モノツキ | ナノ

ハルイチがツキカゲを訪れてから二日後。世間は一週間の始まり、休日の終わり、日曜日である。

大半の人間が貴重な休みを堪能するこの日。昼下がりの帝都クロガネ第八駅は、人で賑わっていた。


「やっぱ、休みは人が多いなぁオイ」


レストランに食事に向かう家族連れ、映画を見にいく恋人たち、友人らとゲームセンターへ立ち寄る学生など実に多くの人が、隣接した各施設を目指してホームを行き来する中。
改札口から出てきた背の高い女子学生が、絶えない人の流れを見ながらふぅと一息ついた。

ざっくり切った短い髪に、グレーのパーカーとジーパンというボーイッシュな姿がよく似合う彼女の半歩後ろでは、往来する人に当たるまいとして出遅れてしまった小柄な少女が、不安そうな面持ちで春物のワンピースの胸元を握っていた。
背格好や態度から、アンバランスな印象を受けるその二人は、ヨリコとケイナである。


「ご、ごめんねケイちゃん…お休みなのに」

「何言ってんだ。寧ろせっかくの休みに、誘ってくれてありがとな」


ケイナはにっと犬歯を見せて笑いながら、ヨリコの肩を軽く叩いた。
存外強いその力に、ヨリコは小さく蹴躓きかけたが。ケイナの力強い手が触れたところから、引け目が抜けていくようで気が晴れた。

ヨリコが小さく笑い返すと、ケイナもまた一層、快濶な笑みを深くした。
何かと心劣りしがちなヨリコが、一つコンプレックスのベールを剥がせたようで、嬉しいらしい。

ケイナは両手を頭の後ろで組むと、今度はやや悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「まぁ、あのオッサンの差し金ってのは引っかかるけどよ。お前と出掛けんのがあたしでよかったっつーかなんつーか」

「もうっ、ケイちゃん」

「冗談だってーの。そんなむくれんなよ」


無論、言っていることは冗談ではないのだが、ケイナはそう言っておくことにした。
ケイナがツキカゲに突撃した日以来、彼女は一切あそこに近付いていない。

昼行灯達を信頼して、というよりかは、彼等を信頼するヨリコを信じて。
ケイナは押しかけていきたい気持ちを押さえる日々を送っているのだが。

あれからヨリコは毎日楽しそうにしているし、たまに何か困ったことはないかと聞いても、笑顔でバイト中の出来事を話してきているので、彼女はあの日の口約通り。ツキカゲに近付くことなく今日まで至っている。

しかし。ヨリコがあそこで上手くやれていることの心配こそ薄れたが、ケイナがある意味最も危惧している心配事は、日々色濃くなるばかりである。
それが、何を隠そう、オッサンこと昼行灯である。


泥沼に片脚どころか全身突っ込んでいる、違法青年・三十路間近の彼が、現在進行形でヨリコを好いていることが、ケイナにとって一番の不安材料であった。

ヨリコはバイトの話になると、いつも楽しそうにあの男のことを話す。
他の社員のことも話すし、彼女が昼行灯と他の社員に特別違う感情を抱いていることもないのだが、あちらはそうでないことをケイナは知っている。

妙に鋭いところがありながら、こういうことにはとことん鈍感なヨリコは気付いていないが、話を聞いているだけでケイナには分かる。


「しっかし、変わった仕事だな。絵画展見てこいだなんて」

「で、でも…昼さんから任された、私にしか出来ないことだから!」

「分かってる分かってる。張り切って行こうな」

「うんっ!何か一つでも昼さん達の役に立てそうなこと見つけられるよう頑張る!」


彼女の手に握られた絵画展チケットにどんな意図があるのかも、ケイナは悟っている。



ケイナがそれに気づいたのは昨夜。ヨリコから絵画展に行かないかと誘いの電話を受けた時のことだった。

聞けば、現在ツキカゲが仕事を受けて追っている幻の絵画の手がかりを掴む為、
現在帝都第八区のアートガーデンでやっている絵の作者の画展に行ってほしいと頼まれ、ペアチケットを渡されたとかで。
せっかくなので一緒に行かないかと、ヨリコから電話を受けたケイナが真っ先に思ったのは「全く狡い野郎だ」という、昼行灯への小憎たらしさだった。


確かに、同一作者の画展で得られる情報はあるだろうし、そこにモノツキである彼等が行けないのも理解出来る。
自ら手伝えることはないかと申し出たヨリコが、適任であるとこの役を任されることもだ。
だがしかし、わざわざペアチケットを渡してくる辺りがどうにも気に入らない。ケイナは思い出して歯を鳴らした。

これが仕事であるのなら、一枚渡せば済む話だろうに。
どうせ「せっかくですし、ご友人とどうぞ」などと、ヨリコに言ってきのだろう。
そう思っていたら本当にヨリコが「せっかくだからってね、昼さんがチケット二枚くれたの」と言ってきたものだから、ケイナは呆れた。

わざわざ二枚用意して彼女の好感度を上げようとしているその腹の底。
そして、その余分な一枚に、昼行灯自身が付き添って行きたかったという情念が込められていそうで、ケイナは不愉快であった。


しかし、それが気に入らないと言って断ればヨリコは非常に悲しむだろうし、絵画展になど興味はないが、その後喫茶店にでも寄れば、友人との楽しい休日になるだろう。
ケイナは本心を包み隠して、受話器の向こうではらはらしているだろうヨリコに、了承の旨を伝えた。


こうして、ケイナの心中も昼行灯の思惑も知らないヨリコは、自分にしか出来ない特別任務を遂行するのだというやる気に満ち満ちていた。
その顔を見ていると毒気が抜かれるようで。ケイナは昼行灯への憎々しさを溜め息と一緒に吐き出した。

ヨリコが自分の心労に気付いていない内は、まだ大丈夫だろうと言い聞かせ、ケイナは人波に攫われていきそうな彼女の手を取った。

この不安定で危なっかしい友人は、自分が支えてやらなければ駄目だと。
ケイナは此方を見て、頼り甲斐があるなぁと顔を綻ばせるヨリコに、目を細めた。



駅に隣接したビルティングの中。
だだっ広いアートガーデンではコウヤマ・フミノリだけでなく、様々な画家の作品も各ブースに分けて展示されていた。

駆け出しの新人画家から現代巨匠と呼ばれている大物作家、二百年前の天才画家など、
広い展示場を埋め合わせるように、様々な作品が与えられたペースの壁を飾っていた。

見栄を張って税金をかけて作ったはいいが、広すぎて持て余しているではないか。
立派であるとは思うが、何処か奥ゆかしさに欠ける印象を受ける場所だ。

入口で受け付けを受けていた時はそんなことを思っていたヨリコ達であったが、コウヤマ・フミノリの展示場に入った瞬間、画廊のことなど頭から吹き飛んでいた。


「……すっげぇ」


芸術など欠伸が出るものだと思っていたケイナが、思わず感嘆の声を漏らした。
目の前に飾られた一枚の絵を見て、ヨリコもケイナも瞬時に悟った。本物の絵画は場所を選ばない、ということを。


壁に掛けられた絵は、この画展に於ける最大の目玉。コウヤマ・フミノリの代表作である”全焼世界”という作品だった。

タイトル通り、燃え盛る炎に呑まれる帝都の群青色の影に、目を焦がすような緋色の空。
夕暮れの中に身を置いている気になる程、此方を圧倒してくるその絵画に、ヨリコ達は魅せられていた。

キャンバスから溢れてくる何かを受信するかのように立ち尽くし 鮮烈な赤が眼球に痛いと思いながらも目蓋を開いて。


<”全焼世界”は、コウヤマ・フミノリ氏の名を一躍帝都に知らしめた代表作であり、
当時三億の破格値がついたことで話題となりました。
帝都を焼く炎は、若者達が世間に抱えている不満や怒りを現し、この挑戦的ともいえる描写は――>


ガイドアナウンスの声など、どれだけ耳に入ったことだろう。
解説など、この絵の前では野暮ではないかとヨリコ達はただ、目の前の絵だけを見ていた。が、暫くしてから、ただ作品を見ているだけでは駄目だと気付いたのか。ヨリコははっと首をぷるぷる横に振った。

此方を引き摺り込んでくる夢から覚めねばと、ぺちんと頬を軽く両手で叩いて、
ヨリコは何か周りから得られる情報はないかと顔の向きを変えた。


周囲には自分達以外にも、十人近く絵を見ている人間がいる。
この中に例の絵のことを知っている人間が果たしているのか。いたとしてもそれを会話に持ち出すか。
此処で何かを得られる可能性は一パーセントにも満たないだろう。

しかし、ゼロではない限りその可能性にも手をつけたいと、昼行灯はヨリコを此処に向かわせた。
手伝いがしたいと申し出た彼女の気持ちも汲み取れ、ついでに友人分のチケットまで用意して、ヨリコの好感度を上げるには、うってつけだという打算の方が大きいのだが。
そんなことなど露知らず、ヨリコは控えめな声量で交わされる周りの会話に耳を澄ませた。

画展で交わされる会話と言えば、大体が作品や作家についての話で。
顎髭を撫でながら鑑賞に勤しむ身なりの良い老人らも、美大生らしきグループも、
筆遣いがどうこうだとか、コウヤマ・フミノリのエピソードがどうだとかそんな話をしていてる。
目の前の絵だけでなく他の作品も話題に上るのだが、やはり幻の肖像画についての話題は出てこない。

一ヶ所に止まり続けるのもよくないので、作品を見ながら注意深く回りからぽつぽつと聞こえる話に必死に耳を傾けたヨリコだが。
結局、昼行灯達の為になるような話は一つも聞けないまま、展示ブースを回り切ってしまった。


道すがら、コウヤマ・フミノリの絵に何度も魅せられてしまったのもあり、時間は相当経過していた。

午後一時頃に立ち入ったと思えば、もう三時になる時刻。
流石に何周もするのは不信で、絵の方は幾ら眺めても飽きる気がしないとはいえ、
色々と限界を感じてきたところで、ヨリコは先に出て物産を見ていたケイナに声を掛けた。

この手の絵画展にはポストカードや画集、パンフレット等を取り扱う物産がつきものだが、コウヤマ・フミノリの作品も例外なく、それらグッズになって置かれていた。
絵画になど興味なかったケイナだが、これは悪くなかったと言ってポストカードを数枚買っていた。
家族に見せて、自分も知的な一面があるのだとアピールしたいらしい。

ヨリコはケイナが退屈でなかったようで何より、と胸を撫で下ろしながら、情報を得られなかったことで出来た手持無沙汰感を拭う為、何か買っていこうと、画集を購入した。

コウヤマ・フミノリ大全集と書かれたその本には、一枚取りこぼしがあることを。
澄まし顔の売り子も、この本の編集者も、購入者のほとんども知らない。


prev next

back









×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -