カナリヤ・カラス | ナノ
その頃。夕鶴が行ってしまったのでと、金成屋の二階に鴉を呼びに行った雛鳴子は、思わぬ光景に面食らっていた。
「………鴉さん?」
「…………」
待ちくたびれてしまったのか、不貞腐れた結果なのか。鴉が居間のソファに寝転がって、眠っていた。
いつもは布団の中に潜っているか、顔に新聞紙や雑誌を被せている為に何も見えず。
つい先日、掃除屋と一騒動起こったあの日も、彼は何かに魘されていて、表情も寝顔と呼べるようなものではなかったので、鴉が実に健やかに寝息を立てているのを見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。
雛鳴子は妙にざわつく胸を抑えながら、ソファの横に身を屈めた。
近付いてみると、すぅすぅと寝息が聞こえてきた。どうやら、本当に眠っているらしい。
「……夕鶴さん、帰りましたよ。鴉さん」
「…………」
物珍しいからか、鴉を起こすのがとても勿体ない気がしてならない。
しかし仕事があるのだから起こさねばと、いつものように肩を揺す気が起こらず。恐る恐る声を掛けても、反応がない。
雛鳴子はどうしようと、鴉の顔を見つめながら考えた。
いつも嫌な角度に上がっている眉は、力無く。にたにたと吊り上ってばかりの口元も、緩みきっている。
寝ている時まであんな顔をされていたら、それこそ堪ったものではないが。こういう顔をされるのも、何故か困るなと雛鳴子は思った。
見慣れていないものを前にするのは、見知った鴉と分かっていても、落ち着かない。
いつもの鴉の横にいても落ち着けたことなどないので当然なのだが、それとはまた違う方向に、雛鳴子の胸中はざわめいていた。
やがて、知らないものに触れるように、好奇心を孕んだ手が鴉へと伸びた。
何となく触れてみた髪は、そのメタリックな光に反し、存外柔らかい。
案外こんなものなのか、と思いながら、雛鳴子はわさわさと手を動かして、鴉の頭を撫でた。
それでも眼を覚まさない辺り、相当深く眠りについているらしい。
ここ数日のことと、今日通院が終わったことを考えれば、それも仕方ない。
(よく手に取ってみれば、それも普通と変わらなかったりするものなんだよ)
夕鶴の言ったことを反芻しながら、雛鳴子はすくっと立ち上がった。
踵を返し、そぉっと音を立てないように歩いていくと、雛鳴子は自室から持ってきたブランケットを鴉の上に掛けてやった。
まだ疲れているのなら、寝かせてやるのも悪くないだろう。
あとで文句を言われそうな気もするが、その時は起きなかった鴉が悪いと論破してやればいい。
雛鳴子は今度こそこの場から離れ、店に戻ろうと、また音を立てずに廊下を歩き、控えめに戸口を開いた。
「……結構、普通なんだなぁ。あの人」
戸を閉める前に振り向いて、思わず口にしたその言葉は 少しだけ、異常な彼を受け入れていた。