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ただほんの少し、かすめた程度。“たぶんね“という名前がついた動物からコップを受け取ろうと手を伸ばした際、指先が触れてしまっただけだ。
それだけだったのに、瞬間、脳に伝わったのは、目を背けたくなるくらいの、真っ赤な記憶。

「っ、ぉえ…ッ」

その記憶があまりにも不快で、不気味で、気色悪い。
鳥肌が全身を覆い、血の気が引き、反射的に動物や医師達から離れるようにベッドの端まで体を移動させた。点滴で左腕に刺していた針は抜け落ちてしまったがそんなことどうでもいい。咄嗟に口元を両手で抑え口から溢れないようにと耐えたが、その願いは叶うことなく、胃に溜まっていた異物を戻してしまう。

「ぐ、ぇ…う"っ…」
「大丈夫ですよ!落ち着いてください。深呼吸しましょうか」

他人事とは思えない記憶。客観的に見ることができない記憶。過去の私が一体何を仕出かしたのかは知らない。しかし、犯してしまったことに変わりはない。証拠なんて何もないけれど、被害者側ではない事だけは確信する。

わたしはひとをころしたのだ。








解離性健忘。何らかのトラウマやストレスによって記憶を失くす現象のことを示す。
それが医師の診断結果だった。しかし、私からすれば不可解な点が幾つかある。
あれから、さまざまな検査を通して自身が感じた事なのだが、まずは、私が使用している文字と、この世界が使用している文字が異なるという点。この世界の人たちが使用する文字は、私からすればただの暗号だ。当然読めるはずもない。しかしながら互いの会話は通じるようである。
あとは動物。ポケモン____ポケットモンスターと呼ばれる動物たちはみんな自己を縮小できるらしく、特定のボールで捕まえて収納できたり、共に過ごしたりする存在らしい。そのポケモン自体存じ上げないが、それぞれに似た分類の名前なら認識している。簡単に例えるなら、医師たちが連れていたポケモンたちの中でだと、先程私が戻してしまった異物を看護師さんと一緒に掃除してくれたチラチーノは“鼠“で、診察の際、催眠術なるもので眠らせてくれたムシャーナは“バク“、というものか。
過去の記憶も、何処に住んでいたのかも、今までどう過ごして来たのかも、自分が何者かさえ分からないのに、変な情報だけは記憶に残っているだなんて、気持ち悪いにも程がある。
____もしかしたら私は、この世界とは異なる人物なのかもしれない、と錯覚してしまうほどに。

「とりあえずは、経過観察ですね」
「成る程。一体どのように?」
「ポケモンや私たち人間に触れることのないようにします。もし仮にぶつかってしまったりしたら、同様に拒否反応を起こしてしまうかもしれませんから。まずは視界から環境に慣れさせていきましょう」
「そうか」

話す体力までまだ回復できていない私は、医師の会話を受け流さないように、と聞くことだけに精一杯だった。
どうやら私はポケモンと呼ばれる動物だけではなく、人にさえ自ら触れることに対し拒否反応を起こすらしい。といっても、私からすれば別に、ポケモンも人も嫌い、という訳ではない。“生き物に触れると例の記憶のように殺してしまうのではないか“という恐怖の方が正しい。だから、例の真っ赤な記憶に関しては医師には一言も口にしていない。というか、言ってしまうのが怖かった。どんな視線を浴びるのかは想像がつくし、近い先の未来、刑務所行きに違いないだろうから。ならば医師が下した病名通り記憶喪失のままを演じた方がいいに決まっている。
嗚呼私ってずるい人間だな、と、心底思った。

「……(というか)」

話は変わって、先程から私の後ろに立って医師と診断結果を話し合っている黄色いマフラーを巻いた男性は一体何者なんだろうか。


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