05



病院で保護されてから初めて、自分の意思で病室から抜け出した。







青、蒼、碧。雲ひとつない青空が地平線の彼方まで続いている。吹き渡る風も酷く落ち着いており、良い洗濯日和ではないかと呑気なことを考えるほどに。洗濯を干した記憶なんてこれっぽっちもないけれど。

そう、私は今、屋上という場所に来ていた。
自殺防止のためであろうフェンスが高々と取り付けられており、少し離れた場所には物干し竿が置かれている。ここで洗濯物を干したりするのだろう。まだ世間でいう朝食の時間帯の為か、私以外周りに人やポケモンの姿はなかった。屋上に行きたい、と、一昨日親子揃って話しながら廊下を通り過ぎていくのを、硝子越しから聞き逃さなくてよかった。屋上も案外良いものである。

設置されているベンチに腰掛けて、広がる青色を眺めている中で、心の奥底に違和感。それはむず痒いものでなければ、痛いものでもなく、苦しいものでもない。なにか、ぽっかりと穴が空いたような感覚だった。一体何故。ただ空を眺めているだけなのに。どうして。

____わたしはこの蒼空に見覚えがある。



「やっと目が合ったな」

はじめて人の眼を見た。

「…っ!」

ギーマさん、だった。
彼は私と目が合うように腰を曲げて見下ろしていた。どうして此処が分かったのか、とか、足音が聞こえなかった、とか、そんなものは二の次で、咄嗟に天へ向けていた顔を下へ向け、のけぞり気味だった体も抱え込むように丸めて顔を両手で覆う。彼の普段の余裕そうな表情ではなく、してやったり、といった表情が頭から離れなくて、ぐるぐると思考が回る。
何よりも、ギーマさんの瞳は、優しかった。さっきまで眺めていた、空の色。

「み…見れ、た……」

蚊の鳴くような声で思わずそう呟く。
触れただけで見たくもない記憶が流れてくるのに、他人と目が合ってしまったらどうなってしまうのだろう、という不安と恐怖で毎日押し潰されそうだった。視界に入れないように、視線が合わないように。他人の目元を、白いクレヨンでぐちゃぐちゃに塗りたくったように隠していたのに、それが綺麗さっぱり無くなって、青空へ溶けていったのだ。
私へ向ける視線は、不思議と怖くない。目が合っても、赤い記憶は現れない。
人と目が合う、って、こんなにも嬉しいんだな。

「は、あの、すいません、びっくり、して」

焦る呼吸を整えて、顔を覆う指の隙間から恐るおそるギーマさんの瞳を覗いてみる。やはり例の記憶は現れない。他人と目を合わせるのが初めてで新鮮だったこともあって、再び彼と目が合えば心の奥がじんわりとあたたかくなるのを感じた。一方で、私の視線に気が付いた彼はふわりと口角を上げている。

「構わないよ。良いものが見れたからね」
「良いもの……あ、どうして、私が屋上に居るって…」
「彼女が教えてくれたんだ」

ギーマさんの側に突如姿を現した紫色の豹。レパルダスと呼ばれるそう。彼曰く、病室に残っていた私の匂いを辿ってここまで探し当てられたらしい。レパルダスはしなやかな体格を持っており、気配を遮断して戦闘を行うのが得意との事。言葉通りであれば、ギーマさんのレパルダスは雌で間違いない。

「それで、君はこれからどうするのかな」
「ど、どう、って」
「健康上、もう病院には居られないんだぜ。その後どう生きていくのか、って話だ」
「そう、ですね…」

ぽつり、ぽつり。顔を覆っていた両手を膝に移動させて、体を抱え込んだ体勢のまま彼からの質問に答えていく。

「ひとりで頑張ろうかなあと、思います。これ以上、皆さんに迷惑かけるわけにも、いかないですから」
「君の考えはそれしかないと」

こくりと首を縦に振る。野宿生活かな、と、乾いた笑いが口から溢れた。数週間とはいえど、ハンサムさんの勤務している国際警察署で保護されるのは、正直かなり嫌だ。色々と心が持たなくなるかもしれない未来が見える。それに、結局保護される期間が終われば自立しなければならないのだから、今から慣れていったほうがいい。
ポケモンも人もいない所で死んだように暮らせるなら、それでもう充分なのだ。

「ならば次はわたしの提案だ。良い考えがある」

良い考え、その言葉に顔を上げない今の私ではなかった。それくらい追い詰められていたのだなと思う。反射的に顔を上げれば、視界にはギーマさんの華奢な足。いかにも高そうな布地を使っていそうなスーツなのに、関係ないといったように地面に片膝をついて私と同じ高さで話しかけてくる。あ、また視線が合った。

その空色の瞳は、まるで宝石のよう。

「ヴィダ、わたしの元に来ないか」


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