モノツキ | ナノ


「すみませんでした」

ばっと小気味良い音を立て、腰を折って頭を下げたケイナに、昼行灯はきょとん、と頭の蝋燭の火を一瞬浮き上がらせた。

階段を登ってくる音が二人分だったので、ケイナはいるのだろうと思っていた昼行灯だが、まさか戻ってきた彼女が眼を充血させ、鼻をずびずび啜っているとは思わなかったし。何より、さっきまでオッサンだの何だのと罵り、あからさまな敵対心をこちらに向けてきた彼女が、こうして頭を下げ、至極丁寧な物言いで謝罪してきたことが、昼行灯には驚きだった。

隣でヨリコが何か言いたそうにしているが、顔を上げたケイナがそれを視線で制止した。
どうやら、自分で起こした騒動は自分でカタをつけるというつもりらしい。

ケイナは背筋をピンと伸ばして、昼行灯に真っ直ぐ向かい合って。改まったように大きく口を開いた。


「何も知らないからって、ヨリコのことを大事にしてくれてる人達に向かってあんな口聞いて…今更謝ったとこで、許されるとは思ってない。けど!」


ケイナはもう一度、大きく頭を下げた。

散々なことを言った相手に謝罪することへの躊躇いも羞恥心も一切なく、ただ詫びたいという一念と もう一つ。
こうして頭を下げるに値する、大事なものへの想いを込めて。


「ヨリコのことは、これからも変わらずに接してやってほしいんだ!
あれは全部、アタシが勝手に突っ走った結果っつーか…。とにかく、ヨリコは関係ないから、今まで通り、こいつのことを大切にしてやってほしい!!
…アタシはもう、此処に顔を出すこともないし、あんた達に関わることもないから。
都合がいいとは承知の上だが、アタシのことは忘れてくれ!」

「……困りましたね」


声の反響が消え、しぃんと静まり返ったオフィスに、ぐっとケイナが息を呑む音や、ヨリコが不安げにこちらを見遣って小さく動く布擦れの音すらも、やたら大きく聞こえた。

社員達もそれぞれの仕事に手をつけてこそいるが、全員視線は此方に向けている。

この場にいる全員の視線を集めながら、昼行灯はごほん、と小さく咳払いをした。


「私はまぁ…確かに若くはありませんが、記憶力はいい方ですので、そう簡単に物事を忘れることは出来ません」


昼行灯はそう言って、デスクに置いていたカップを手に、紅茶を一口啜った。

その物言いと、やたら余裕を見せる態度にケイナが拳を固めるのが分かるが、昼行灯は話を急かない。
此処で例えケイナの言葉を拒絶したとて、彼女がその拳を自分に向けることはないと、彼は見越しているからだった。

どれだけケイナが破天荒であれど、彼女の行動理念は、突けば泣き出してしまいそうな位におどおどとしているヨリコだ。

ヨリコが昼行灯とケイナの間に平穏を望むんでいると理解し、それを実行すべくこうしてわざわざ戻ってきた彼女が、取り返しがつかなくなる行動に出ると、昼行灯は思わなかった。


「ましてや、大事な会社の一員であるヨリコさんのお友達とあらば…嫌でも覚えてしまいますよ」


一言で言うのなら、彼はケイナを信頼していた。

ヨリコの為になら何者にも牙を剥き、自身の衝動すら堪えてみせる彼女を。
空回りしがちなこの狂犬少女を、昼行灯は不思議と信じてしまっていたのだった。


「先程、もう此処に顔を出すこともないとおっしゃいましたが…それは、是非ともそうしてください。
私達と関わったことも口にせず、これまでそうしてきたように、
ごく当たり前の生活をして…ヨリコさんを、大切にしてあげてください」


もし、ケイナだけを見ていても 昼行灯は彼女を信頼することなどなかっただろう。だが、ケイナの隣にはヨリコがいる。
自分が全幅の信頼を寄せ、弱みを曝しても尚傍にいることを願ってやまない彼女を、互いに慈しみ、守りたいと思っている。

その共通点を切っ掛けに、彼はケイナに対して警戒を解いた。
用心深く、誰に対しても隙を見せまいとしてきたこの男の心を緩ませるのは、結局いつも彼女なのだった。


「此処にいる間は私達が、ヨリコさんを守ってみせます。
ですので、私達の手が届かない場所では…貴方が、ヨリコさんを助けてあげてください」


昼行灯がそう言うと、ケイナの横でヨリコがぱぁああっと顔を明るくした。

彼がケイナを拒絶することなく、寧ろ受け入れてくれたことが心底嬉しかったのだろう。
その思いを咲かせたような笑顔を見せるヨリコの隣で、思わぬ不意打ちを食らって眼を見開いていたケイナはというと――


「……そぉおおおおおおおおおおおい!!!」


座っている昼行灯の腰を掴むや否や、華麗なパイルドライバーを食らわせていた。


「「えぇええええええええええええええええええええぇぇぇええええええええ?!!!」」

「ちょ、ちょちょちょ、ケイちゃん?!!」


ドゴォ!!という凄まじい音と共に昼行灯が床に沈み、社員達全員のツッコミがオフィスを震わせた。

まさかまさかの展開にサカナの水槽からは熱帯魚が一匹残らず外に飛び出るわ、茶々子の頭から噴出した湯気がポッドの蓋を持ち上げるわ。
見事脳天を床に沈められた昼行灯も、何の反応も出来ず無言状態を決め込んでいる事態である。

そんな中、ヨリコは半ばパニックになりながら、ふんっと鼻息を噴出すケイの腕を掴んで、彼女を揺さぶる。
だが、ケイナはまるでヒールレスラーを沈めたかのように、ビシっと昼行灯を指差し、高らかに声を張り上げた。


「何真面目にくっせぇこと言ってんだよオッサン!!やっぱてめぇは危険だ!」


そう言い放つと、ケイナは、訳が分からないと泣きそうになっているヨリコの肩をばしっと叩き


「いいか、ヨリコ!此処にいることには反対しねぇがよ!
このオッサンと仲良くしても心を許すなよ!!絶対危ねぇからな!!」


と、颯爽と吹き抜ける風のように、オフィスから去って行った。

風というよりかは、何もかも巻き込んで破壊していく竜巻という方が相応しいが。
やるだけやって去って行ってしまったケイナを、今度こそ誰も追いかけることなど出来ないのであった。


「も、もう…ケイちゃーーーーーん!!」

「……社長、大丈夫?」


ヨリコの叫びが谺する中、相変わらず床に不格好に倒れたままの昼行灯の周りに集まったサカナ達が、彼の生存を確認し始めた。

あまりに綺麗に技が決まったので、ランプが割れてやいないかと心配だったが。
幸いにもランプは少し凹んでいる位で、床に何やら赤くてどろどろした脳髄的なものも漏れていない。
そして昼行灯も、息をしている。

ほっとしつつ、思わず苦笑してしまいそうになるサカナ達を頭上に感じながら、
昼行灯は消え入りそうな声で、どうにか返事をするのであった。


「……一瞬、本当に何もかも忘れるかと思いましたよ」



変わらないものが何もないように。彼女もいつか、緩やかに沈みゆく泥沼の止まり木から去る時が来る。

誰かに手を引かれていくのか、自ら身を引くのか、それとも足を滑らせ底なしの沼へと落ちてしまうのか――。
その見通しはまるでつかないが、彼女にとってあまりに不安定過ぎるこの場所で、いつまでも彼女がいることを望めはしない。

まだ、足りない。彼女を繋ぎとめておく為には、血と金を流すだけでは まだ――。


霞んでいく頭で考えながら、彼は鈍痛に身を委ねて眼を閉じた。

どうか目覚めた時に、自分の都合のいい世界がそこにあるようにと、幾度そう思ったのかも分からないことを願いながら。

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