語らず。のらりくらりと身を躱すようにしながら、巧妙に隠してきたのだ。

その出で立ち、その生き様から与えられた”鴉”という名前の中に押し込まれた、彼が”鴉”へ至る以前の姿を。彼が何者であったのかを。


だが、雛鳴子達はもう、目の前に置かれた真実から眼を背けてはいられなくなった。

自分達は、知らなければならない。
例え此処で、今まで築き上げてきたものが全て台無しになってしまうとしても。このままでは、取り返しがつかないことになってしまいそうで。
手を焼かれることになろうと、爛れた箇所から膿が出るような痛みを負うことになろうと、今此処で、真実を掴み取らなければいけないのだと、雛鳴子はマフラーを握り締める。


その手が僅かに震えているのは、恐れているからなのか。それとも――。


沈黙の中に曝された鴉は、暫し言葉を見付けられず佇んだ。


また適当に茶化して終わらせてしまおうか。雛鳴子の手を振り解いて、黙り込んでしまおうか。
こんな時に限って、言葉の引き出しは開いてくれない。必死に頭の中を漁るように考えても、何処も彼処も手応えがない。

真っ白になった胸中に残されているのはただ一つ。ずっと心臓の奥深くへと押し隠してきた想いだけ。


これを吐き出せば、楽になれるかもしれない。けれど、これ無しにはきっと、何もかもが上手く回ってくれない。

らしくもない葛藤に苛まれ、それでも、嘘を吐いてしまえずにいるのは、何故なのか。


そんなこと、誰に問うまでもなく、知っている。知っているからこそ、迷うのだ。困るのだ。
静寂が、此方を急かしてくる。この静けさに堪え切れず、鴉は答える為の言葉も見付けられぬまま、口を開いた。


「…………俺は、」


何を言おうか。喉の奥を手探りするように出した声は、その先を繋ぐことなく途切れた。


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