モノツキ | ナノ


稀代の奇人と謳われたあの人は、まるで火が点いた紙のような人だった。


「惜しい人を亡くしたな…」

「五十年に一人の奇才を失うとは…業界も荒れそうだな」


ちりちり、その身を蝕まれながらも、周囲を巻き込む程に大きく燃え盛り。
あっという間に灰となり、この世から消えた。


「彼の遺した絵画も、また値が変わる。恐らく、今の倍…いや、それ以上の価値が」

「どんな物でもいい!持ってくれば買い取る!!彼の作品を是非売ってくれ!!」


周囲に焦げ跡を残しておきながら、彼自身は影も形もなく。
その火を伝染された人達が、炎上するように騒ぎ立てるのを見ながら。

私は、あの人はこの世に何を遺せたのだろうと。主を失った湿っぽい部屋で、一人考えていた――。




「探し物、ですか」


その日、ツキカゲ三階オフィスには来客がいた。

現在床の掃き掃除をしているヨリコも見知っている、無精髭を蓄えた黒髪の男。
思い返せば彼と最初に出会ったのも随分と前になる。

初めて出会った日に着ていたコートが、薄手のスプリングコートになっているのが季節の流れをヨリコに感じさせた。


「あぁ。お偉いからの依頼なんだが、表で動き回る訳には行かない品でな。是非、お前らに頼みたいんだが」


応接間、昼行灯の向いに腰掛ける仲介人・ハルイチは、煙草に火を点けながら実に困ったと言う顔を作った。


話からするに、今回もまた随分と面倒げな仕事を持ち込んできたハルイチだが、
実際処理する側ではない彼がそんな顔をする辺り相当なのではないかと推察される。

探し物、と聞いて少しばかし気を抜いていた昼行灯の頭の炎が、やや不穏げにゆらぁっと揺れた。


「勿論、ハルイチさんからのご紹介とあれば喜んで受けさせていただきます。…いつぞやよりは、まだ楽そうですしね」

「いつぞや…って、あぁ、あれか。ホウジョーの件はホント、ご苦労だったな」


昼行灯が少しばかし毒気を混ぜて言ったのは、ヨリコが初めてハルイチに会った時持ち込まれた依頼のことだ。

あの時は運送を頼まれ、号泣する幼児を革命家のもとまで運ぶ為、武装集団とカーチェイスを繰り広げる破目になり。
その一連が切っ掛けで危うくヨリコはツキカゲから離れることになりかけ――。
今更ながら、蒸し返して嫌味の一つでも言いたいところであった。

カカカ、と笑ったハルイチも、流石に昼行灯が此方に送る視線のようなものが笑えるものではなかったので表情を固め。
承諾を得たのなら仕事の話を進めよう、と昼行灯の前に茶封筒を一つ差し出した。
そのままハルイチが笑い続けていたのなら乱暴にふんだくっていたところだが、昼行灯は大人しくそれを受け取り、中を取り出した。

先日封筒の中身でいい思いをしていない彼は、また薄い本が入っているのではといらぬ警戒をしたが、今回の中身は全てコピー用紙だった。


「…これは」

「お前さんなら知っているだろう?」


まず安っぽい紙に印刷されていたのは、絵だった。昼行灯の頭の硝子に映る、血を落としたかのように赤い、油絵。

ただのコピー用紙にありながら、此方を燃やし尽くさんばかりの迫力を放つ絵画に、昼行灯は小さく息を呑んだ。


「今回探し出してほしいのは、稀代の天才油絵画家コウヤマ・フミノリが描いた”幻の絵”とも言われている作品だ」


コウヤマ・フミノリ。多少なり芸術面に知識ある者であれば、その名を知らぬ者はいない、近代美術の巨匠である。

群青のコントラストが掛かった帝都を平らげる炎と、真っ赤な空が描かれた代表作”全焼世界”を始め、雨の降りしきる重い灰色の空に、嫌味な程に鮮やかに孔雀の羽根が描かれた名作”望まれぬもの”と、人間の本心を抉り出すかの如く挑戦的であり、圧倒される程不気味な作品の数々は、帝都中に凄まじい衝撃を与えた。
荒々しいタッチで描かれた風刺画たちには何れも破格の値がつけられ、現在も上級社会では彼の絵を持つことは大きなステータスであると言われている。


そんな華々しい栄光を得て、帝都美術史にその名を刻んだコウヤマ・フミノリであるが。
彼は非常に偏屈で、変わり者であると有名だった。

まず、恐ろしい程の出不精で、人付き合いを心底嫌っていた。
雑誌のインタビューをせがまれれば電話で五分のみの受け答え、表彰式があろうと展覧会があろうと挨拶に回るのはマネージャーである彼の兄。
どうしても外に出て、人と話すということをせず。ただただ自宅に籠って作品製作に没頭していたという。

しかもその自宅というのが、舞い込む札束にそぐわぬ質素極まれりなアパートの一室で。
帝都立総合美術大学時代から住み続けていたという築三十年過ぎのアパートが、三億の値で取引された名画たちが生み出されるアトリエであった。

友人を持たず、恋人も持たなかった彼の部屋には、隣人や大家ですら近付くことはなく。
兄の手により厳重に人払いがされていた為、報道陣が来ることもほとんどなかった。
一日に一度、親縁者が世話の為に出入りする程度で、コウヤマ・フミノリはほとんど人と接することも、外出することもなく。
三十代半ばにして、突然の病により命を落としこの世を去った。


奇人変人と呼ばれていたこと、そして三十代半ばという若さが彼の死を鮮烈なものとし。
コウヤマ・フミノリの作品は彼の死後、爆発的に値を上げ、高額取引が行われた。
作風の影響か、彼のファンには熱心な者が多く。
彼の作品を手にするべく裏社会の者を動かし、実力行使で絵を得た人間もいたそうだ。
故に、闇に生きる者達の間では、コウヤマ・フミノリの絵とは、額に納められた札束として見做されていた。

誰もが彼の絵画を求め、この世に五十とない彼の作品は金の血を犠牲に、より一層、その蠱惑的な魅力を増長しているのであった。


「残された作品が少ないが為に、コウヤマ・フミノリの絵はどれも幻の絵と呼ばれるに相応しいが、今回お前らに探し出してほしいのは、その中でも一線を越える。
何せ、死後五十年経ったつい最近、ようやっとその存在が知られたような代物だからなぁ」

「…最近に、なって?」


昼行灯も裏に身を置くものとしてだけでなく、一個人の趣味としてコウヤマ・フミノリの作品はよく知っていた。

モノツキという身分上、展覧会になど行けないが、ウライチで作品集などを買い集めて、
気が向いた時に眺める程度には昼行灯は美術鑑賞を好む。
その買い集めた作品集の中でも、特にコウヤマ・フミノリの作品は印象深く。
目を焼くような色使いや、鬱然としていながら力強い絵の数々は、どれも非常に衝撃的であったが為に、彼の作品はおおよそ把握している。

コウヤマ・フミノリの絵が依頼品であると知らされた瞬間から、どれを探してくればいいのかと思案していた昼行灯だが。
ハルイチがさらに告げた言葉は、頭の中に展示されていた作品を次々と、思考の画廊から落下させていった。

そして、ぼろぼろと絵画たちが落ち、すっかり閑散とする頭の中。
たった一つだけ、昼行灯の脳裏に、濃い靄が掛かって姿の見えない絵が浮かんでいた。


「まさか…探し出してほしいというのは」

「そう。生涯抽象画だけを描いていたコウヤマ・フミノリが唯一描いた肖像画…それが、今回の依頼品だ」


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