モノツキ | ナノ
優しく頭を撫でられた。壊れ物に触れるような、それでいて力強い手つきでティーポッドの蓋を撫でながら、その人は何も怖がる事は無いのだと言うように微笑んだ。
「大丈夫よ。貴方には、ちゃんと幸せになれる権利があるわ。だから彼氏も、茶々子ちゃんに手を伸ばしたのよ」
彼女達は、茶々子の事を殆ど何も知らない。何故ティーポッドのつくも神に呪われたのかも、此処に来る前は何処で何をしていたのかも、妙に自分を卑下する癖があるのかも。
気にならないと言えば嘘になる。だが、彼女がそうなるに至るまで、酷く傷付いた事は分かる。
だから、何も聞かない。
知らなくても、理解出来る。普段の一挙一動から感じ取れる彼女の人となりは、誰かに石を投げられ、唾を吐き捨てられていいものではないと。
例え茶々子自身が、そうされるべきだと思っていても、そうされるべき罪を犯していたとしても、それは過ぎたる罰だと断言出来る。彼女は真面目で、繊細で、気配り上手で、人の感情の機微に敏感な、優しい子だから、と。
「怖がらなくていいの。貴方は自分の過ちにきちんと向き合って、償える人だから。だから、幸せになってもいいのよ、茶々子ちゃん」
我慢しようとしても、堪えきれず涙が零れた。それは注ぎ口からぽとぽと落ちる水滴に見えているだろうに、二人が身を寄せて、顔にハンカチを当ててくれる事が嬉しくて、ますます涙が溢れる。
今日は朝から泣きっぱなしだ。”憑坐”を脱いだら、さぞ酷い顔になっている事だろう。泣き腫らした瞼の重みを噛み締めながら、茶々子はすんすんと鼻を啜った。
「もぉ〜!泣かないの〜!ほら、注ぎ口からポタポタ垂れちゃってるわよ〜!」
「す……すみません……」
「謝る事ないわよ〜!それより、お祝いしましょう、お祝い!」
「名案だわ、それ!よーし、そうと決まればちょっとケーキ買ってくるわ、私!」
「え、えぇっ!?そ、そんなお祝いなんて」
「いいから、いいから!すぐ其処に美味しいケーキ屋さんあるから、ぱーっと行ってくるわね〜!」
ケーキを買ってきてもらう程の事でもない、と茶々子が制止するのも聞かず、その人は食べかけの弁当をそのままに休憩室を飛び出した。
その勢いに気圧されたのか、向こうから「うおっ?!」と驚いた声が聴こえ、間もなく、呆気に取られた顔――をしているのであろう、箪笥頭のモノツキがコンビニの袋片手に現れた。
「イヌイさん、何処行っちゃたの?」
「ケーキ屋さんよ〜」
「え、なんで今?」
「そりゃ、善は急げって言うからよ」
「??」
何の事だかさっぱり分からないが、悪い事は起きていないのだろう。
相も変わらず仲が宜しいようで何よりだと、箪笥頭のモノツキは適当に空いた席に腰かけ、おにぎり片手に携帯電話を弄る。
――今日もおばちゃん達と仲良く飯食べてます。
これが最後の報告となると告げられたのは、それから数時間後の事だった。
結局のところ、どうしたって加害者が得をするものだと思っていた。
人の尊厳を踏み躙った者にも尊厳がある。
そんな不条理が罷り通っているのだから、自分本意に生きた方が良いに決まっている。
傷付けられるより傷付けるべきだ。
虐げられるより虐げるべきだ。
騙されるより騙くらかすべきだ。
奪われるより奪い取るべきだ。
犯した罪に見合うだけの罰が降りかかる事など、在りはしないのだから。
そう、思っていた。
こんなにも罪深い自分にも、世界は優しく微笑みかけてくれるのだと痛感させられる、今日この頃までは。
「……かなわないなぁ、もう」
誰にも許されたくないのに。光の当たらない場所に一人で居たいのに。
そんな願いを、食べかけのサンドウィッチと共に頬張った。
不格好なフルーツサンドは、涙が滲んでも尚、思わず笑ってしまう程に甘かった。