皮膚から心まで

喧嘩という喧嘩をしたことが無かった気がする。
別に心が広いとかではなく、我慢していたわけでもなく、怒ると言う事自体にやたら無気力だったのだ。
言い返せば、その人そのものにさほど興味が無かったのかもしれない。
だから、怒り方がよく解らなくなっていたのだろう。

「……ジャーファル?」

ほんの少しの切っ掛けだ。
私じゃない誰かが彼を抱きしめていただけ。
唯それだけ。
確かにもやりとした物がこみ上げるのを感じる。
それでも、それをどう表現したらいいのか解らなかった。
どうしようもなくて走り去った私を彼が追いかけて、抱きしめられて、体温を感じて。
それが嫌で、するりと腕の中から抜けて「戻りなよ」と笑えば、あの人は唇をかみしめて。
その後、どういう会話をしたのかよく覚えていない。
それでも、

「――っ!」

あの人がどうして怒鳴っていたのか、何を怒っていたのか、良く解らないけれど。
耳に残るのは、壁に手を強く叩きつけた音で。
頭にこびりついて離れないのは、あの人の微かに震える唇で。何があの人を怒らせて、
何があの人を悲しませたのか。

私には、解らないままだ。



「何が悪いのか良く解らない……」
「そう?私にはジャーファルさんの気持ち解らなくは無いけど……」
「まじでか」

仕事の終わり、ヤムを誘ってお酒を飲みに来た。
ほんとはピスティも一緒に、と思ったんだけども、捕まらなくて断念。
甘いお酒を飲みながら、大皿に盛られた料理をつつきながら、ぽつぽつと他愛も無い話を繰り返す中で零された今日の喧嘩の話。
まああんな廊下で大声あげれば誰かの耳には入るよね。
最初気まずそうに話を持ち出したヤムも、今ではちょっと呆れた様にこちらを見ている。

「怒らないって、悪い事?」
「怒る怒らないにかかわらず、多分悲しかったんでしょ」
「……」
「例えば、ジャーファルさんがすごく悲しい事があったとして、それを上手く発散できないとしたら、どう思う?」
「……どうにかしてあげたい」
「でもどうにも出来ない」

どうする?と問う様にヤムが首を傾げる。
想像する。
何かを悲しんで、でもそれを何処にもやれないで、どうにも出来ないで、ただ過ぎ去るのを待つだけの、その人を。
――とても痛ましくて、とても切なくて、とても悲しかった。

「……やだ」
「ジャーファルさんが怒ったのって、結局そういうことじゃないの?」
「んん……」
「と言っても謝るのもあれよねぇ」
「――どうすればいいの?」
「思った事を言えばいいんじゃない?」

ヤムはそう言うと、私の手の中にあるお酒を取り上げて、ニッコリ笑った。
そして、

「ま、気まずくなっちゃう前にさっさと話しあってきなさい」
「……明日」
「だーめ」

ほら早く、とせかされて渋々立ちあがる。

「ジャーファルさんならまだ白羊塔だと思うわ」
「……はぁい」

自棄ににこにこしたヤムに溜息を吐いて。
ひらりと手を振って店を出れば、ひやりとした風が頬を撫でる。
青白い月が浮かんでいて、其れをみると自然と思い出される、銀髪の綺麗な彼。
結構な惚れ具合だ、と自分でも思う。

「怒ってたのかなぁ」

あの時の私は、怒っていたのだろうか。
抱き合う――というか、一方的に抱きしめられていたその光景に、湧き出た感情は、怒りだったのだろうか。
あまり人のいない王宮へと続く道を歩きながら、溜息を一つ。
風が一際強く吹いて、髪を揺らした。
この時期は、海風の影響で夜は冷えるのだと、ジャーファルが言っていた気がする。

「さむ」
「そんな薄着で当たり前です」

ぽつり、と零した言葉に、返って来た言葉。
驚いて顔を上げれば、そこにはクーフィーヤを取ったジャーファルの姿。

「……吃驚した」
「こっちも吃驚しましたよ。まさかこんな夜に貴方が一人で歩いてるなんて……」
「どしたの?」
「仕事が終わったんで迎えに来たんですよ」
「誰を……?」
「貴方をですよ」

はあ、と溜息を吐かれて、外に食事に行くとヤムに聞いたのだと言った。
どうやらヤムは謀ったらしい。
何を言って良いか解らなくて視線を斜めに泳がせれば、頬を撫でられる。

「心配になるじゃないですか」
「……ごめん?」
「無事なら良いんです」

帰りましょう、と手を握られる。
じわりとそこから伝わる体温に、何となく物悲しくなった。
この手で、この手で――、

「手、冷たいですね」
「……うん」「あまり心配を掛けないで下さい」
「ごめん」
「――怒鳴って、すみません」

きゅっと少し握る手が強くなる。
前を向いているから、ジャーファルがその時にどんな顔をしているのか解らない。
でも多分、眉を下げて、不安そうに瞳を揺らしているんだろう。

「ジャーファル、私ね、怒ったんだと思う。悲しかったんだと思う」
「はい」
「でもね、どうやって言ったら良いのかわかんなくて、結局傷つけてたなら、ごめんね」
「……いえ」
「嫌だったよ、嫌だと思ったよ」
「……すみません」
「お願いだから、私以外の人に触らせないで」
「なまえだけですよ」

くるりと振りかえって、柔らかく微笑む。
その様は、私の大好きなその顔で。

「私から触りたいと思うのはなまえだけですし、触ってほしいと思うのも、なまえだけですよ」

握った手から、合わさった視線から、触れた唇から、熱が伝わって。
身体があったかくなる。

「そうやって、もっと色んな事言ってくださいね」
「……迷惑じゃない?」
「言われなきゃわかりませんから」
「……ん」
「帰りましょうか」
「帰ったら、」
「はい」
「ぎゅっと、抱きしめて?」

怒ってた事とか、悲しい事とか、どっかへ行っちゃって。
握られた手に指を絡めて、隣に並んでそう言えば、ジャーファルは嬉しそうにはにかんで、

「喜んで」

それだけで、私をほてらせるから、もうどうでもよくなるの。

皮膚からココロまで、全部温めてほしいの。
(「……そろそろ良いですか?」「もっと」「もう寝ないと」「一緒に寝る」「……」)
(「……寝れなくなりますよ?」「え、」)



2000、小香様キリリクで「ジャーファルと大喧嘩→仲直り」でした!
大ゲンカってほどでもないですし…解りにくいですね!←
ここで補足しますと、
ジャーファルに抱きついてた子は、ジャーファルの事が好きで、告白して断られたのですがる感じで抱きついたのです。
そして其れをみて、明らかに何か言いたげなのに言わない夢主にジャーファルがもどかしくなって、怒っちゃったんです。
補足しないとわかんないって……!

個人的にすごく楽しんで書いたのですが、どうでしょう……?
気にいって頂けた幸いです(ドキドキ

もしこんなの違う!等ありましたら、おっしゃってくださいね!

小香様リクエストありがとうございました!