モノツキ | ナノ

何一つ変わらないものはない。

大事に囲っていようとも、手の届かない場所へと移されようとも。
瞬きしている間に、全ては容赦も情緒もなく、変わる。



「……………」

「……………」


月光ビル三階オフィス、応接間。

いつもはクライアントや仲介人と向かい合い、交渉や依頼内容について話し、来客のいない時間には社員達が茶菓子を広げ、雑談混じりに休憩をするスペースだが。
その日は、雰囲気から何からまるで違っていた。


「………あの、ヨリコさん。此方の方は一体……」

「おいオッサン!気安くヨリコを名前で呼んでんじゃねーよ!セクハラで訴えんぞ!!」


バァン!とテーブルが叩かれ、その衝撃が伝わったかのようなタイミングで、昼行灯の体が軽く跳ねた。

無明の迎え火、裏社会の深淵、人外中の人外と言われて来た彼が。帝都の闇に生きる者に恐怖を植え付けた彼が、オッサンと呼ばれセクハラだと糾弾される。
何がどう間違ってこんな事態になってしまったというのか。

怒鳴られて縮こまってしまった昼行灯にも、申し訳なさそうに視線を床に落とすヨリコにも、離れたところで笑いを必死に堪えている社員達にも、分かりはしなかった。


「おいヨリコ、こんなのが雇い主でお前大丈夫なのか?オッサンにセクハラされて、嫌な思いしてんじゃねぇのか?」

「だ、大丈夫だよ!それに、昼さんはオ…オジサンじゃないし、セクハラなんてしてないよ!」


ヨリコは両手をぶんぶんと振りながら、昼行灯を擁護する。

自分が庇ってもらえたことに昼行灯は一先ず安堵したのだが、それも束の間。
ヨリコの隣から、鋭い視線が彼に突き立てられた。

モノツキという立場になってから、あからさまに敵視されることにもう慣れていた昼行灯だが。
今日この日、彼に浴びせられた視線は今までのそれとは、毛色がやや異なっていた。

例えるなら、それは母ライオンの眼である。自分の子供に近づく者は容赦なく食い千切るぞと、此方を牽制する。
そんな刺々しい殺気めいたものが、昼行灯に向けられていた。

彼のよく知る、嫌悪感や不安から来る敵意とは正反対の、攻撃的な視線。
思わず気圧されるその気迫に、昼行灯は下手に口が開けない状況にあった。

何か一言でも喋れば、すぐに噛み付かれそうだ。
それこそ先程のように、どんな些細なことでも、牙を剥く理由と見做されてしまうだろう。

お手上げ状態の昼行灯を余所に、ヨリコとその隣の――ショートカットの女子高生は、会話を続けていた。


「昼さん?!おい、ヨリコ!まさかとは思うがそれあだ名じゃねぇよな?!」

「え、えっと…あだ名っていうか、愛称っていうか…」

「やっぱりセクハラだこのオッサン!女子高生に自分のこと愛称で呼ばせて喜んでんじゃねぇぞてめぇ!!」

「もう、違うってばぁ!落ち着いてよケイちゃーん!」


廃れた空気のオフィスに響き渡る、女子高生二人の声。
その前で頭を抱え込んで沈むオッサン(仮)に、それを見て、ついに腹を抱えて声を出さずに笑う社員達。

帝都第二地区八番街、月光ビル。本日は春の陽気にそぐわぬ、荒れ模様である。




「す、すみません…もっとちゃんとした形で紹介したかったんですけど……」


場が鎮まり、ようやくヨリコが切りだせたのは、昼行灯がオッサンと言われてから二十分が経過してからだった。


彼女の必死の説得により、轡を噛まされた猛犬状態になった少女は、自分を抑えつけるように腕を組んで黙っていた。
心なしか、彼女の後ろにトゲのついた厳つい首輪つきの闘犬が見えるのは、多分気迫が似ているせいだろう。
昼行灯はいつ襲い掛かられるかと警戒しながらも、おずおずと話を切り出したヨリコの方へ視線を向けた。

隣の少女を見た後だと、ヨリコはまるで大型犬に振り回される飼い主のようだった。散歩の時に引き摺られていそうな。

そんなことを思う余裕はなかったが、そんなことでも思っていたくなる状況であった。
セーラー服を着た猛犬に睨み付けられては、多少の現実逃避もしたくなるものだ。致し方ない。


「えっと…この子は、私が小学生の時の友達で………」

「…イヌイ・ケイナだ」

「は、はぁ……」


犬のようなど比喩してみれば、本当にイヌのつく名だとは。
昼行灯は何か申し訳ない気持ちになりつつも、勝手に納得してしまい、結果、妙に煮え切らない返事をしてしまった。

それにしても、少女イヌイ・ケイナの態度は不遜というか尊大というか。
立ち入った者のほとんどが竦み上がるこの事務所に於いても、まるで臆する様子なく。
自分の縄張りにいるかのような態度は、まさにボス犬である。

ざっくりと切られあちこち撥ねている茶髪、皺寄せられた眉間と吊り上った眼が織り成す険しい表情。
ヨリコと同じセーラー服の上に、ベージュ色のカーディガンを羽織っていながら、その立ち振る舞いはガーディアンときている。


同じ女子高生というカテゴリーにしていいものか一瞬迷ってしまうが、ともあれケイはヨリコの同級生であり、更に突き詰めれば幼馴染、と言ってもいいだろう。

しかし、小学生の頃に親戚に引き取られ、引っ越したヨリコの友人が、遠く離れた高校に通っているものなのか。
そんな疑問が浮かんだ頃には、その答えはヨリコの口から語られた。


「ケイちゃんは、私が転校して時以降会っていなかったんですけど…お父さんのお仕事の都合で引っ越すことになって。新学期に合わせて転校して、私と同じクラスになって…久しぶりに再会出来たんです」

「成る程…」


そう言われ、昼行灯はヨリコが先日から高校二年生になったということを思い出した。
つい一週間程前、簡素ながら社員達と彼女の進級祝いをしたのも記憶に新しい。

時の流れとは早いもので、もう彼女も高校二年生になり、世間は新学期シーズン。
日々同じようなことを繰り返し繰り返し片付けていく社会人とは違い、学生諸君は新しい生活が幕開けていく一年の始まりである。
その流れに乗せて、遠く離れた地から転校生がやってくるのも、珍しくはない話だ。

昼行灯は、自分を置き去りにするようなスピードで進んでいく季節の流れに、小さく溜息を吐いた。

そんな彼の向いで、昼行灯とケイナを交互に見て。ヨリコは社員達の困惑と好奇混じりの視線を感じながら、ゆっくりと口を開いた。


「それで…えっと、なんで此処に連れて来ちゃったのか、っていうとですね……」

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