読みきり | ナノ


立てば芍薬。座れば牡丹。歩く姿は百合の花。まさに百花繚乱と喩うべき華々しさと可憐さを持つ、絶滅危惧種・大和撫子。

大根のような脚を曝し、猿のように両手を叩いて大笑いする自称女子で溢れかえった現代社会に於いて、最早時代錯誤レベルなまでに清楚で貞淑。
そんな彼女に出会ったのは、満開の桜が咲き誇る河川敷。


あの日、あの時の光景を、俺は決して忘れないだろう。

風に舞う薄紅色の花弁。その中に佇む、袴姿の少女と――彼女の体に巻き付く、巨大な黒い影を。


「ぎ……ぎゃああああああああああああ!!!」


これは、俺がほんの僅かに垣間見た、呪いの物語。人が造り出した人ならざるものと少女を繋ぐ、呪いの物語だ。






「んーーー!!んーーー!!!」

「もう離してあげてくださいな、イミナ。このままでは彼、死んでしまいますわ」


絶叫を上げて一秒。足が動くよりも早く、少女の元からびゅっと伸びてきた影に巻き付かれ、少年は人気のない橋の下まで放り投げられた。

まるで勢いよく蹴り上げられたサッカーボールよろしく、軽々と宙を舞った彼は、着地の衝撃で一時停止。その間に影は再び彼を捕え、芋虫のようにのたうつ体を瞬時に捕縛。
助けを呼べないよう口を塞ぎながら、ぎりぎりと体を締め付けてくるそれに、少年が声にならない声で命乞いをしていると、少女からストップがかかった。

が、影は巻き付く力を殆ど緩めることなく、その蛇のような体のあちこちで光る橙色の眼で、呆れたように少女を見遣る。


「いっそ此処で殺した方がいいかもしれんぞ、朽果(くちか)。吾のことを吹聴されて、困るのはぬしであろう」

「大丈夫ですわ。彼、貴方のことを言いふらすようには見えませんもの。ね?」


朽果と呼ばれた少女は、この異常過ぎる状況に於いても極めて穏やかに、柔らかい微笑みを見せた。
その笑顔は場違いなくらい甘やかで、美しく、少年は刹那叫ぶことさえ忘れたが、それでも安心は出来なかった。

少女は、自分が沈黙を貫くのなら助けると言っているだけ。そうでないのなら、あの影が言う通り――此処で始末していくことも辞さない。
そういうつもりで「ね?」と言ってきたのだろうと、直感的に理解出来たからだった。


ともあれ、最初から誰かに、こんな超常的な存在のことを吹聴する気など無かったし、頼まれもしたくないところだったので、少女・朽果の申し出を受けない理由は、少年には無かった。

影で出来た蛇のような化け物のことなど、誰にも言わない。それに殺されかけたことも、全て忘れる。だから、命だけは助けてくれとブンブン頷く少年と、ただただ微笑みながら解放を促す朽果に、やがて影は締め付ける力を緩めた。

影は少年を殺す気でいたが、殺すか否かの決定権は朽果の方にあるらしい。
いつでも自分の頸髄をへし折る力を持っていながら、体の動きを拘束するだけに留めていたのは、多分そういうことなのだろう。

解放された体の軋むような痛みから、そんなことを感じ取っていると、朽果がぺこりと丁寧に頭を下げてきた。


「驚かせてしまって、申し訳ございません。イミナも、自分が視える方が珍しいので驚いてしまったのですわ」

「あっ、いえ……こちらこそ、いきなり叫んじゃって」


出会い頭に殺されかけたのだ。文句の一つ二つ言ってもいいところだが、朽果があまりに流麗な動作で深々と詫びいれてきたので、少年は逆に申し訳なくなった。


改めて見ると、朽果は本当に絵に描いたような大和撫子であった。

上質な墨の川のような長い黒髪に、深紅のリボン。矢絣柄の着物に濃紺の袴。その大正時代の女学生のような出で立ちは、現代社会に於いては明らかに浮き立つだろうに。この服装こそ彼女の為にあると言わんばかりの似合いようを前にすると、自分の方が異質なものに思えてくるのだから恐ろしい。

少年は、どこか猫を彷彿とさせる朽果の大きな眼に見られながら、こんな人がまだ今の日本にもいるんだなぁ……と思いつつ、その美を蝕む異形のものへ視線を移した。


「ところで……イミナって」


もしかしなくても、その黒い影のことかと指差すと、ぎょろぎょろと蠢く目玉が睨まれ、少年は肩を竦めた。

少年の体に巻き付いている間も、美しい少女の腕に絡み付き、決して離れようとしなかった、この奇怪な化け物。
一体これは何なのか。そう問いかけていいものかと思案する少年に、朽果は傍らの影を、まるでペットを愛でるかのように撫でながら答えた。


「イミナは、私の家が代々受け継ぐ……そうですわね。言うなれば、使い魔のようなモノですわ」

「おい、朽果」

「視えてしまってる以上、最低限の説明をして納得していただきませんと。その方が、後から大変なことになりますわよ」


只ならぬ存在であることは一目見た時から理解出来ていたが、どうやらこの化け物――イミナは、想像以上にとんでもないもののようだ。
化け物である云々以前に、軽々しく他人に教えていいものではない、ということが、朽果とのやり取りでだけで感ぜられる。

そんなものを代々使役しているという家の人間である朽果も、凄まじい人物であることに違いないが、現時点では不透明なことがあまりに多いせいか、少年は此処まできて、悪い夢を見ているような感覚に陥った。
これが現実であるということは、未だ体に残る痛みが知らしめてくれているというのに。


「という訳ですので、答えられる範囲のご質問にはお答え致しますわ。えっと……ところで貴方、お名前は?」


と、暫し呆けていたところで、現実へ引っ張り戻された少年は、朽果の声に弾かれるように背筋を伸ばし、問い掛けに応じ、自身の名を答えた。


「や、柳谷……。柳谷弥晴(やなぎや・みはる)、です」

「おなごのような名前よの」

「イミナ」


よく言われる。小学生の頃はそれが嫌だったが、高校生にもなった今では慣れきったことなので「あはは、ですよねー」と笑って流せるのだが、朽果はイミナを諌めてくれたおまけに、またも丁寧に腰を折って頭を下げてくれたので、少年――弥晴は狼狽えた。

本当に、この見目麗しい少女はただ其処にいるだけで心臓に悪いのだ。そんな美少女に頭を下げられる状況など人生で初めての経験。そして恐らく今後一生無いだろうことなので、慌てふためくのも仕方ない。

そんな弥晴の心情など露知らず、朽果は流れる黒髪を耳にかけ、白い顔を輝かせるような笑顔で自己紹介をする。


「改めまして、彼はイミナ。そして私は、撫子朽果(なでこ・くちか)と申します。以後、お見知りおきを」

「以後があってたまるか」

「こら、イミナ」


使い魔のようなもの、と言っていたので、イミナは朽果に仕えているもののようだが、それにしては随分口が悪い。
主である朽果に対しても不遜な物言いであるし――というか、今になって気が付いたのだが、イミナには口と言える部分が見当たらない。頭部はつるりと丸く、蛇であれば口があるだろう辺りには、繋ぎ目らしきところも見えない。黒くて視認出来ないだけかもしれないが、先程から会話の度、発語する為に動いている箇所さえ見受けられないので、そもそも口が無いのだろう。

しかし、見れば見るほどイミナは奇怪だ。全長何メートルあるのか見当もつかない長い体。塗り潰されたような、質感の感じられない黒。無数に光る目玉。
こんなものを連れていて、朽果は気味が悪くないのだろうかと思いながら、弥晴は魚の骨の如く胸の中に突っ掛る疑念を口にした。


「……あの、やっぱり彼、視えたらまずい系のやつ……なんですかね」

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