06




「ヴィダ……って」
「わたしの知り合いが小説家でね。ついさっきまで、知り合いの書いた小説から名を探していたのさ」

空色の瞳から視線を逸らして口元を手で覆う。冷え切った心がぽかぽかとあったかくなっていく。まだ知り合って間もないのに名前を付けてくれて、嬉しさを飛び越えて、涙が溢れそうになった。

「気に入ると賭けて呼んでみたのだが…ふふ、どうやら正解だったようだ」

ヴィダ。その名前がはじめて、私という存在価値を与えてくれたような気がして。




というのが数時間前の話である。
こうして、記憶のない私に付けられた名前は、ヴィダ。
病院生活最終日。ここまであっという間な時間だったが、入院生活は終了しただけであり、これからも月に一回は定期的に病院へ治療に来てほしいとの事で、医師と相談した結果、月末の日に診療をしていただく流れとなった。

「いろんな場所へ連れて行くと記憶が戻る可能性もあります。かといって、四天王として日々お忙しいこともありますし、無理に毎日外へ出す必要はないのですが…」
「お気遣い有難う。わたしは平気だから、その点は気にしないでくれ」

病院の入り口前、ホールにて。医師は私の隣に立つギーマさんとこれからの治療法についての提案を伝えていた。一方で私は何も言うことはないので、2人の会話に耳を傾ける。

「それでは…ヴィダさん」
「は、はい!」
「私たちが君の記憶を取り戻せられるように、生き物に触れられるように、これからも治療を続けます。何か不安なことがあれば、いつでも相談に乗りますからね」

ギーマさんから教えてもらったのだろう。医師は私の新たな名前を呼んでくれた。そこはとても、嬉しい、のだけれど、

「……あ、りがとう、ございます」

記憶を取り戻せられるように。その言葉に引っ掛かりを感じて純粋に喜べなかったなんて、言えるはずない。表情筋が強張るのが感覚的に伝わってくる。医師に向けている笑みは、きっとぎこちないのだろう。
これまで治療していただいた事に対して感謝の礼をした後、病院という建物から始めて外へと踏み出した。

「じゃあ、行こうか。ヴィダ」
「はい。これからお世話になります」

これは先日教えてくれたことなのだが、ギーマさんはドンカラスという烏のポケモンに乗って移動することが多いようで、今のように自分の足で街や家を行き来することはほとんどしないとの事。生き物に触れない私のことを思って配慮してくれていると知り、とても申し訳なく思ってしまったけれど、私の心を読んだのか、そんなこと気にしなくて良い、と返事をしてくれた。
そんな優しいギーマさんの後を追って、病院から背を向けて歩き出す。

空は快晴。季節は秋。風はほんのすこし肌寒く、気持ちがいい。





記憶なんて、一生戻らなくていい。
過去の私がどうして人を殺したのかは知らないけれど、これから先の___ヴィダの人生に足を踏み入れて来ないで。

記憶の中の殺人鬼と区切りを付けて、全く異なる新しい私で居られるように。彼から貰った名前を体に叩き込むように、馴染ませるように、心の中で何度も、何度も呟く。

これからはの私は、ヴィダとして生きていくと、決めたのだから。


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