そんな嬉しそうなカオすんなって
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「オイ見たか!?」
「見た見た見た!!」
「ヤバかったマジでヤバかった」
「えっ何なになに」
「情弱は黙れ! 死ね!」
「ん? 今誰か死ねっつった?」
「ダハハハ警察の風上にも置けねぇ」
翌日・十一月九日の朝である。
警視庁内はとあるニュースで持ちきりだった。
そのニュースの源は、各フロアの掲示板に貼られた一枚の紙切れだった。
毎月十日に、その掲示板には翌月の内示が交付され、職員たちは「アァ、アイツ異動するんだ」「へ
来月からウチの課に新しい人来るんだ~」と知る。
内々示をもらっている人間は漸くそのタイミングで「俺、アソコの課に異動するんだ~」と公表できるようになるのだ。
それだけでなく、部署の編成が変わる時や新チームが立ち上がる時──警視庁内では時たま大規模な組織改変が行われる──もその日に交付され、「あ、来月からあのチームと合併するんだ~」「うーわあの部署の直下かよレポートラインだっる」と様々な思いを口にする光景がよく見られるのだ。マァ組織改変が行われる時は大体前もって噂になっているのでそこまで大きな衝撃はないのだが。
が、今日は。
通常の内示日よりも一日早いのに、掲示板の前には大勢の人間がひしめき合っていた。
「見えん誰か読み上げてくれ」
「新しい部署が立ち上がるんだと!」
というワケである。
そんな噂ミリもたっていなかったのに。
ので、全員が掲示板の前で立ち止まり、やれ新しい部署は何だ誰が配属するんだそもそも何で今日発表なんだと口々に騒いでいた。
新しい部署の名前は警視庁・諜報部=B
今まであったサイバーセキュリティ課・公安の情報屋から一部人員を引き抜き、世の中に蔓延る様々な情報を集め・統合し・然るべき組織に報告し、事件や捜査のサポートをする部署だという。
「えっサイバー課の
東南コンビが引き抜かれてる!」
「マジ?
東南コンビ? あとは?」
「公安の…タカギシ? ってヤツ。誰か知ってる?」
「ヤ知らん…けど、確か公安に情報収集のスペシャリストがいるって聞いたことあるからもしかしたらソイツかも…。あとは?」
「うお、待ってくれヤベェ名前見つけた」
「なになになになに」
彼らがザワついているのはそれだけではない。
引き抜かれている人間が揃いも揃って有名人だらけなのだ。
サイバー課の
東南コンビは、仕事はできるが死ぬほど素行が悪いセンパイ・仕事はできるが死ぬほど腹が黒いコウハイの凸凹コンビ。
公安の彼も名前こそは知られていないが、マァ仕事ができることで有名な男だった。
そして、何よりも彼らがビックリしたのは、
「マドンナちゃん…?」
「え、これってマドンナちゃんだよな?」
張り出されているメンバーの中に、警視庁イチ有名な女の名前があったからだ。
その女は警視庁のマドンナちゃん≠ニ呼ばれ、庁内のみならず世間一般の人間たちにも愛される警察の顔。「美しい」という名詞を擬人化したような女だった。
また彼女には警察学校の姫というか女神というか妖精さんというかマドンナちゃんを守る会──通称マドンナ協会≠ニいう酔狂なファンクラブが昔から存在し、
「号外です!」
「
あのマドンナちゃんが諜報部に引き抜かれました!」
と、各フロアのエレベーター前で【号外!】とデカデカと書かれたビラを配っている。
「ダハハいつ作ったんだよ。…一部ください」
「仕事早ぇ~。俺にも一部」
「僕もください。わぁ…マドンナ協会って本当にあるんだ…」
「ハイどうぞ。…あ、もしかしてお兄さんたちマドンナ協会に興味ある感じですか?」
興奮しながらビラを受け取ったお兄さんたちは、ビラを大量に持つ美男子に流れるように話しかけられた。
さっぱりと整った顔立ち・泣きボクロ・黒髪センターパートというモテ¢S部載せみたいな男である。
「アッすみません突然。お時間あります? お兄さんたちどこの課です? アァ、公安部なんですね。毎日お仕事お疲れ様です! 疲弊した身体に潤いはいかがです? マドンナちゃんを応援するだけで元気百倍! 仕事効率化! 薔薇色の人生間違いなし! 協会員全員がアナタの入会をお待ちしております!」
まるで悪徳マルチ商材もしくは新興宗教の誘い文句のような言葉をペラペラ紡ぐ男は、何を隠そうマドンナ協会会長・芹沢ケイジである。
この男は警察学校の入学式でマドンナちゃんに一目惚れし、その日のウチに同志を集め(かっこいい言い方をしたが実際は同志たちと事故のような出会い方をし)、マドンナ協会を発足させ、今や百人を優に超える会員たちのトップに君臨する男だ。
警視庁には会長である芹沢が睨みをきかせ、幹部≠ニ呼ばれる四人の男たちがそれぞれ関西・中部・九州・東北地方の協会員たちを束ねている。その全員が警察学校の入学式で彼女に心酔したバカ共であるのは言うまでもない。
マァしかし協会員の数はご本人≠ェいる警視庁が圧倒的に多いので、会長である芹沢が十一月に
警視庁に異動になる前までは統率がうまく行っておらず、マドンナちゃんに近付こうとする不届き者もチラホラいた。
ので、彼がココにきて最初にしたことは不届き者の粛清とマドンナ協定の青空教室である。仕事しろよ。
その甲斐があってこの一週間で協会員たちの治安は一気に良くなり、だもんだからこうして新規勧誘にもチカラを入れることができるというワケだ。本当に仕事しろよ。
「最近寝付きが悪い。よく目が覚めてしまう…なんてことありませんか?」
「…ある」
「集中力が切れやすい。スグにイライラしてしまう…なんてことありませんか?」
「……ある」
「疲れが溜まる。何も悲しくないのに涙が出る…なんてことありませんか?」
「………ある!」
「マドンナ協会に入会すればそんな悩みとはスグにオサラバ! マドンナちゃんを信じるものは救われる! 是非ご一考ください!」
芹沢のよく動く口にお兄さんたちは目をグルグルさせ、気付くと入会書にサインをしていた。
彼らの後ろでは他のマドンナ協会員も、
「マドンナちゃんは警察学校時代、女子首席をずっとキープしていて…」
「格闘技大会女子の部で見事優勝して…」
「三日前、国際指名手配犯を捕まえた女神で…」
「一昨日の連続爆破犯を捕まえた天使で…」
「警視庁の妖精さんの正体で…」
と、口々に武勇伝を通行人に聞かせている。
決して、プラーミャを捕らえたのも、一昨日の爆破犯を捕まえたのも、妖精さんだったことも、本人の口からは公表していない。
が、マドンナ協会はリアルタイムでその情報を仕入れていた。なぜなら、協会員の中に情報収集のスペシャリストがいるのだから。
そのあまりの盛り上がり具合に、掲示板の前にいた人間は全員マドンナ協会員の近くに集まり、
「俺にも号外くれ!」
「えっ妖精さんってマドンナちゃんだったの!?」
「キャッ、松田さんの命を救ってくれた女神ってマドンナちゃんなの!?」
「マドンナちゃんが萩原さんの仇を討ってくれた…って…コト?」
と、大騒ぎなのだった。
そんな中。
「…ふうん」
人が捌けた掲示板の前に歩み寄り、交付された内示をジ…と眺める女がいた。
艶やかな髪・整った美貌・抜群のスタイルを誇る女である。
彼女は、たった今近くで大盛り上がりする集団の噂のマトであり、この数日間で様々な偉業を成し遂げたパワー系美女・マドンナちゃんだった。
「やるじゃん」
マドンナちゃんは念願の異動、そして願ってもなかった自分のチカラを発揮できる部署≠フ設立に、思わずかわゆい声で呟いた。
きっと昨日の脅しが効いたのだろう。おそらくあの後、上層部で緊急ミーティングを開いたのだ。
「上等。やってやるわよ」
あの上司三人衆の反応からするに、これは自分への挑戦だとスグに分かった。
──いいだろう。オマエの要求を呑んでやる。あんだけ大口叩いたんだ。そこまで言うならやってみろ。その代わり…ヘマしたら分かってるよな?
そんな声が聞こえてくるような内示表に、マドンナちゃんは不敵に笑った。
「…あれ?」
「え?」
「あそこにいるのマドンナちゃんじゃない?」
協会員を囲んで大盛り上がりをしていたお兄さんたちが彼女に気付いた。
その瞬間、喧騒はピタ! と止まり。──次の瞬間、
「えっかわい…」
「僕リアルマドンナちゃん初めて見たかも」
「あれ? お花畑が見える…!」
「マドンナちゃんこっち向いてーッ!」
「おいやめろバカ話しかけんな! マドンナちゃんが穢れる!」
「あぁマドンナちゃん、か゛わ゛い゛い゛!」
一気に騒ぎ出した。
先ほどの二倍くらいのボリュームで。
さてマドンナちゃんはこれに困ったように眉を寄せ、マァしかし異動が決まって気分が良かったので。「うふ」と笑ってウインクし、颯爽と自分の居室に帰っていくのだった。
「「「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」」」
ウインクにやられ阿鼻叫喚と化したニンゲンたちに背を向けて。
△▽
「やマジであの内示にはビックリした」
「は? オレは確信してたけどな。マドンナちゃんならいつかこうなるって」
「嘘でしょ芹沢ちゃん誰よりも腰抜かしてたじゃん」
「アレは驚きじゃなくて喜びの腰抜かしだっつの!」
「喜んで腰抜かすバカがどこにいんだよ」
萩原はビールジョッキを豪快にテーブルに叩きつけて笑った。
芹沢は萩原に熱く語り、それを松田が鼻でせせら笑った。
さてここがどこかというと、お察しの通り居酒屋である。
警視庁からほど近い、安価なのにゴハンが美味しいと評判の小料理屋・五右衛門≠フ一番奥。
完全個室のソコは、元・警視庁警察学校第104期生のいつメン≠スちの溜まり場だった。
今日はいつメンの全員が揃っている。実に四年ぶりの全員集合だった。
「あの内示には僕たちも驚いたよ。昨日の二十二時くらいに急に『警視庁に新たな部署を作る』ってお達しが来たんだから」
「あんな驚いた顔のゼロ初めて見たなぁ」
「えっどんな顔したの降谷ちゃん」
降谷は「(°_°)」という顔をして萩原を見た。
これに萩原はブッと口の端からビールを零し、ソレが服に飛んできた伊達がすごく嫌そうな顔をした。
「きったねぇな」
「ア、班長ごめん」
「でもどんな風の吹き回しなんだ? キミなんかやった?」
萩原のビール砲の原因・降谷がピーチウーロンを両手で飲むマドンナちゃんに問うた。
マドンナちゃんは今まで隣の席の廣瀬と仲良く女子トークをしていたので、「何が?」という顔で降谷を見つめる。
「何が?」
「僕らの話聞いてなかったのか?」
「ごめん。廣瀬ちゃんとラッコの話してた」
「ラッコ?」
「ラッコって水中で寝るから流されないように昆布に掴まって寝るんだって」
「へぇ、そうなんだ」
「水から出て寝ればいいのにね」
「「ね~」」
──何で女子二人でラッコの話してるんだよ。
──ゼロも感心してねぇでツッコめ。
──ヒロもシレッと女子トークに入ってんじゃねぇよ。
──「「ね~」」じゃねぇだろ!
松田は心の中で特大ツッコミを入れながら、でもソレを口に出すと五倍になって返ってくるのは知っているのでチベスナ顔でタバコに火をつけた。
「で、何の話?」
「何だっけ…ヒロ」
「え、分かんない。今はラッコのことしか考えられない」
「諜報部の話だろ」
「あ、そうだったありがとう班長。…今回の新部署設立の原因が何だったのかって話」
「…あー」
降谷の問いに、なまえは言いにくそうにピーチウーロンを机に置き、シガレットに火をつけた。
居酒屋の中は薄暗いので、ライターの灯りにボヤリと白い肌が反射し、艶っぽい美貌が妖しく照らし出される。
なまえは「ふぅ」とバニラの香りを燻らせ、それから困ったように眉を下げた。言葉を選んでいる顔である。
「なんて言えばいいのかな…んとね、」
「コイツが総務部長と刑事部長と警備部長に喧嘩売った」
「陣平!」
「何だよ、事実だろ」
「そうだけど!」
松田と萩原以外の全員が「えっ」という顔でマドンナちゃんを凝視した。
喧嘩売った? 何で? 何があったの? と訴えかけてくる視線に、マドンナちゃんは「えっとね…」と口籠もってから、
「どうしても警察の顔≠やめたくて…」
と簡潔に答えた。
「何で!? ヤ別にマドンナちゃんのことを否定するつもりはこれっぽっちも! ミリもないけど!」
「アタシはアンタの肩持つわよ。ずっと『もっと役に立てる部署行きたい』って言ってたの知ってるし」
「何て素晴らしい向上心の高さ! オレ、本当にマドンナちゃんを応援してて良かった…グス…」
「芹沢ちゃんが泣いちゃった」
「手の平返しが早すぎるのよアンタは」
「だっで…マドンナちゃんの希望が叶って嬉じいがら…」
「恐怖すら感じるんだが…」
情緒不安定にぐずり倒す芹沢はさておき、降谷・諸伏・伊達は「で、何があった?」という顔で首を傾げた。
これに萩原と松田は軽く肩を竦め「実は…」と、ここ三日分くらいの出来事をダーッと話すのだった。
「マジか…」
「そんなことがあったのね…」
「ずばらじい…ずばらじずぎる…」
「つか芹沢お前はほとんど知ってただろ。マドンナ協会の連中が今日騒いでたの知ってるぞ」
「知っでだ…でもやっぱ本人前にじで聞ぐど感動がダンチで…」
「もうその喋り方やめろ」
尚も机に突っ伏してグズグズ泣く芹沢はさておき、今日警視庁にほとんどいなかった降谷・諸伏・廣瀬と、まだ所轄所属の伊達は素直に感心していた。
伊達なんてプラーミャ事件の時に彼女がいたことすら知らなかったので「そおだったんだ
」とまるきりアホの顔で無精髭を撫でていた。
「でもほんとアンタ頑張ったわよ。国際指名手配犯捕まえて萩原の仇討って松田の命救ってお偉いさんに噛み付いて自分の道作り出して…褒めちゃお。よしよし」
「えへへ」
「廣瀬お前酔っ払ってんだろ」
「酔ってないわよ松田。二度と話しかけないで」
「廣瀬ちゃん、今睨んでんの降谷ちゃんだけどだいじょぶそ? 陣平ちゃんはこっち」
「あ゛っごべん降谷ぐん!」
「もうダメだコイツ」
廣瀬も芹沢同様突っ伏してしまった。もう帰りな。
そんな廣瀬の頭をヨシヨシするなまえもちょっと眠たそうな顔をしていて、それを見た萩原と松田は「そろそろ会計頼もっか」「そろそろ解散な」とハモった。
萩原は純粋にこういう気遣いができる男なので、これがなまえじゃなくても「帰ろっか」「タクシー呼ぶ?」と優しく言うことができる。
が、松田は普段ソレが全くできない。むしろ「あに(なに)眠そうな顔してンだよまだ飲めんだろいい加減にしろ」と平気なカオで言いのける最悪な男なのだ。
しかし今回は相手がカノジョである。なまえに関することには行き過ぎなくらい過保護であり、微妙な表情の変化にスグに気が付いたのだ。
ので、すぐさまテーブル上のピンポンを押し、店員に「会計で。あとお冷一つください」と伝え、なまえの上着をハンガーから取ってやり、彼女が残した酒を一気飲みしてやった。ちなみにカノジョ以外の人間には死ぬほど興味がないのでお冷は一つだけ。飲みたいヤツが他にいたとしてもそんなことは松田の知るところではない。「あ? お前もお冷? 知らん自分で頼めよ」と心底どうでも良さそうに言ってくるだろう。
「うーわ、見せつけるね~」
「見んな。穢れる。黙れ」
「暴言の叩き売りじゃん」
「うるせぇなお前の一張羅にリンゴのアップリケつけるぞ」
「地味にクる嫌がらせやめて」
「萩原の一張羅って
あのシュミの悪い柄シャツのことか?」
「えっ降谷ちゃんからこんな傷付くコト言われる日が来るとは思わなかった」
「ゼロやめなってオレもちょっと思ってたけど」
「もうあの服燃やすね」
一張羅をバカにされた萩原はペショペショになってしまった。かわいそう。
そんな萩原をガン無視した伊達は、店員が持ってきた伝票を見ながら「あ…と、待てよ計算する…女子は…二でいいか」とスマホを取り出した。今日のお代の計算を始めたのだ。
…と、ここで。
「待って」
今まで眠そうに目を擦っていた女がヤケに勇ましい声で手を挙げた。鞄からプラダの長財布を取り出しながら。
「ここ、私が払う」
「は? 何で」
「マドンナちゃん?」
「なになになに」
「あのね、四年前飲んだ時みんな多めにお金置いてったでしょ。そのお金まだ覚えてるから」
戸惑う男たちにマドンナちゃんは勇ましい声で続けた。
この女、人に借りを作るのが大嫌いなのである。律儀にスマホのメモ帳に覚え書きをしていたのだ。
「伊達くんそれ見して。…あ、ちょっきしあの時の余りで足りそうね」
「ヤいいよマドンナちゃん。もう時効だしあの時のお金は忘れてここは割り勘にしようよ」
「お黙り」
「オレ普通に出すよ。むしろマドンナちゃんの分も出すし…今日はマドンナちゃんの異動祝いだと思ってるから…」
「黙りなさい」
「僕も…何なら僕はみんなより階級高いから多めに出すつもりだったし…」
「何でゼロはそういう嫌な言い方しかできねぇんだ?」
「しゃらっぷ!」
マドンナちゃんは「でも」「やっぱ」とモダモダする男たちを片っぱしから黙らせ、武士みたいな顔で呼び出した店員にカードを差し出すのだった。これでやっと借りを返せた! という清々しい気持ちで。
男たちは情けねー…という顔で、マァしかしそれ以上何も言うことが出来ず。素直に「ありがとー」とか「サンキュ」とか「ごちそーさん」と精算を終えた武士に頭を下げた。
「じゃ、帰るか」
「芹沢ちゃんコンビニ寄ってから帰ろ」
「オッケー。ファミチキ食べたい」
「売ってねぇだろこの時間」
「一縷の望みをかける」
「ダハハ無理でしょ。陣平ちゃんは…マドンナちゃん送ってくか」
「オウ。だから先帰っててくれ」
「送り狼になるなよ~」
「うるせぇな。二度と喋りかけるな」
「キビシーッ!」
「アタシはダーリンが迎えにくるからここで待ってる」
「ほんっとサトシさんいいカレシだよな」
「でしょ。あげない」
「いらねぇ」
「俺もナタリーが車回してくれるからここで待機だな」
「ほんっといいヨメ」
「よせよまだプロポーズできてねぇんだから」
「ヒロ、僕らも行こう」
「そだね」
「おい、ゼロは俺ん家と同じ方面だろ? ナタリーに頼んで家の前まで送ってってやるよ」
「僕らはまだ仕事があるんだよ」
「公安コワ」
居酒屋の前で各々の方面に向かって歩き出す。
萩原・芹沢は最寄りのコンビニへ。降谷・諸伏は警視庁。廣瀬・伊達は待機である。
そして松田となまえはなぜかソワソワしながらタクシー乗り場方面に向かって歩き始めた。奇しくも萩原・芹沢コンビと同じ方面だったので、彼らから少しだけ距離を開けた。
──陣平、このまま寮に帰っちゃうのかな…
──流石に高頻度で泊まったら嫌なカオされっかな…
という気持ちで、しかし其れを伝えることができずにモダモダ歩いていた。
松田も萩原・芹沢と同じ寮だ。寮はここからほど近いところにあるのでタクシー乗り場まで行く必要はない。純粋にカノジョの家に泊まりたいので着いて行っている。マァ断られてしまったらかわゆいカノジョをタクシーまで送っていくという大義名分を掲げればよろしい。
──誘っていいの? でも嫌なカオされたらどうしよ…
──このまま流れでタクシー乗っちまおうかな。でもな…
無言でモダモダ考え、ファミマに入っていった萩原・芹沢コンビの背中を眺め、チラッとお互いの顔を見て目を逸らし、駅前の喫煙所に目を奪われ──、
「「タバコ」」
と見事にハモった。
「ねぇ何で真似すんの」
「俺の方が早かっただろ」
「張り合わないで」
「張り合ってねぇよ」
深夜の喫煙所は貸切状態だ。にも関わらず、二人は小声で罵り合った。なに、周りが静かなので普通の声量を出すのが憚られたのである。
白い煙はアッという間に世闇に溶け、街灯が癖毛と艶髪を心許なく照らした。
「………」
松田は頭ひとつ低い位置にある艶髪をボンヤリ眺め、その髪があまりにも手触りが良さそうに見えたので、無意識にタバコを持っていない方の手を伸ばした。
「な、なに」
「イヤ、触りてぇなって…」
「なにそれ」
「…今日お前ん家行っていい?」
「え、話の脈絡おかしくない?」
「いいだろ別に」
なまえは「む」と口を尖らせ、しかしスグに嬉しそうに唇をむぐむぐさせながら頷いた。
「は、何だ今のかわいー仕草。もっかいやってくれ」
「え私なにしてた?」
「無自覚かよ」
「かわいかった?」
「いつもかわいいっつの」
「それは知ってる」
「お前なぁ…」
自己肯定感爆高女に呆れ笑いをしながら、短くなったタバコを四角い灰皿に押し付ける。
──ほんっと、コイツは…。
溢れ出した愛しさに、一瞬だけ息を止めて。
細っこい腰を抱いて、少しだけ背を丸めて。
「なぁ」
「…なに」
「俺、お前と一緒に住みてぇんだけど」
胸の奥でずっとあっためていた気持ちを囁くのだった。
今日は彼女の家に泊まりたい。というか毎日彼女の家に泊まりたい。だったら一緒に住んじまえばよくないか? と思ったのである。
別にこれはたった今思いついたことではない。
警視庁入庁時から、イヤそのもう少し前から「いつかは」と考えていたことだった。
さてなまえはというと。松田の提案に思わずタバコを地面に落とし、慌てて拾って灰皿に捨て、それから意味もなくコートのポケットに手を突っ込んで。
「…こ、広報の仕事終わって異動したらね」
と、強がりながら言うのだった。
しかしマァその頬は街灯の光でもわかるくらい緩んでいた。
松田の提案が嬉しくて仕方ない、とでもいうような顔である。
「そんな嬉しそうなカオすんなって」
「してないもん」
「あ? してんだろ」
「してないやい」
「ったく…マいいや気ィつけて帰れよ」
「えっ帰っちゃうの?」
「…そんな寂しそうなカオすんなって」
「あ、いま私のこと試したでしょ」
「悪ぃ悪ぃ」
「きらい」
「悪かったって!」
一瞬でぷんすかして喫煙所を出て行くカノジョに、松田は「冗談」「マジで」「元々お前ん家に行くつもりでした」と死ぬほど焦りながらデカい声で謝り、
──ほんっと、かぁわい…
と、心の中でノロケまくるのだった。