カナリヤ・カラス | ナノ
石像のように座り続けていた多岐が、此処でついに腰を上げ、何とも名状し難い目付きで鴉を見据えた。
期待と鬼胎が入り交じり、複雑に絡み合った思考が疑念を生んで、それは、多岐の動きを遮る。
自分は何をすべきか。何を信じるべきなのか。
その答えが分かるまで行かせる訳にはいかないと、多岐は穿つ様な眼差しで、鴉の胸中を探っていく。
「お前……本当にRAPTORに乗り込むつもりなのか?」
「流石に本社は行かねぇよ。ペテン野郎がいるのは、本社から離れた第三地区にある軍事ドローン開発支部だしよ」
「そうじゃなくてだな」
此処に来て、敢えてはぐらかすような物言いに、多岐は思わず苛立つ。
だが、その焦りこそ、多岐の中で既に確かなものがあるようなものだと言うように、鴉は決して揺るがない。
もし此処で多岐が、その胸倉を掴んだとしても、彼はこんな風に飄々とした態度を崩さずにいるだろう。
そんな予感に幾らか宥められながら、多岐は問う。
「貴族の息が掛かった連中を相手にして、お前は……何をするつもりだ?」
信じ切るにはあまりに不透明で、底が見えなかった。
多岐とて、鴉がどういう男か知っている。
この不浄の町の誰よりも欲深く、損得勘定を行動原理とし、打算的で、利害が一致しない限り梃子でも動かせない。金成屋・鴉とは、そういう人物だ。
だからこそ、多岐は不安だった。
鴉の狙いも見えぬまま、このまま彼等をRAPTOR社に向かわせていいのか、と。
「生憎、俺には……お前を動かせるだけの金を持ち合わせてねぇ……それはお前が、一番分かってる筈だろ、鴉。なのに……五百万も支払って情報仕入れたりしてよ……お前、RAPTORに行って何するつもりなんだ」
多岐は、メレアが攫われた時から、彼等を頼ることはほぼ絶望的だと、諦めていた。
ターキーキッチンは、ただの料理店だ。ゴミ町内でまともな暮らしが出来る程度に収入があるとはいえ、蓄えはそう多くない。
多岐の全財産を対価に鴉と契約しても、メレアが攫われないよう護衛してもらうことは出来ても、RAPTOR社に乗り込んで攫われた彼女を救出するだけの金になるとは、とても思えなかった。
相手は、貴族から依頼を受けた一大企業という後ろ盾を有している。
それを相手取ってもらうには、莫大な額の契約をしなければならないだろうに。鴉はその案を提示することなく、RAPTOR社に向かうと言った。
あの、我欲の道を突き進む男が、契約金を得る機会をスルーするなど、何か裏があるに違いない。
多岐はそれが引っかかっているのだと、鴉の本意を尋ねるが、返ってきた答えは、驚く程にシンプルで、明快だった。
「……契約は、とっくに成立しちまってんだよなぁ、これが」
言いながら、鴉は適当に書いたメモを一枚、指に挟んで多岐に見せた。
其処に書き記された文字を見て、多岐は思わず面食らい。そんな彼の反応に、鴉は大きく口を吊り上げ、ニタリと笑う。
してやったり、と言うような。いつもの彼らしい邪悪な顔で、鴉は粗雑なメモを高らかに翳す。
「ターキーキッチン一ヶ月無料食い放題。条件は、メレアのストーカー退治だったよなァ」
いつの間に書いていたのか。手帳の一ページをちぎっただけの、一ヶ月無料食べ放題券を見せつけながら、鴉はわざとらしく肩を竦めてみせる。
不本意ではあるが、誠実にして廉潔な我が金成屋のモットーに則らねばと。そんな戯言を、鴉は呆けた多岐に流し込む。
「悲しきかな。うちは契約絶対だからよ。一度条件つきで受けちまったからには、最後まで完遂しなきゃなんねー訳だ。条件と契約内容がまるで釣り合ってなくても、引き受けたからにはやるしかねぇ」
「お……お前、」
「なんてのは、まぁ、オマケ程度なんだけどよ」
だろうな、と雛鳴子達が頷く中。鴉は、今回自分が動く本当の狙いを語る。
――彼はいつだって、高い所から様々な物を見ている。人の心も、金の流れも、その先で自分が何を得るのかも。そうして鴉は、最終的に自分が得をする選択をしてきた。
慈悲や同情は無い。彼はあくまで、己の欲望のままに行動するだけ。
今回も、我が道を行く途中に落ちている物を、ついでに拾ってやらんこともないと言うような。そんな限りなく気まぐれの施し精神が発動しただけに他ならない。
だからこそ、何よりも信頼出来るだろうと、雛鳴子達が半ば呆れる横で、鴉は得意気に笑ってみせる。
「鷽島のクライアントは貴族様だ。エクゼテレシスが起動したら、ゴミ町は試運転ついでに綺麗さっぱり焼却されることになるだろう。そうなる前に、リスクヘッジだ。多少の損はするだろうが、後々のこと考えたらこれがベターだと俺の優秀な頭脳が言っている」
トントンと、こめかみを指で軽く叩きながら、己の本懐を告げたところで、鴉は踵を返した。
これ以上、此処でお喋りに勤しむことはない。やるべきことが決まったなら、即行動に移すべし。世は常にタイムイズマネーだと、コートを翻しながら、鴉は最終確認へと移行する。
「で、お前はどうする?多岐」
「……愚問だな」
疑うものも、阻むも無くなった今。成すべきことは一つだと、多岐は肉切り包丁を手に取った。
彼の中で、これだけは最初から確かなことだった。
相手が貴族のオーダーを受けた大企業であろうと、メレアが幌向レゾの娘であろうと。多岐の覚悟は、想いは、変わらない。
「愛する娘がとっ捕まってんだ。父親として、黙ってられるかよ」
「OK。相も変わらぬ親馬鹿っぷりは健在のようで何よりだ」
茶化すように軽く多岐の肩を叩くと、鴉は一同を引き連れ、半壊したターキーキッチンを出た。
目指すは、罪深き嘘吐きが潜む第三地区。十四年の時を越え、再び点された因果の火が、彼女と町を呑み込むその前に。
「さぁ、行くぜ野郎共。今日のオーダーは、勧善懲悪だ」