モノツキ | ナノ


「…絵画と心中ねぇ」


ハルイチはテーブルに置かれたシルクの布と、その上に山盛りにされた灰を見て、どっと溜め息をついた。


昼行灯達が老婆から依頼を受け、例の絵を焼き払った二日後。

今朝発行された帝都新聞の片隅にある「第九地区で火災。六十代女性宅半焼」の記事と、
目の前の灰を見比べながら、ハルイチはぼりぼりと頭を掻いた。


「全く、してやられたって感じだぜ。流石に此処までされると清々しい」

「申し訳ありません、ハルイチさん。もう少し早く突きとめられていれば…」

「いや、仕方ねぇよ。今回、色んな連中が動いていたみたいだが、その何処よりもお前らは先手を打って行動していた。
それでも間に合わなかったっつーことは、この婆さんが誰より上手だったつーことだ」


記事には、末期ガンに絶望した女性が自宅に火を放ったところ、偶然通りがかったサラリーマンが救助したとあるが、実際は違う。

どうせもうすぐ死ぬのだから、家もなくて構わないと言って、老婆が自分から自宅を燃やし、幻の絵画焼失のシナリオを作ったのである。

ちなみに偶然通りがかったサラリーマンというのは変装した薄紅のことで。
黒いリクルートスーツを着て、鬘を被り。顔の傷もメイクで隠した彼が、自宅で燃えるのを待っている…という演技をしている老婆を引っ張り出し。消防署に通報したところで姿を眩ませた。

老婆は放火前に、体にスタントで使用される耐火ジェルを塗っていた為、怪我はしていないが。
命を懸け、家一軒を代償にした大掛かりな芝居は、その狂気の沙汰とも言える演出のせいか疑われることなく。
見事に老婆とツキカゲが手掛けた幻の絵画の焼失劇は幕を閉じた。


「しかし、流石コウヤマ・フミノリの姪だけあるなぁ、この婆さん。常人じゃ思いもつかねぇよ、こんな行動」


奇人という汚名に近いブランドも、此処では役に立ったようだ。
ハルイチはどうしようもない、と、灰の山に煙草を押し込んで、席を立った。


「その灰は捨てて構わねぇぞ、昼行灯。先方は自慢したいが為に絵を集めてるような奴だ。灰まで飾りたいとは思わん」

「…でしょうね」

「お前らも骨折り損だったな。ま、次はいい仕事持ってくるから頼むぜ」


そう言って、スプリングコートを靡かせ、ハルイチはツキカゲ三階オフィスから退却した。

カンカン、と足音が消えていくのを確認すると、一同はどっと肩の力を抜いて、その場に崩れ落ちた。


「いっやぁ〜…よかったですね。どうにか誤魔化せて」

「…まぁ、あれだけやれば疑う気にもならんだろう」


絵画を焼失に此方が一枚噛んでいることが割れれば、ツキカゲはただでは済まされなかっただろう。
絵を探し出す依頼を受けておきながら、その依頼よりも多額の報酬を渡されたという理由で絵を処分したなどと、絶対にバレてはならない。

裏切り行為に今更痛む心などないが、それでも体裁というのが彼等にもある。
ハルイチには悪いことをしたと思うが、あそこで絵画を強奪するような真似は此方にも出来なかったのだ。
昼行灯達は窓から見える、月光ビルから立ち去って行くハルイチに向い、すみませんでしたと頭をぺこりと下げた。


それで僅かな罪悪感は消え、後からは仕事が一つ片付いた爽やかな気持ちがやってくる。裏社会とはこんなものだ。

誰もがそんな言い訳めいなことを頭の隅で思いながら、済んだことは済んだものとして、気を切り替えた。


「にしても。社長の予想、見事に当たってましたね〜」

「予想…あぁ、あの時のですか」


ぐーっと背伸びするサカナの言う”予想”を思い出して、昼行灯はそういえばと随分前のことのように思い出した。


「LANから受け取った情報に彼女…カミヤマ・フミさんが、コウヤマ・フミノリことカミヤマ・シキの姪であると書いてあるのを見た瞬間。
おおよその見当はついたと言いますか…まぁ、ほとんど勘での物言いでしたが」


彼がした予想は、コウヤマ・フミノリの姪である彼女、カミヤマ・フミがあの絵のモデルであること。
去年の暮れ頃から病に罹っていたという彼女が、この世を去る前に、自分の為に描かれたその作品を渡すべき人間を探して、熱心なコレクターが集まる闇オークションサイトで、人を試すようなことをしていたのではないかという、およそ真実に近い仮説であった。

当たっていたところでどうにかなることではなかったのだが、当たっているに越したことはない。

昼行灯は予想が的中にしたことに、さして喜びはしなかったが。
自分の勘もまだ捨てたものではないようだと幾らか気を良くしているようだった。

一つ仕事を終え、思わぬ収入が入ったからかもしれないが。


「ともあれ、一件無事に片付いて一安心です。この調子で他の仕事も…」


その時。空気の弛んだオフィス内に、コール音が悲鳴のように鳴り響いた。

まるで彼等を咎めるように、ピリリリリリリと電子音が谺する。
昼行灯は急速に冷えた指で、戦慄く携帯電話を開き、通話ボタンを押した。


相手は、昨夜火縄ガンと共に仕事に出ていたシグナルだった。

仕事内容は、すすぎあらいに任せる予定であった、ゴルフ場建設の為の人払いである。
そろそろ戻ってくる時間だろうと思っていたので、帰還前の報告だろう。

昼行灯の頭は、別の予感を湛えながら、いつもの考えへと思考を巡らせていた。


「はい、私です。どうしま……」


全てが繋がっているというのなら、その糸を垂らしたのは誰であろう。


「………火縄ガンが、やられた?」


きっとそれは、全ての悪に対して残酷な神ではないだろうか。

引き寄せられた新たな災厄は、彼等罪人に与えられた罰に違いない。


記憶の中の深い底から、いつか聞いた笑い声が聞こえた。

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