モノツキ | ナノ
「――さん!―――うさん!」
「××××、落ち着いて!落ち着いてぇ!!!」
「父さん!!母さん!!!おい…どうしてだよ…どうしてだよぉおお!!!」
「あれが、×××さんの息子さんか?」
「えぇ…たまたま、塾の夏季合宿に出ていたようで…事件には巻き込まれずに済んだようです」
「大学受験を前にこんなことになって…おい、早く現場撮影済ませろよ!いち早く遺体を回収してやらねぇと……」
「…検死は、必要ないですよね」
「したくても出来ねぇだろうしなぁ…もう、どれが親父さんで、どれがお袋さんかも分からない状態だしよぉ」
「××××、高校には、しばらく休むって連絡したから……何かあったら、叔母さんに言うのよ?一人でいたいってあんたの気持ちは分かるけど…こっちも、心配してるんだからね?」
「……あぁ、分かってるよ」
「×××さん程の検事が亡くなるとはなぁ…。あの人程、犯罪者に真っ向から向かっていた人もいねぇってのに」
「しかも、それが原因でこんな最期になって…」
「あれだけ派手にやらかしたんだ。犯人はまず間違いなく、×××さんに逆恨みしてる犯罪組織だろうな」
「わ、分かった…白状する!確かに連中は、×××の働きで摘発された組織の残党だ!!×××のせいで麻薬取引の現場を抑えられて組織は半壊…それに対し、奴らは尋常じゃない程キレていた!な、なぁ…白状したんだ、み……見逃してくれるんだよな?!!」
「なんだお前…いかにもケツの青そうなガキが、何しに来たんだこんなとこによぉ。あぁ?!」
「………に」
「…あ?」
「洗濯に、来た」
「…あ、あんた……一体、何があったの?!!どうしたのよそれ――ッ!!」
「待ってください、すすぎあらいさん!!」
ヨリコの声で、はっと、すすぎあらいは脚を止めた。
無意識の内に早足で歩き、ヨリコを引き離していたことに気付いたからではなく。
自分が思考に呑まれていたことに気が付いたからである。
背後からはようやく追いついた、ヨリコのぜぃぜぃという呼吸が聞こえるが、それを聞いてもすすぎあらいは一切後ろめたさを感じなかった。
漠然と、自分を蝕む過去の回想が引いていく感覚だけを感じながら。すすぎあらいはすっかり日が暮れ、赤く染まった空を眺めていた。
「どうしたんですか、すすぎあらいさん…突然、あんなことして……梔子さん、そんなに悪いことを――」
些か息が落ち着いてきたところで、ヨリコは何も言わない、何も弁明しようとする気配すらないすすぎあらいに訪ねた。
確かに梔子が言ったことは、神経に障るものだったかもしれない。
だがそれでも、あそこまで過剰に反応し、やり過ぎとしか言えない制裁を下す程のものではなかった筈だ。
止める者がいなければ、本当に殺していたかもしれない。
そんな殺意を込めて喉笛を締上げる程、不愉快な罵声を言われた訳でもあるまいに。
まさか、ヨリコとの仲について適当なことを言われたのがそんなに嫌だったのか。
いや、それに対しては無反応を決め込んでいた。
彼が反応を見せたのはそう――梔子が、昼行灯のことを口走った時だ。
「……あんたさ」
すすぎあらいは、先程までの覇気をどこへやってしまったのか。またいつものように気の抜けた声で、ヨリコに語りかけた。
それでも、その言葉にはいつもはない、重みのようなものが感ぜられる。
ヨリコは思わず息を呑んで、すすぎあらいの背中を凝視した。
「この半年、社長とか他の奴らと接してきて…全員を理解したと思ってる?」
「………え?」
例え彼が人の顔をしていたとしても、後頭部しか見えない状態では、その表情を窺うことは出来なかっただろう。
それでも、ヨリコには何となく感じ取れた。
すすぎあらいはきっと無表情で、そしてその下に、途方もない虚しさを抱えていることを。
「もし思ってるんだったら、そのままでいい。あんたがあいつらを理解してるって思ってるのは間違いなく勘違いだが…それでいい。あいつにも言ったけど…世の中、洗い出さなくていいことがある」
「…………」
「見付けてしまった汚れを拭おうとして、それを広げてしまうこともある。
そのままにしていれば隠し通せたものを…もう二度と取り返しが付かないものにしてしまうこともある」
ヨリコは、すすぎあらいが隠したいことが何なのか、当然分からなかった。
ただ、それが昼行灯や、ツキカゲの社員達が包み隠しているものだということは、彼女にも理解出来た。
ヨリコ自身が、誰よりも知っている。人にはどうしても隠していたい一面がある。
心の奥に仕舞い込んで、何事もなかったかのように日々振る舞う為に、見られたくない、触れられたくない傷がある。
その傷が曝された時の絶望感は、ヨリコもよく知っている。
半年前、あの町で味わった苦痛は、今でも思い出すだけで吐き気を催す。
あの時、偶然出会ったシオネに諭されたこと。そして、昼行灯の人柄があってこそ、傷口は無事に閉ざされる結末になったが。もし、シオネに出会うこともなく、昼行灯達に拒絶されていたとしたら――。
その時、ヨリコは二度と取り返しがつかない状態になっていたことだろう。
「…アンタも、人を洗い出す時は気を付けた方がいい」
すすぎあらいが言いたいのは、つまりそういうことだ。
理解を求め、人の傷口に塩を塗り込む真似をするな。知らずに事が円滑に進むのならば、そのままにしておけ。
勘違いでもいい、傲りでもいい。現状が相互理解と思っているのなら、それに甘んじろ。
彼は、そうヨリコに言いたいのだろう。
「その穢れに毒されて、戻れなくなる前に…立ち位置は、弁えるべきだ」
そう言って再び歩き出したすすぎあらいに、ヨリコは何も返すことが出来なかった。
陽が沈み、色が変わっていく道の中。
ヨリコは胸中に引っかかる、梔子の言葉を取り除こうと、つなぎの胸元をぎゅうと掴んだ。
――あの件”から暫く塞ぎ込んで―――
(……私、どうしたらいいんだろう)
自分は救われた。だからといって、彼がそうなるのかは分からない。
自分は、運が良かっただけに過ぎず――昼行灯が抱えている傷の大きさも、ヨリコには計り知れない。
頭の中に濁流が唸りを上げるのを感じながら、ヨリコは泣き腫らしたような空を見上げていた。
もし この世のあらゆる不浄をも、愛することが出来たのなら。
頭の中で回り続ける、濁流のような思いを なかったことに出来ただろうか。
静かに息をすることを選ぶ自身を、認めることが出来ただろうか。
――俺は、それが出来なかったが為に
「信じられない…本当に、貴方が一人で?」
「…父親に憧れ検事を目指していましたので…犯人に辿り着いてしまったんでしょう。
本当は、こんなもの持ち込みたくなかったんですが……これで、この子の能力はご理解していただけたと思います」
「…ご両親の復讐とはいえ、高校生が麻薬組織を壊滅だなんて…十分過ぎる逸材です」
「お願いします…この子を……すすぎあらいを、ここで働かせてやってください」
俺はあの洗濯を悔やんではいない。けれど、戻れずに汚れていく、この手の重みは知りたくなかったと思うんだ。
「…ところで、一つ聞いていいですか?」
「………何?」
「貴方は、何故洗濯機のモノツキに…?」
「…洗濯したから」
「……洗濯、とは」
「そのまんま、洗濯。…まぁ、洗濯機に突っ込んだのが、洗ったあとの奴だったのが悪かったのかな。神様に怒られたから、外に干したけど…もう遅かった」
「…成る程、分かりました」
なぁ、神様。俺は今でも、間違った洗濯をしたとは思わないよ。