モノツキ | ナノ
サメジマは、背後でびくりとホノカが肩を跳ねさせるのを感じながら、捲った袖を元に戻した。
戻したところで、無かったことには出来ない。それは分かっていたが、両腕の刺青で、ホノカを怯えさせるのは忍びなかったのだ。
「俺ぁ、ヤクザみてぇな人なんじゃねぇ。ヤクザそのものだったんでさぁ。……今まで黙っていて、すいやせんっした」
サメジマは、ヤクザである。
例え先程の取り立て人達や、ホノカの父親とは圧倒的に違うものだとしても、ヤクザである事実には何ら変わりない。
彼は、ホノカが恐れ、嫌悪し、拒絶する、ヤクザである。
「借金の件は俺が同業のよしみで話をつけるんで……あんたは、この店で…変わらず花を売り続けてくだせぇ」
それを知られることを何よりも恐れていたサメジマだが、ホノカの危機を前に、恐怖は意味を為さなかった。
ヨリコの後押しもあっただろうが、自分がその素性を明かすことでホノカを守ることが出来るのなら。そう考えるまでもなく、サメジマは行動に出ていた。
だからだろうか。もう崩壊してしまった現状の中にあっても、サメジマは冷静で、その胸は非常に晴れ渡っていた。
ホノカに嫌われることに怯え、自身の身分を隠そうとしていた時よりも、彼は生きた心地がしていた。
大切に守り、育もうとしていた恋を、自らの手で壊してしまったとしても。何よりも尊いホノカという存在を救うことが出来たのなら、後悔はない。
だから、サメジマは一切の悔いも残さないようにと、最後に彼女に掛ける言葉を決めた。
「俺ぁ、花に囲まれて笑顔を咲かすあんたが…ずっと、好きでしたぜ」
こんな言葉を掛けられても、ホノカは傷付くだけかもしれない。
けれど、せめてこの想いを口にすることだけは赦してほしいと、サメジマは頭を下げて、店を後にするべく一歩踏み出した。
もう、此処にはいられない。自分はあるべき場所へと戻って、あるべき姿で過ごさなければならないのだ。そう躊躇わず、歩きだそうとしたサメジマの足を止めたのは――
「………分かってましたよ、サメジマさんがヤクザだってこと」
殴りつけられたような衝撃にサメジマの足が止まるのも束の間。気付けば反射的に彼は振り向いて、ホノカを見ていた。
幻聴か、そうでなければ聞き間違いかと思い、彼は尋ねるようにホノカを見詰める。
だが、此方から目を逸らさずにいる彼女は、言葉に何等間違いも偽りもないことを、その視線で如実に語っていた。
疑いようもなく真剣なその瞳に映る自分が、これ以上となく困惑しているのが、サメジマには分かった。
そのくせ取り乱さずにいられるのは、先に、もう駄目だと踏ん切りがつけられたからだろうか。
だとしても、サメジマは、ホノカの真意を問い質さずにはいられなかった。
「な、なんで…」
「……貴方がいない時、近所の人から聞いたんです。よくお店に来ているあの人は、ヤクザだって……」
そうでなくとも、見た目からして明らかにカタギではないサメジマを、ホノカが疑わない訳がなかった。
そんなところに、近隣住民からの声があれば、王手である。
しかし、サメジマが分からないのはそこではなく、何故自分がヤクザだと知りながら、ホノカが今日まで普通に接してきてくれたのかで。
戸惑う彼が、問う言葉に詰まる中。求める答えは、ホノカが自ら口にした。
「でも、サメジマさんは……とても…、優しい眼をしていたから……」
ヤクザ嫌いの本能に従い、サメジマを真っ先に排他すべき存在と見做していたのなら、きっとホノカは最初からそうしていただろう。
花を見に来たサメジマに自ら話しかけたりせず、ただ会計を穏便に済ませる為にと、必死に嫌悪感を押し殺していただろう。
だが、彼女はそうしなかった。そう、出来なかった。
「初めてお花を買いにきてくれた時からずっと、そう思ってました…」
「ホ…ホノカさん……」
少し目を伏せると、睫毛の影の向こうに浮かぶ情景がある。
店先に飾った花を真剣に見詰め、思い悩み。自分が声を掛けると、戸惑いながらもぎこちなく笑った彼の姿が。
あの日、あの時、あの瞬間。サメジマが強烈にホノカに惹かれたように彼女も、また――。
「私も………サメジマさんのことが、ずっと前から好きでした」
ホノカは、真っ赤になった顔で、にっこりと微笑んだ。
全ての影を取り払い、絶望に立たされていた自分を救ってくれたサメジマに対し、包み隠さず心を開いて、彼女は笑った。
それを眼から脳へと伝達された瞬間。自分の素性を明かしてから沈んでいたサメジマの情熱が、一気に爆ぜた。
「だから、貴方が来てくれて…私を守ってくれて……本当に、嬉しかったです」
「……ホノカさぁああああん!!」
「うわっ!?」
だばっと滝のような涙を流し、おいおい泣き咽びながら、サメジマは渾身の力を込めてホノカを抱きしめた。
これが夢や幻ではないことを確かめるように、彼女に受け入れられた喜びを感じながら、サメジマはホノカの名前を連呼し、
パワフル極まれるサメジマの愛情表現にホノカは息を詰まらせながらも、取り敢えず彼を宥めねばと、どうどうと暴れる動物を宥めるように、彼の背中を撫でたのだった。
「いやー、いい教訓でしたね、社長」
こうして、サメジマ・ジョージの持ち込んだ依頼が無事達成出来た…というには些か疑問だが。
とにかく晴れてホノカと結ばれたサメジマからそれはもう感謝されたツキカゲは、この案件の達成を大いに喜んでいた。
カイドウ組という強力な繋がりを得て、更に今後見習うべきお手本も出来たのだ。
この空気で居心地が悪いのは、サメジマの成功によりプレッシャーを掛けられる昼行灯だけであった。
「やっぱり恋は押しですよ押し!躊躇しないでガツンとぶつかってこそ、発展するものがあるんですって!!」
「…当たって砕けろ、と言うのですか……」
「砕けちゃダメですよぅ!当たって抱き留めてもらわなきゃ!」
「……もらわなきゃと言われましても」
何事に関しても優秀であった昼行灯は、齢三十手前にして初めての”見習う”という行為に、非常に胃を痛めた。
先人を手本とし、同様に成功を収めなければならないという義務感と、それが自分に出来るのかという不安に、準えて行動しても叶う訳ではないという恐怖。
それらをどう乗り越えればいいのかと悩む彼を更に苦しめたのが、一週間後サメジマから送られてきた手紙で。
毛筆によりびしっと認められたそれには、「結婚しました」という字体にまるで不釣り合いな文字が君臨し、
同封された袴姿のサメジマと、白無垢を纏ったホノカの幸せそうな写真が、きりきりと昼行灯に重圧を掛けていた。
「まぁ、流石にここまでしろとは言いませんから……まずは一歩、前進しましょう」
「………そう言ってくださって、本当によかったです」
告白から一週間で結婚という異常なお手本通りには決してなれないし、ならないだろう。
昼行灯とサメジマは、やはり同じようでまるで違うのだ。だから、昼行灯は昼行灯なりの、押しの姿勢が必要なのである。
ではその姿勢はどんなものにすべきか。
考えて、それで終わるなという社員達からの無言の圧力に曝されながら、昼行灯はぼそりと呟いた。
「……いいですね、結婚」
色々と重いその言葉に、社員達は苦笑いすることしか出来なかった。