モノツキ | ナノ



計画は、順調だった。
とんとんと事は運び、然したる問題も敵も無く、革命は確実に成し遂げられると、インキは信じていた。

この時が来ることを待ち望んでいたのは、いつからだったか。
忌み嫌う人であった頃の記憶はおぼろげで、明確に覚えていないが。確か、学生の頃。

学校のプリンターを詰まらせ、教師に酷く叱責された苛立ちで、紙を噛んだままのそれを投げた時――自分は、モノツキになった。


それから、絶叫と悲鳴の渦に呑まれ、間もなく、地獄が始まった。

その時、インキは思った。自分は最早、人ではない。そして人は、自分を恐れ、虐げ、陥れ、傷付けるものだ、と。
家族にも友人にも、見知らぬ他人にすらも、限りなく理由のない敵意を向けられたインキは、モノツキと人間は、全く別の存在であると、認知してしまった。

人が、犬や猫を見るように、モノツキとなったインキは人間を、まるで別の生き物として見るようになったのだ。


ただ、インキは人が犬猫を愛でるように、人間を愛すことが出来なかった。
いや、それが出来ていたのなら、まずインキはそんな目を持つことさえなかっただろう。

ほぼ訳もなく痛め付けられ、罵倒され、何処に行っても救われようがない。
その環境が、其処に立たされたインキの恨み辛みが、結果、彼の悍ましい意識を生み出してしまった。


「俺はね、思うんですよ。この世界に於ける本当の罪人は、俺達モノツキではなく、それを虐げながらのうのうと生きている人間だって」


噎せ返りそうな濃い血の匂いが、鼻を衝く。
何処かべったりとしたような空気を掻き分けるように歩けば、天井に吊るされた、夥しい数の首無し死体が、遅すぎる助けを求めてくるように揺れた。

着ている服からするに、この工場の職員達だろうか。
隠れ家に最適に立地と広さから、目を付けられ、襲撃され、鏖された彼等に同情することも動揺することもなく、
昼行灯は、異形の罪人が犇めくこの場所に君臨する、プリンター頭の男の前で足を揃えた。


「例え、直にモノツキに何かしら害を加えていないとしても。
俺達の存在を知りながら、何ら関与せず、ぬくぬくと平和の中にいて、穏やかにして幸福な日々を過ごしているのなら、それも立派な罪だと、思うんですよ。
目の前で甚振られているものがいて、見て見ぬフリをしてやり過ごすだなんて、手を下してる奴と同罪。そうじゃないですか?社長」

「……貴方に、そう呼ばれる筋合いはもうありませんよ」

「冷たいこと言わないでくださいよ。俺、社長のことは今でも尊敬してるんですよ」


インキは、心底困ったような口ぶりでそう言って、軽く肩を竦めた。
同時に、彼の頭から一枚の紙が吐き出される。

何も印刷されていない、真っ白なままのその紙は、彼が本心を口にしていることの証のように見えた。

昼行灯は、弾薬庫の上で脚を組み直すインキから視線を逸らさず、袖口に仕込んだ武器と彼の言動に、注意深く気を張っていた。
警戒心の糸に触れた瞬間、即座に攻撃出来るよう。昼行灯が心構えしている中、インキは饒舌に続ける。


「最底辺まで陥れられながら、這い上がり、人間の血と帝都の闇を吸っているかのように生きている貴方に、憧れるモノツキは多いんですよ。
いつだか、貴方を襲ったTELって奴がいたでしょう?彼も、貴方の強さに羨望し、貴方のようになりたいと、躍起になっていたんです。
人間共に屈することなく、強かに生きる貴方は……無明の迎え火・昼行灯は、モノツキの希望なんですよ」


インキの言葉には、またしても嘘偽りは無く、昼行灯に対する敬意も確かに含まれていた。

彼は、モノツキに対しては非常に友好的で、誠実であった。
人が人に接するに辺り、最も望ましいと思われる、お手本のようなその態度を、インキはモノツキにしか向けることが出来ない。

もしこの場で、昼行灯が突如人間に戻ろうものなら、インキは即座に手の平を返し、思いつく限りの罵詈雑言を浴びせ、問答無用で嬲りに掛かるだろう。

彼はそういう、狂っているとしか言いようのない価値観を持ってしまった。その末路が、此処だ。


「こんな世界に追いやられ、惨めに暮らしていた俺達にとって、貴方はとても眩しい存在だ。だから俺は、出来ることなら貴方に、この革命を指揮してもらいたかったんですよ。
貴方は、生まれついての帝王だ。次の帝に相応しいのは、俺じゃなく、貴方だとさえ思ってたんですよ、社長」

「……それで、私を毒で弱らせて、脅しを?」

「叶うなら、あんな真似はしたくなかったんですが……貴方が、人間の依頼で動いていると聞いたもので」


インキは、胸の痛みが伝わってきそうな程に嘆きを込めた声と、涙で滲んだかのように文字が窺えない紙を吐き出した。

モノツキである以上、敵にすることが躊躇われる昼行灯と戦わねばならないことを、インキは憂いている。
それでも、彼は立ち上がって、昼行灯に武器を向けた。


「社長、俺は残念ですよ。今でも尊敬している貴方が、人間なんかに飼われていることが。その為に、貴方を此処で殺さなければならないことが……俺はとても、残念です」


裁断機にも似た、鋭利な刃物が光る。

インキが、かつてツキカゲにいた頃と同じ――いや、当時よりも多くの血を啜ってきたのか、柄が赤黒く変色している太刀が、
昼行灯の首に狙いを定める、獣の瞳のようにぎらついている。

その光に誘われるように、周囲を囲むモノツキ達もまた、それぞれの武器を取り出した。


引き返すことは、もう出来ない。彼等に、インキに敵と見做されてしまった以上、昼行灯は下がれない。

此処で人間に反旗を翻すことを誓い、サカヅキの望む世界の為に革命へ踏み出さなければ、彼は見逃されることはない。
だが、その好機すら、昼行灯は無言の否定で手離した。


ガーガーと忙しない音を立てて、インキの頭部から大量の紙が吐き出される。
真っ赤に染まった紙には、読み取れない程に細かくびっしりと、怨念と悪罵が書き連ねられている。


「さようなら、社長………いや、クソ人間の犬っころ。すぐに飼い主共も、地獄に叩き落としてやるよ」


その言葉を合図に、インキと、サカヅキの構成員達が昼行灯に襲い掛かった。

満身創痍で一人の男は、このまま屠られるだろう。同じモノツキを裏切った、人間の犬として、昼行灯は無惨な死を迎えるだろう。

それが、この場で起こり得る必然の結末だと、誰もがそう思っていた。


「……私も、とても残念ですよ、インキ」


次の瞬間。本能的に体を止めたインキの隣で、ちりとり頭のモノツキと、ハンガー頭のモノツキが吹っ飛んだ。

それを視認したかと思えば、タァン!と耳を打つ銃声。

鼓膜が痛みを感じる間もなく、今度は向いで、コルク頭のモノツキが、倒れた。


一体何が、など、考えるだけ無駄で、馬鹿らしい。分かり切っている筈だ、状況を考えれば。

それでも、困惑せずにはいられない。今、何故こんなことが起きているのか。

血を上げ、叫び、地に伏せるべきは、一人。昼行灯だけの筈だというのに、どうしてサカヅキのメンバー達が。


ほんの数秒、限りない刹那の中で、思考を張り巡らせるインキの前で、また一人、モノツキが撃たれた。
そこをすかさず、一突き。
強く踏み込み、肩を抉る一撃を喰らわせ、その勢いのまま吹き飛ばされたモノツキから、直ぐに視線を離し、それは、半ば呆けていたインキへと、黒い光を振り翳す。

反射的にその攻撃を防いだ時、インキは全身の血が冷えたような感覚に見舞われた。


瞬く間に塗り替えられた現状の中心に、揺らぐ一つの炎。
赤く、煌々と燃え盛るそれに見据えられたが最後だということを、インキは身を以て再認識する。


「かつての部下に、手を下さなければならないだなんて」


傷を負えど、四面楚歌に身を置こうと、彼は、それを越えて此処に至っている帝都の闇から生まれた化け物。

今、自分が立ち向かっているのは、無明の迎え火――昼行灯だと、インキは紙も吐き出せぬまま、機動音を響かせるしかなかった。





「おーっし、いい狙いだ。流石殺し屋さんってとこか、筋がいいなお嬢ちゃん」

「まぁネ。そっちも、伊達に過激派やってないって腕してるヨ」

「そりゃあどうも。そんじゃ、もう一発行くとすっか」


スナイパーライフルを構え直し、言葉通りもう一度。犇くモノツキを狙い、引き金を引く。

工場のキャットウォークから狙撃してくる相手を見て、二重奏はノイズを荒げた。


「あい、ガガつ……ホウジョー・モトマサ!!なんガ、ガガ、あいつガ、ガガガガ此処に!!!」

「帝都がモノツキによる支配社会に変えられるのは、同じ革命を望む者としても見過ごせないってことで…今回手助けしてくれることになったんだって」


これ以上撃たせまいと、二重奏が武器を構えた瞬間。後方から、重い一撃が振り下ろされた。

間一髪躱し、身を翻してみれば、其処には自分と同じ、異形の頭をした男が、鈍く光る鉄の棒――物干し竿を握り、構えていた。


「やっぱ強かっていうか、抜け目ないっていうか……うちの社長、やっぱ底抜けの馬鹿って訳じゃなかったみたいで安心したよ」

「お前……ガガッ……すすぎあらい…!!」

「あんた、ほんとにこっちについてたんだね……ま、俺はあんたのとこ全然行ってなかったから、あんま驚けてないんだけ……ど!」


言いながら、ダンと床を踏み、全身の力とバネを使い、すすぎあらいが腕を振るう。

得物の性質上、受け止めることが叶わない二重奏は、縦に来る攻撃に対し、必然横に飛び退くが、
そこを狙い澄ましていたかのように、横薙ぎの攻撃に襲われ、腹部に強烈な打撃を受けた。

ピーガガガガッと、調律の狂った音を上げながら、吹っ飛んでいく最中。
彼が目にしたのは、いつの間に乱入してきていたのか。ホウジョー一派のテロリスト達と、ツキカゲの社員達によって、
みるみる征圧されていく同胞達の姿と、昼行灯の怒濤の攻撃を受け、もう既に傷だらけになっていたインキの姿であった。


「何故だ……何故モノツキであるお前が!人間なんかに加担するんだ!!」


上手く紙を出すことも出来ぬまま太刀を振るえど、鉄蝋に止められ、流され、刃は昼行灯に届かない。

それどころか、構え直す間もなく、懐に潜り込んで来た昼行灯に身を裂かれ、杭を打たれ。
喚いている内に、あっという間にインキは足元を掬われ、その場に倒れ込んでしまった。


「どうして、人間なんかに……人間なんかに、なんで、なんで、なんで、なんで」


みっともなく尻餅をつき、ようやく出て来た紙に、幼児が殴り書きしたような文字で、
なんで、どうしてと訴え続けるインキの手に、昼行灯は鉄蝋を突き刺した。

手を貫かれる痛みでインキは悲鳴を上げるが、のた打ち回ることは許されず。
反撃も逃亡も出来ない彼を見下ろしながら、静かに揺れる蝋燭の炎は、淡々と――だが、打ち震えそうな声で、インキの問いに答えた。


「……どれだけ墜ちようと、どれだけ貶められようと、どれだけ虐げられようと、どれだけ穢れようと――……私達もまた、人間だからです」


インキは、自分達はモノツキであり、人間とは違うものだと、そう思っている。

事実、それはある意味では正しいが、昼行灯は、そうは思わなかったし、思いたくもなかった。


「この身が異形であり続けても、私達は、人間です。それが……私達が、貴方を止める理由です」


呪われたこの身も、この心も、人のものだ。

姿形が変わり、差別され、区分され、見放され、追いやられようとも――自分達は、人間だ。

だからこそ、同じ人の為に――同じ人であるヨリコの為に戦うのだと、昼行灯はインキを打ち倒した。


最後の一撃を食らい、意識を失うその間際まで、なんでと書かれた紙を吐き続けた彼には、その想いを理解することは出来なかった。

分かり合うにはもう、遅すぎて。インキは、壊れきってしまっていたのだ。


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