モノツキ | ナノ


あまりに突如として私を襲った現実が強烈で、あそこに行くまでのことはよく覚えていない。

あの地獄に引きずり込まれた時、私がまだ四歳だったこともあるかもしれないが。


「さぁさ、皆様ご観覧!今宵お見せますは、悍ましくも美しき人間舞台!
眼を閉ざしたくなるような醜悪と、息を呑むような奇怪をご提供致します!
しかし!これから起こりますことをお忘れなきよう、瞬きせず、息を確かにご覧くださいませ!」


噎せ返るような歓声と狂気の眼差しの中に放り出された瞬間。
頭をせしめた絶望が、平穏だったそれまでを喰ってしまったように、私は思う。


「見世物小屋キヲテラ!今宵も幕開けでございます!!」

「「わああああああああああああああ!!」」





帝都の郊外を少し外れた林道沿いを、一台の車が走る。

夜の闇に溶ける黒塗りのボディにスモーク貼りの窓を見れば、誰もが不安を掻き立てられるだろう。
車種は安物ではあるが、”その道”の人間が乗っていると主張している車は、法定速度に唾を吐くようなスピードで駆けていく。


「あ゛〜ぁ〜、車ってなぁやっぱ落ち着かねぇなぁあ。幅のせいで自由が利きやしねぇ」

「…これも運び屋の仕事の一環です。文句を言わず、運転に集中してください」

「へーへー」


その車内でハンドルを切るのは、常日頃であればバイクを乗り回しているシグナルであった。

落ち着かないと言いながらも実に慣れた手捌きで車を走らせ、そんな彼を適当に相手しながら、後部座席で昼行灯はノートパソコンを睨んでいた。

画面にはLANから発信される周囲のマップと、髑髏路の作った探知機のメーターが映し出され、昼行灯はそれをつぶさに見ては気を引き締めた。
横でぼぉっと頬杖をついているすすぎあらいのようにしている訳にもいかないと。
彼ら三人は、件の土地へと向かっていた。

自分達の仕事を妨害してくれた相手が、火縄ガンのことで食って掛かる自分達を待ち受けているのではないかという目論みで、だ。

その為にシグナルは三人が乗れる車を運転し、昼行灯は敵が道に何か仕掛けてはいないかと、積み込んだ爆破物の探知機を常時チェックしている。

この道を切り抜けた先に待つ同業者を潰すべく、ツキカゲでも指折りの実力を持つ彼等三人は、火縄ガンを討った敵の元へと近付いていった。


その頃、ツキカゲで最強とも言える実力を持つ彼は――。


「…成る程、そういうことでしたか」



腰に得物である刀も差さず、人払いの依頼をしてきたクライアントの前で、薄紅は深く息を吐いた。

汗が止まらず、禿げかかった頭にハンカチを当て続ける依頼主は、彼が依頼の取り下げに不服を言いに来たのでも、金をせびりに来たのでもなく。
此方は此方で仕事をさせてもらうことを伝えに来たので、そちらが知っていることがあれば話してほしい、と言われたのにも関わらず、酷く穏やかに見える薄紅に、恐怖心を覚えずにはいられなかった。

かつて人斬りとして名を馳せていた彼は、その象徴たる刀を持っておらず。彼の後ろには警備員たちを並ばせているというのに。
依頼人はただ一つを除いて、安堵感を得ることが出来ず、ソファに大人しく腰掛けている薄紅の小さな所作にすら怯えていた。


「依頼を取り下げるように向こうから交渉されたのであれば、仕方のないことです。
寧ろ、此方の不手際によりご迷惑をお掛け致しましたことを、社長に代わりこの場でお詫び申し上げます」

「い、いや…そう、気にせんでくれ。君らの誠意は十分に伝わっている…」


通り魔がうろついていると報道された路地裏のような、警戒心を煽る空気の中。
薄紅が丁寧に腰を折り頭を下げる様を見ても、依頼人の心臓は危険信号を打ち鳴らし続けていた。

眼の前でごく普通の企業人のように振る舞う彼が、裏社会に血の道を敷いてきた人斬りだからか――いや、そうではないだろう。


限りなく同じ人種である掃除屋が訪れた時は、こんな胸騒ぎはしなかった。
依頼主の神経が剃刀を当てられたように擦れつつあるのは、此処に来た時から彼が、何かしらに対し殺意を放っているからに違いなかった。


「此方もまさか、相手がモノツキを雇ってくるとは思わなかった。
情報不足が、今回のような事態になったんだ…そちらも、仕方のないことさ」

「…ありがとうございます」


もしそれが自分に向けられていたとしたら、到底耐えられるものではないだろう。乾いた血のような殺気。
それが何処かに向けられていることが唯一、依頼人に安堵を与えていたのだが。
殺意の宛先が分からないという気味悪さが、依頼人に新たな不安を齎していた。


何をそんなに気を張っているのかと尋ねる気も起こらなかった。

それを尋ねてしまえばが最後、ぎりぎりで保たれている均衡が崩れてしまうようで、
依頼人は努めて冷静に、代表としての対応を薄紅へと返した。

だが、それでも背中を削ってこようとする不穏な空気は払拭されない。
これをどうにか振り払わなければと、へばり付く恐怖心を前に、敢えて依頼人は一歩にじり寄るように口を開いた。


「ところで…一つ、聞いていいかね」

「はい。私が答えられる範囲でしたら、何なりと」


此方を見据える深紅の双眸は、そこに敵意こそなかったが、その眼は決して穏やかなものではなかった。

本当に自分を映しているのかも、眼が二つなのかも疑わしく感じる程に、薄紅は何か別の物を見ているようだった。

それが何か聞き出せれば楽なのだが――そう出来ない、したくない依頼人は、
当たり障りのない。しかし、知ってはおきたい疑問を尋ねた。


「…君らは、何故無償でも仕事を完遂する気になったのかね」


彼等裏の人間は、それしか生きる術がないのでこんなことをしている。

表では誰も受けたがらないような仕事を、面倒でも危険でも、金があるから彼等は請け負う。
だというのに、金が発生しなくなった案件を、彼等は面倒と危険を承知で行おうとしているのが、依頼人には疑問であった。

もしかしたら、そこに薄紅が放つ殺気の意味があるのかもしれない。そんな探りを入れる意味も含め依頼人が尋ねると、薄紅は少し驚いたように眼を見開いたが、すぐに表情と、身に纏う空気を張り詰めたものに戻した。

しかしその瞬間から、彼の様子は眼に見えて変わった。


「…早い話がプレゼンテーション、でしょうか」


静かに、だが確実に。薄紅は口元に笑みを浮かべていた。

整った顔立ちに似つかわしくない歪みを湛え、彼は妙に愉しそうに言葉を返した。
彼はこの状況を――会社に於ける窮地を楽しんでいるのか、と依頼人は再び吹きだした冷や汗を拭うことを止めたが。
薄紅は損害を前に喜ぶような性格をしていない。殊、副社長という立場であり、かつ家庭を持つ身では尚のことである。

では、その口を引き攣らせるものは何なのか。


「今回は予想外のトラブルに見舞われ、このようなことになってしまいましたが…。
今後ともお客様に弊社をご利用していただく為にも、我々の誠意と、トラブルが起こった際の対応を見ていただく必要があると…社長は考え、一度賜った仕事を遂げることを選択致しました」


その答えは、彼が背後から風を切ってきたナイフを持つ手を受け止めた瞬間に、垣間見えた。


「言ってしまえば、御社以外の企業へのアピールもあるのですが…まずは、お客様にご覧いただきたいのです。創業八年、裏社会で根を張り枝を伸ばしてきた我々が、小賢しい新参に遅れを取りはしないということを」

「ぎ、ぎゃああああああああああああ!!!」


ぎちぃっと手の甲に筋が浮かぶ程に握られた拳は、ナイフを持った警備員の手首からやがて鈍い音を奏でた。

ボギッと、骨が折られる残響が、絶叫に消えていく中。
ざぁっと青ざめていく依頼人を前に、薄紅はさらに口角を吊り上げた。


今度は眼も、高揚しきったかのように赤さを深く深く燃やして、薄紅はゆっくりと立ち上がった。
背後でガチャガチャと武器が取り出され、銃口や切っ先が向けられるのにも構わずに、薄紅の両目は依頼人を見ていた。

この裏切りも想定の内だと語るその眼を見て、依頼人はようやく自分に殺意が向けられていなかった意味を悟った。

そんな彼の恐怖と後ろめたさを、取り除くつもりなのか駆り立てるつもりなのか 薄紅はより一層笑みを深くした。


「ご安心ください。私共はクライアントには決して牙を剥きません」

「ひ、ひ…あ、」

「大事なお客様というのも限られておりますので…牙は、商売仇へと突き立てさせていただきます」


次の瞬間、薄紅は警備員に扮していた男の手から零れ落ちたナイフを素早く拾い上げたかと思うと、さっと消えた。

鮮烈な赤い残像が網膜を焼く中、はっと気付けば男が一人、首から血を噴出して倒れた。


「んな―――」


警備員に扮していた男達は計四名。
その一人が息をつく間もなく死んだかと思えば、隣にいた男の腹部が裂け、血と内臓が床に零れ落ちた。

あまりのことに男は膝を落とすが、床に膝がつく前に、彼の頭にはナイフが突き立てられた。

その光景を前に、実質最後の一人とも言える男が慌てて銃を構えるが、引き金を引く前に拳銃は縦半分に斬られてしまった。
そして、鋏で裁たれた紙のように、断面図を見せる銃が落ちる間もなく、見開かれた男の眼にナイフが深々と食い込んだ。

いっそ鮮やかなまでの殺戮は、辺りを瞬く間に血で染めた。

転がる三つの死体を前に、最初に手首を折られた男は口を魚のようにぱくぱくとさせた。
これが絶句というやつだろう。想定外の展開に、もはや彼の頭は機能する気すら失っていた。


「…刀さえなければ、俺でも殺せると思ったのだろうが…お前らが武器を提供してどうする」


返り血を浴び、更に赤に染まる薄紅が齎す恐怖を前に、男は震えることすら出来なかった。

精確には、震えが奔る前に彼もまた、骸の仲間入りを果たしたのだが――そんなことは薄紅にはどうでもよいことだった。


「ヒャッハハ、TELの野郎の言う通り、やっぱり交渉役には人間のお前が使われんだなぁ!」


薄紅は男に突き立てたナイフをすぐさま引き抜くと、血の軌跡を描きながら、向かって来る何かをギィンと弾いた。

前髪が視界になっている方向から来るそれが何か、薄紅は認知出来ていない。
それでも向かってくるのであれば断たねばならないと、薄紅は踵を返しながらナイフを振った。

結果、ナイフは思わぬ力により弾き飛ばされてしまったが 一発を防いだお蔭で何が来たのかを知ることは出来た。


「噂は伊達じゃねぇんだなぁ、人斬りシザークロスさんよぉ。いや、今はヒハラ・シュウイチか?」


ガシャンガシャンと音を立てて笑うその男と、手に嵌められた鉄製のメリケンを見て、薄紅はギッと目付きを変えた。

恐らくは来るだろうと此方も推測していた。だからこそ、薄紅は此処に遣わされたのだ。
此方の失脚を目的に、貴重なクライアントを奪おうと目論んでいるであろう敵を――例の三人組の一派を討つ為に。
モノツキ三人組の誰かか、或いは彼等に雇われたゴロツキが来ることを想定し、
昼行灯は最高戦力とも言える薄紅を、交渉へと向かわせた。

しかし、主犯格である三人組の一人――檻頭のモノツキ・ケージが此処に置かれていたこと。
そして、彼が”人斬りシザークロス”という名に合わせ、かつてつくも神に奪われた名を口にしていたことから、敵がここまで本気で此方を潰そうとしてきていることは想定外だなと、薄紅は眉を顰めた。


「暗殺にはナイフのがいいと思って持たせたんだが、裏目に出ちまったなぁ。
まさか刀使いがナイフまで使えるたぁ思わなかったぜ」

「…人のことを随分と調べてくれたようだな」

「お前だけじゃねぇさ。ツキカゲにいる連中のことは、調べに調べてあんだぜ〜」


相手に手の内が知られるということは、それだけ勝ち筋が潰される可能性が拡大するということだ。

加えて、本来知られる筈のない情報を得ていることから、彼等に能力があることも知れる。


「それはご苦労なことだ」


薄紅は微かに痺れる手の感覚を感じながら、やはりこの仕事はタダでは釣り合わないなと、ここに来て初めて苦笑した。

カシャン、と歯を軋らせるようなケージの哄笑音と共に、血垢のついたメリケンが光った。


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