モノツキ | ナノ




「ホノカさん!!」

「サ、サメジマさん……」


ツキカゲから花屋まで、全速力で走ってきたサメジマに、ホノカは眼を見開いて驚いた。

だが、息を切らしながらも、口にしたくない思いに喉を絞られながらもサメジマが口にした言葉に、彼女は更に驚くことになる。


「き……、聞きやした。この店、借金のカタに売られそうだって…」

「――……っ!」


どうしてそれを、と尋ねる前に、彼女の顔から血の気がさぁと引いた。

自身に迫り来る悍ましい現状を痛感してしまった為か。ホノカは青白くなった顔を俯かせ、消え入りそうな声でぎこちなく答えた。


「……そう、なんです」


花屋には、店に出ていたホノカと、突如押しかけてきたサメジマしかいない。

他に聞く者がいない中で、事実を誤魔化す理由もなく。それに、有耶無耶な答えをすることを許してくれそうにない気迫を、サメジマは持っていた。
何より、話したところでもう何も変わりはしないのだからと、タチバナ・ホノカはただ事実を述べることを選んだ。


つらつらと、今の自分の現状を話して、それで終わりだと。


「で、でも大丈夫なんです!私が相手の言う通りの場所で働けば、このお店は見逃してもらえるって話になったので……」


自ら縁を切ってきた筈の父親が、自分の都合だけで此方に這いよってきて。
その呪縛から解き放たれ、漸く自分達の人生を歩き出したと思った矢先に、再び足を引かれ。
明るい未来と共に行く筈であった大事な店を、彼が作った借金の担保にされ――母と決死の思いで守ってきたこの店を守る為、自分は身を捧げる。

決定した道筋を、ただ口にすれば、それで終わりだ。そう、終わりなのだ。


「…本当に、どこまでも私達の邪魔ばっかして……」


こんなことを言ったところで、誰も救いの手を差し伸べてはくれない。
可哀想に、何か出来ることがあればなどと綺麗ごとを並べても、実際に自分達を救ってくれるものなどいないのだ。

だから、タチバナ・ホノカはここで終わるのだ。辛い時常に隣にいた母と、二人で築いた大切な店の為に、娼婦に堕ちて。


「あんな人、大嫌い……あの人と関わってるヤクザも………大嫌い…っ」


全く理不尽極まりない理由で、こうも一人の人間に苛まれてしまうなど。まるで納得が出来る訳もなく、ホノカはギリッと歯を食い縛った。


諦めて、妥協して、認めたところで、受け入れられるものではない。

誰よりも幸福を望み、誰よりも自由になることを求めていた彼女が、何よりも嫌悪している存在により深い闇に囚われるなど、これ以上とない屈辱なのだ。

もう他に手がないと分かっていても、身を売ることを自ら選択したとしても、憤る思いを、己の運命と無情な世界を呪う気持ちは抑えられない。


救われない己も、救わない他人も含めて、全てが憎らしくて仕方ない。そんな想いを必死に噛み殺し、ホノカは理性を保っていたのだが。


「なら!!」

「…キャッ!?」


頭の中に犇いていたものは、一瞬の内に霧散してしまった。

思考よりも強い、彼女の肩を抱く強い力が脳に奔り、同時に混乱がすみやかに浸透していった。


最早停止に向かうだけの筈だった彼女の心臓が、大きく動いた。

ただ動くだけの、生きているだけの体が、しっかりと握られた肩から伝わる熱によって、血の通う感覚が強く感ぜられた。


ホノカは、何故こんなことになっているのかと、見開いた眼で自身の肩を抱くサメジマを見た。

此方を見詰めるサメジマの眼は、サングラス越しでもはっきりと分かる程に、真っ直ぐで。
そして、彼の声や言葉もまた、触れれば灼かれてしまいそうな熱気に満ちていた。


「俺が、そいつらからあんたを守ってやりまさぁ!あんたの嫌う連中は、皆……この俺が!」

「サメジマさ……」

「よぉお、お取込み中失礼するぜぇ〜」





ガシャン!と大きな音と共に、店の入り口に置かれていたバケツが倒れた。

床に水がぶちまけられ、活けられていた花が横たわる中。全てを踏み拉く不遜者の足が、ぐしゃりとそれらを潰した。


「売られる前に恋人と最後の抱擁ってかぁ?ん〜、泣かせてくれんなぁ、ホノカちゃん」

「あ、貴方達……」


卑しさを存分に含んだ声と、此方を品定めしてくる眼に、ホノカはどっと嫌な汗を掻いた。


嫌悪すべきものに直面した時の、体中を舐めつくされるような嫌な感覚と、爪先からせり上がる恐怖が、彼女から取り戻した筈の体温を急速に奪っていった。

それを見抜いたサメジマは、不躾に店にずかずかと上がり込んできた男達を強く睨み付けた。


下卑た笑みを浮かべる男達は皆、ホノカの父親が金を借りた闇金融の者で、揃いも揃ってその風貌はカタギの者ではなかった。
同族か、と思うサメジマの隣で、ホノカは大きく震えて、眼がすっかり泳いでしまっている。

そんな彼女の様子が面白いのか、取り立てのリーダー格らしい男は、愉しそうに口角を上げて笑う。


「でもぉ、涙で借金は消えないからなぁ〜。カワイソーだが、今夜から店の方に出てもらうぜぇ?」

「う、」

「下がっててくだせぇ、ホノカさん」


そんな悪意に満ちたものの前に彼女を曝せない、とサメジマはホノカを庇うようにして前に出た。

すると、その行動が癇に障ったのか、男がぴくりと眉を上げるが、サメジマは当然そんなものに竦みはしない。


「おいてめぇら。このお人は、父親の保証人じゃぁねぇんだろ?この店は、向こうさんが勝手に担保にしたって話らしいが…」

「あーーん?だったら何だってんだよ?」


相手も、サメジマの風体から彼が一般人ではないことは分かっている様子だが、それでも彼等は気付いていなかった。

リーダー格の男は一回り背の高いサメジマの胸倉を掴み上げ、得意の睨みを利かせて彼を威嚇する。


そんなものが通じる相手ではないと、まだ理解していないが故に。


「あのポン中にゃ、他に売れるものなんざねぇんだ。なら、あいつに関わるモンを頂戴すんのは当然だろ?
俺らだって、あいつが金を借りなきゃ手は出さなかったさ。でも、あいつが借りちまったからには仕方ねぇよなぁ?」

「…てめぇで返せねぇ金を貸し付けたのは、てめぇらだろうが」

「うるせぇ!!グダグダ屁理屈こねてんじゃねぇぞ!!文句があんならてめぇが金を……」

「その金を返す必要が、このお人にねぇから言ってんだろうが!!!」


指先一本動かすことなく、ただの怒号でサメジマの胸倉を掴んでいた男の手が離れた。

びりびり、花を飾るショーウィンドウやバケツが震える中、サメジマはここに来てようやっと、状況が掴めてきた男達に、更に畳みかけた。


「金を借りる奴は、果たすべき責任を背負って借りるもんだ。その果てに破滅しようが、そりゃあ自業自得だと俺は思う。
だがな、その責任が背負うことすら出来ねぇ奴を利用して、関係のない人間を巻き込むなんざ、仁義に欠ける!!ヤクザもんとして、てめぇら恥を知りやがれ!!」

「んだと、て……」


有事の際にと懐に忍ばせていた小刀を取り出そうとしたところで、男達はついに気が付いた。


正確には、サメジマがシャツの袖を捲り上げて、彼の腕に掘られた刺青を見た瞬間。

その名を知らぬものは彼等の業界にはいない、両腕に荒れ狂う波の彫り物を持つ、鮫突猛進と呼ばれる男が目の前にいることに。


「てめぇら、このお人に指一本触れてみやがれ!!」


仁義に生きる大侠客、乱世を行く極道が牙。外道を引き裂き、不義理を砕く、その男。


「ホノカさんを泣かせる奴ぁ、カイドウ組が若頭、このサメジマ・ジョージが、ぶっ潰す!!」

「「ぎゃ、ぎゃあああああああああああああああ!!!」」


一介の取り立て人に過ぎない自分達が、極道の大物たるサメジマに向かっていたことを自覚した男達は、我先にと逃げ出した。


途中、自分達がぶちまけた水に足を取られて盛大に滑って転んでも、構うものかと走る様はいっそ賞賛に値する見事な逃げっぷりであるが
それを評価する余裕は、サメジマにもホノカにもなかった。


「…そういうことなんでさぁ、ホノカさん」


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