もっときちんと向き合っていれば、シズちゃんがあの日の事を覚えている事実も気づけたかもしれない。確かに新羅は、薬を飲ませた後のことなんて言っていなかったから覚えているのが普通だと。 どうしてすべてが終われば都合よく消えてしまえると勘違いしていたのか。そうやって逃げたかっただけなんだろうけど。 「大体なんで忘れようとしたんだ?っつーか話してたらあん時のこと思い出してすげえイライラしてきた」 「忘れようとしたんじゃなくて、俺は本当にあの日のこと忘れたかった。シズちゃんが好きなこと、忘れたかったんだ」 「……ああ?」 言いながら、とりあえず買ってきたものを冷蔵庫に入れる為か台所の方に向かう。視線は逸らされたので自由に動けたが、質問に答える為に唇だけが動いた。 きっと怒るだろうな、と思いながら止める術は無い。真実だけをしゃべってしまう。 「どうして好きになってしまったんだろうね。嫌われてるのに、拒絶されるのに、言ったところで傷つくだけなのに。今でもどうしてこんなに諦められないのか、わからないよ」 「おい手前」 「シズちゃんのこと忘れられるなら、それこそ新羅に金でも出して別の薬でも作って貰った方がよかった」 自嘲気味に笑いながら、二日酔いの頭痛が酷くなる。結局は甘かったのだ。本当に忘れたかったら、もっと確実な方法を探せばよかった。 一年に一度思い出すのが辛いけれど、あの時の胸のときめきを振り返るのはそんなに悪いことではなくて。余計傷つくけれどやめられない、麻薬のようなものだ。きっと恋とはそういうものなんだろう。 新羅から貰った薬を使うと決めた時も、そんな軽い気持ちだったはずだ。嘘でもいいから、俺のことが好きなシズちゃんが見たいという。 「なあ、なんで勝手に諦めようとしてんだ?忘れようとしてんだ?」 「それは…」 「そもそもよお、どうしてあの日セックスした後にケーキ食べるっていう約束破ったんだ?言いたいことだけ言ってすっきりしたから、元に戻った俺には用が無いってことか」 「約束を破ったんじゃないよ。あんなの全部嘘だった。シズちゃんとどうこうしたいとか、考えるわけがないだろバカみたい」 「あ?」 ようやく冷蔵庫に全部入れ終わったのか、シズちゃんが戻ってきた。本気で苛立っているような形相をしていて、殴られるだろうことを覚悟する。 でも言わせたのはそっちだから、と心の中でだけ反論して口を開いた。わざと最高の笑みを浮かべて。 「シズちゃんと俺が本当の恋人同士なんてなれるわけがないだろ?叶わないことだから、よかったんじゃないか。一日限りだから甘えて好きにできたのにさあ、本当に起きたら怖い話だろ?」 「臨也、手前…」 「どんなに世界がひっくり返っても、君が俺のことを好きになることだけはないよね。そこまではっきりわかってるのに、何を望めばいいの?」 一瞬シズちゃんは、呆けたような表情をしていた。俺はその意味がわからない。 こんなにも当たり前のことを、きちんと一から説明してあげなければ理解できないのかと腹立たしいぐらいだ。バカみたいな面してないで、さっさと返事をして欲しかった。 絶対に好きになることだけはない、と。 「おい、待て。聞いていいか?」 「なんだよ」 「手前はよお、俺に好かれないなら忘れた方がいい。全部一日限りで、その後も…今も何も望まないって、そういうことか?」 「そういう、って…どういう意味だよ」 なんだか言いにくそうに口ごもっていて、要領を得ない。シズちゃんの方が何でも俺に尋ねることができる立場なのに、何を躊躇しているんだと少しいらっとした。 よからぬことをしゃべりそうな雰囲気はあったのだけど、今更だ。これ以上残っていないぐらい、曝け出しているのだから。 「俺が手前のことを好きになる可能性を、全く考えてなかった、ってことか?」 「はあ?そっちこそなに言ってるの?」 意味が解らなくて怪訝な表情になる。シズちゃんの言いたいことが、まるっきりわからない。何の話をしているのかさえも、理解できなくて。 「だから、俺が…手前を好きだってことだよ」 「わかってるよ?そういう嫌がらせ、でしょ?」 当然のように言い返した。いくらなんでも、そこまでバカじゃない。本気と冗談の区別ぐらいつく。シズちゃんの嘘が見抜けなくてどうするんだ、と肩を竦めて笑った。 しかしそこで向こうが凍りついたような表情をして、焦った様子でもう一度言う。 「本気だ、って言ってんだぞ」 「そんなので俺が傷つくと思ってたんなら、君は相当めでたい頭をしてるよ」 「待てよ、おい聞け!」 「ちゃんと聞いてるじゃないか」 わざとらしく、クスクスと声をあげる。薬のせいで言わされている、という感覚はもう薄れていた。完全に頭の中で考えていることと、言いたいことがシンクロしている。 「そういうのは、ちゃんと好きな相手に言わないとダメだろ?ああ、練習台だったっけ俺は」 宥めるように言ったつもりだったのに、なぜかシズちゃんは傷ついたかのように何かをぐっと堪えるのがわかった。言いたいことは俺みたいに全部言えばいいのに、と目を細めて見つめる。 「練習台ってなんのことだ。俺の好きな奴は…」 「ああそういえば、願いを叶えてくれるって言ってたよね。こういうのは、どうかな」 それ以上しゃべらせるつもりはなかった。だからわざと言葉を遮るように声を荒げ、自分から残酷なことをはっきりと提案した。 「シズちゃんがその相手とうまくいくように、教えてあげる。俺を彼女の代わりにしてよ」 「なんだと!?」 正真正銘のバカだ、と自分で思うのに止められない。そういう風になっているから。嘘もつけない、偽ることもできない。本気で思ったことを口にする。 一体何を言っているんだと怒ることもできず、自分を傷つける。どうして自らシズちゃんの好きな相手の代わりを申し出ないといけないのか、頭がズキズキした。でも本気で。 悲しいけれど、止まらない。溢れ始めた感情が、本気の気持ちが言葉になってしまう。 シズちゃんの為ならなんでもする。どんなことでも構わない。俺が幸せにならなくてもいいから、代わりに幸せになってくれと健気なことを。 「あと数時間しかないけど、恋人ごっこつきあってあげるからさあ……絶対にその子とセックスして、愛してあげて」 「手前それ、本気か?」 「君達が結ばれるように、なんでも教えてあげるよ。ねえそれでいいだろ?せめてそれぐらい、させてよ」 過去に犯した過ちを正す方法が、他に考えつかなかった。俺自身はシズちゃんに何もして貰いたくない。どちらかというと、こっちが償いたいぐらいだ。 勝手に体を使ってしまったことを。唯一あのことを利用できるというのなら、きちんと性行為の仕方を教えてあげるしかなかった。最善の策としか思えない。 「このままじゃ、みっともないから俺」 ボソボソと呟くが、本人には聞こえていないだろう。唇を噛みながら苦々しい表情をしていたから。 「…その恋人ごっこ、っつうのをしたら満足するのか?」 「まあ少しは満足するんじゃないかな。シズちゃんを好きになれてよかった、って思えるかもね」 嫌だと拒絶されるかと思ったが、意外にも折れてくれた。シズちゃんにしては珍しい。それは多分彼女の事が、好きな相手の事が絡んでいるからだろう。 まだ硬い表情をしていたが、これであの時の仮を返せると思うと嬉しくて口元が緩んだ。きっと別の意味で俺自身は傷つくだろうけど、過去にしてしまった行為をチャラにできる。 高校三年のあの日に繋がらなければ、シズちゃんは幸せにならなかった。あの時の選択は必要なもので、俺がいなければ彼女と結ばれなかった。 そういう確かな証が欲しかったのだ。自己満足だとしても、己の行為を正当化させたかった。その為に体を使うことぐらい、簡単だ。 「やけに嬉しそうな顔するんだな」 「そりゃあ、まあ…まだ、好き…だし」 シズちゃんの為にという建前があるが、下心が全く無いわけじゃないのだ。本心は表情に出る。 また好きな相手と性行為ができることに喜んでいると。今度こそきちんと教えてあげて、互いに気持ちよくなれたらと思ったのだ。 「あークソッ!本当に手前は面倒臭い奴だよな!!」 「悪かったね」 「わかったよ、恋人ごっこしようじゃねえか。なあ臨也くんよおッ!」 prev│ text top |