モノツキ | ナノ




「今朝のニュース、どのチャンネルでもサカヅキのことをやってました」


しゃりしゃりと、涼やかな音を立てて林檎の皮が剥がされていく。
あまり上手く果物ナイフが扱えていない為、途切れ途切れになりながらだが、それでも丁寧に剥かれていく林檎の甘酸っぱい匂いに、昼行灯は目を細めた。


病室を脱け出して丸一日が経った。

サカヅキの摘発を終え、やはり限界を越えていた体が、糸が切れたようにして倒れてしまった昼行灯は、
再度ニコニコクリニックに担ぎ込まれ、激昂するサヨナキに罵声の雨を食らいながら再度治療を受け、今度こそ完治するまで床に伏せていた。

熱はだいぶ引いてきたが、吐き気により、昼行灯はろくに食事が摂れていなかった為、
学校を終え、見舞いに来たヨリコが林檎を剥いてくれることになった時は、鼻歌を口遊みたい程に喜んだ。

ヨリコの方は、騒動の終着と共にひっきりなしに盛り上がるニュースの内容が不服らしく、珍しく不機嫌な様子だが。


「警察の活躍で、一斉検挙って……皆さんのことも、モトマサさん達のことも、全然出てなくって。分かってても、びっくりしちゃいました」

「まぁ…警察の依頼で我々も動いたので……結果的に言えば、彼等のお手柄でもいいんじゃないでしょうかね。依頼金も、ちゃんと入ってきましたし」


昼行灯は、少し嫌味を言ってみせる彼女すらも愛おしいと、ヨリコの声と、林檎が刃物に擦れる音に、耳を傾けていた。

病室は、やはり静かであった。ただ、あの時のような、静けさに押し潰されそうな空気はなく。
窓から射し込む陽の光のように、穏やかで温かな静謐に、昼行灯は心地よさを感じていた。

その傍らで、皮を剥き終えた林檎を切りながら、ヨリコは暫し沈黙した後に、ぽつりと呟いた。


「…………昼さん、一つ…聞いてもいいですか?」

「はい」


この平穏に、泥を掛けるような問い掛けをしてもいいものかと、承諾を得てもヨリコは言葉を呑んだ。

だが、それでも、これだけは聞かなければ、ヨリコの心は晴れてくれそうになく。
迷いながらも、躊躇いながらも、ヨリコは、胸に引っかかった一つの謎を、昼行灯に尋ねた。


「……どうして、今回は…誰も殺さなかったんですか?」


あの日、あの時、あの場所にいたサカヅキは、全員生きて検挙されていた。
重傷を負い、未だ意識の戻らない者もいるが、それでも、インキを含め全員が、生きていた。

それが、ヨリコがどうしても聞いておきたい、知っておきたい、昼行灯の真意だった。


「同じ、モノツキだったから……じゃ、ないですよね。インキさんが、昼さんの部下だったからってことでも……警察の依頼に、殺さないことっていう条件もなかった筈です。
なのに……どうして」


自分の思い過ごしか、勘違いか。そうであったなら、それでもいい。けれど、そうだと説いてもらえるまでは、どうしても縋ってしまう。

もしかして、ひょっとして。彼がこうした意図は――。


林檎を切る手を止めて、じっと、昼行灯の答えを待つ間。ヨリコの心臓は、どくどくと鼓動を鳴らした。

呼吸さえ忘れてしまいそうな想いを抱え、祈るようにして耳を澄ますヨリコに、昼行灯は、有りのままの言葉で返した。


「……貴方が、それを望むだろうと思ったからです」


瞬間。ヨリコの目が、開花を迎えた花のように開き、薄らと涙が浮かぶ程の感情が、心の内から溢れ出た。


そうであったならと、思っていた。


(……大丈夫。あんたがそれを望むなら、社長は必ずやってみせる。だから、何も怖がることはないよ)


すすぎあらいの言葉の通り、彼が、自分の想いを汲んでいてくれていたのなら。
それがどれだけ素晴らしいことかと。夢を見るように、ヨリコは思っていた。

烏滸がましいと思いながらも、そんなことある訳がないと考えても、ヨリコは、昼行灯に期待してしまったのだ。


「彼の……インキの目的を知った時の貴方は、とても、哀しそうな顔をしていました。
ご両親の仇だと知りながら……貴方は、人間そのものを恨まなければならなくなった彼を、憂いていたと、私は思いました」


どうして、彼がそうしてくれたことがこんなにも喜ばしいのか。

その理由は、つい先日から感じていた、地に足がつかないような感覚と同じだろう。

これまで経験したことがなく、この現象に、この想いに、なんという名前を付けるべきなのかさえ、ヨリコは分からなかった。


「彼を、許すことなど勿論出来ないでしょう。ご両親を奪われたことを、仕方なかったなどと言えはしないでしょう。
それでも……貴方は、インキの境遇を、壊れた彼を、悲しんだ。それを見て私は……今回、サカヅキの構成員は、生かして捕えようと、決めたんです」


だが、今ならば確かに言えた。

ヨリコは、彼に――昼行灯に、恋をしたのだ。


「…彼に、言いたいことがあるのでしたら、帝都警察のクロサワ刑事を尋ねてみてください。話は通してありますので……少しですが、時間を取らせてもらえますよ」

「………昼さん」


ヨリコの長い孤独の闇を照らした、ランプ頭の男。

時に衝突し、時に擦れ違い、時に傷つけ合いながら、辿り着いたのは、彼が恋しいという感情だった。


どうして、こんな気持ちを抱くようになったのか。その理由は、考えようがない。

自分を救い出してくれた彼を、何故昨今に至るまで、こんな風に想わなかったのかさえ、不思議なくらいなのだ。


ヨリコは、ついに自覚してしまったこの恋心と、どう向き合っていくべきか。思案しながら、昼行灯の傍らで過ごすこの時に、ぎこちなく微笑んだ。


「……また、お見舞いに来ます。だから、ちゃんと元気になるまで、何処にも行かないでくださいね」


モノツキ。それは神を怒らせた罪人。彼らが人である限り、人は彼らになりえ、その逆もまた然り。


「……はい。貴方にまた、泣かれてしまっては困りますので」


昼行灯が救済を得るに至るまでの、最後の秋。西日に染まる病室で、望まれぬ恋に火が点いた。

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