モノツキ | ナノ


人払いの為にこの地にやってきた火縄ガンを待ち受けていたのは、TELら三人のモノツキだった。

まさか相手が自分達のような人間を雇っているとは思わなかった火縄ガンだが、
受けた仕事を妨害する相手ならば殺してもいいだろうと、歓迎されるはずのないトラブルに喜んで首を突っ込んでいった。

当然、三人同時に相手取ろうとは思わず、一人一人確実に、隙をついて殺していこうと、火縄ガンは夜の闇に身を潜めた。


――既に自分が来ることが知られ、対抗策が張られているとも知らず。


「噂通り、すすぎあらいは別件に回されたようだな」


ケージのパワーによりTELの仕掛けた罠へと追い詰められ、計の銃撃を食らった火縄ガンは、そこで殺されてもおかしくはなかった。

だが、彼女にとっての幸運は、彼等が彼女を歓迎していたことにあった。


「お初にお目にかかる、殺し屋火縄ガン。そして初対面で悪いんだが…俺の頼みを聞いてもらえないか」

「…人の体に穴開けといて…頼み事かヨ」

「こうでもしないと、お前は話を聞かないだろうと思ってな」


血反吐と共に皮肉を吐く火縄ガンをケージに抑えつけさせ、屈み込んだTELはスーツの内ポケットから一枚紙を取り出した。

質感や大きさから、それがすぐに写真であることが火縄ガンにも分かった。だが


「この女、知っているだろう。話によれば…とても優しい子だそうだな」


そこに写されているのがヨリコだとは、思いもしなかった。


考えてみれば、当然であった。あちこちに恨みを買っている昼行灯の近くにいて、ヨリコが目をつけられない訳がないのだ。

だが、それに対して昼行灯は持てる金と人脈をフルに使って対処してきた。
ヨリコを追う者には容赦のない制裁をくだし、彼女が自分の傍にいることを、彼は必至で正当化してきた。

しかし、その甘えがついに、ここで牙を剥いた。


「…どこで調べたネ」

「それは、お前が俺達の仲間になった時にでも教えよう」

「…仲間?」


心底吐き気を催すようなTELの口ぶりに、髪が逆立つ感覚を火縄ガンは感じ、
ぎろりと彼を睨み付けたが、まるで通じた気配はなかった。

てんで意味の分からない言葉を掛けられても、尚眼光を緩めない火縄ガンの頭をぐっと掴むと、TELは実に愉しそうな声で囁いた。


「俺は近々、昼行灯を打ち倒し、ツキカゲ以上の組織を作ろうとしている。
虐げられる身のモノツキが人間を動かす、そういう組織をな。
その中心となるメンバーに、お前が欲しいと俺は思っている。お前のその凄まじい殺しへの執着心を、俺は評価しているんだ」


上品に纏めようとしている体裁を食い破って、死体に湧く蛆虫のような彼の本性が見えた。

ついに反論することを手放した火縄ガンを前に、TELは再度ヨリコの写真をちらつかせた。
まるで釣り餌か、蜘蛛の糸のように。


「そこで、だ。手始めにお前にはこの女を殺してきてほしい。
俺達にやられたフリをして運び込まれ…躍起になって昼行灯達がこちらを探し、ツキカゲが手薄になる間にな」


TELが口を動かすごとに、ケージと計から堪え切れない笑い声が零れた。
下劣さをふんだんに含んだそれは――昼行灯に起こる悲劇を嗤っていた。


「昼行灯はこの女を大層お気に召してるようじゃないか。
鬼とまで言われた男が、それ程までに愛した女を失ったら…もう、死んだも当然になるだろ」


TELがそう言うと、ケージと計が「ひゃはははははは!」と腹を抱えた。

彼らの脳裏にはもう浮かんでいるのだろう。部下に裏切られ、大切な人を殺された昼行灯が崩れ落ちていく様が。


人の惨劇を嗤うその様は、かつて火縄ガンが見てきたものによく似ていた。

血みどろになった自分に拍手を送り、肉塊となった者を指差していた――見世物小屋の観客たちに。


火縄ガンの中に久しく訪れなかった、赤黒く濁った感情を知ってか知らずか。
TELは掴んだ火縄ガンの頭を離し、ケージにも火縄ガンを離させた。

ようやく身は軽くなったが、肺に鉛の霧が立ち込めているような思いがする。
そんな火縄ガンに、TELは追撃をかました。


「お前にも悪い話ではないだろう。ツキカゲが崩壊した後もお前には居場所があるし…何より、俺はお前の殺しを抑制しない」

「……そこまで、」

「昼行灯のもとでは、お前の殺意は満足していないんだろう?」


こちらをよく調べていたTELは、昼行灯のヨリコに対する執着も、火縄ガンの中毒とも言える殺人衝動も上手く掌握していた。


彼の言う通り、火縄ガンは昼行灯に殺しに制限をつけられている。

確実に殺せという仕事以外では、彼は彼女に殺戮をさせない。
例え仕事自体が上手く運ぼうとも、指示に背いて殺したのであれば、必ず叱責する。
そんな彼に火縄ガンが不満を抱いていたのは、紛れもない事実であった。


「お前が望むものは、俺が与える。思うがままに殺せ、殺し屋火縄ガン」


そんな中、TELに差し出された手は蜜のように甘美で、蠱惑的なものに映った。
彼の手を取れば彼女は――殺さねば生きられない殺し屋は、より生を味わい、この世に居座ることが出来るのだ。

それはとても魅力的だった。

まだ十歳を過ぎたばかりの彼女では、吊るされた餌を前に堪えられる忍耐は強くない。
殺意が芽生えてしまえば最後。火縄ガンは、昼行灯を裏切ることになるだろう。



火縄ガンは、もう限界だった。

殺さねば生きられない自分を否定されることも、憐れまれることも、ただでさえ彼女には耐えがたいことだというのに。
TELによって揺さぶりを掛けられてしまった今では――張り詰めた殺意は炸裂してしまう。


本心では、昼行灯を裏切ることに対して抵抗はある。
ツキカゲという不安定ながらも居心地の良い巣を、自ら壊していいものかという不安もある。

だがそれ以上に、殺し屋である彼女には殺意がある。
全ての行動理念に繋がり、あらゆる優先度を上回るその感情こそが、彼女を真に突き動かす。

だから火縄ガンは、ヨリコが殺意に火をつけるようなことを言っても、虚しさを駆り立てるように沈黙を貫いても、彼女を殺すつもりだった。

隠し持っていたメスで彼女の頸動脈を掻っ切り、その首をTELの前に差し出すことも厭わないつもりだった。


つもり、だった。


「…私は、火縄ちゃんのことを責めないよ」


あれだけ張り詰めていた彼女の心は、その言葉を皮切りにふっと縮んだ。

何があろうとも、ほぼ確実に殺す気でいたというのに、その言葉を前に火縄ガンはメスを握る手から力を落とした。


「どうにもならなくなってしまった火縄ちゃんを…私は、責めたくない」


唖然とする自分が自分を殺そうとしていたことも知らず、ヨリコはぎゅうと火縄ガンを抱きしめた。

痩せ細ったその体の傷に触れぬよう、酷く優しく。されど、確かな力を入れて。


「…本当は、やめようって言うべきでも…私は、何も言わないよ。
火縄ちゃんを否定してしまうのなら、正しいと思うことなんて、言いたくない」


どうして彼女がそんなことを言うのか、火縄ガンには分からなかった。


ヨリコはまだ出会って半年ばかしの仲で、会うことがあれば会話を交わす程度。それだけの関係だ。

だからこそ、火縄ガンはヨリコを殺すことに対して、昼行灯を裏切ってしまうこと以上に抵抗を感じなかったのだろう。
その程度の縁だと火縄ガンは思っていた。

だから、ヨリコがこうも的確に、自分の心を懐柔させてくる言葉を口にするとは、思わなかった。


「……ヨリコ」


彼女から与えられたのは、批難でも同情でもなかった。
それは、火縄ガンが死んでしまった心の底で渇望し続けてきたものだった。

もうどうにもならないと棄てていた自分を拾い上げてくれることを、火縄ガンは言わずとも、望んでいた。
思うが侭、自由に殺し回ることよりもいっそ、強く強く求めていた。

こんな自分でも、殺ししか残されていないただの子供でも、それでも受け入れてくれる存在を。
異国の顔がなくとも、殺しをしなくなったとしても無条件で愛してくれる、父母のような人間を。

火縄ガンはずっと、待っていたのだ。


そんな気持ちは、自分で息の根を止めたはずだったというのに。
どうしようもない自分を抱きしめてくるヨリコを前に、彼女の死んでしまった想いは、鼓動を取り戻していた。


「…ワタシに、殺しをやめてほしい気持ちはあるのカ?」

「それは、あるよ」


耳を澄ませば、言葉に混じってすんすんと鼻が鳴る音がした。

ヨリコが油断すれば零れてしまいそうな涙を、必死に抑え込んでいる音だった。
今最も打ちのめさせているであろう火縄ガンが泣くまでは、決して嗚咽を上げてやるものかと、堪えているのだろうか。
震える声を懸命に紡いで、ヨリコは火縄ガンの銃身を撫でた。

とうに薄れていた筈の、家族との思い出が蘇るような、温かい手付きだった。


「大好きな人達が、どうしようもないから人を殺すしかないなんて…見ていて、辛いよ」

「…ヨリコは、ホント甘ちゃんネ」


火縄ガンはメスを捨てた手を、そっとヨリコの背中に回した。
自分よりも大人に近いくせに、自分よりも幼く感じるヨリコの鼓動が、とくとくと手のひらに伝わる。


動き続ける誰かの心臓を確かめたのは、いつ以来だろうか。

目蓋をそっと閉じて、自分の律動に呼応するように鳴るヨリコの心音を確かめると、
しばらくして火縄ガンはするっと腕を離した。

それから、どちらかともなく二人の体は離れ、向かい合う形になると、火縄ガンはふふっと笑った。
儚く淋しい響きをしているが、とても温かい声だった。


「こうなる前にヨリコみたいな甘ちゃんが近くにいたら…ワタシも、殺し以外のことで生きれていたかもしれないネ」

「火縄ちゃん…」


耐え切れずぼろっと落ちたヨリコの涙を、火縄ガンはそっと指で掬い上げた。


誰かは分からない。だが、誰かが自分にもこうしてくれた気がして。

ずずっと鼻を啜るヨリコにもう一度笑みを零すと、やがて火縄ガンはもう一度ヨリコを抱きしめて――


「でも、私はもう戻れないヨ」


どすっと鈍い音が、病室に響いた。

霞出す視界の中、ヨリコは自分が崩れ落ちていくのを感じながら、確かに笑みを浮かべていた火縄ガンを、声にならない声で呼んだ。


「ごめんネ、ヨリコ」


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