それからしばらくは、何事もなく平穏に過ぎていった。
吾郎と寿也の関係も以前と同じ、仲のよい幼馴染のままだ。
秋もだんだん深まり、風も冷たくなってきた。
「……誕生日プレゼント?」
夕飯の後、一人でテレビを見ていた吾郎は、幼馴染の唐突な質問に顔を上げた。
「うん、もうすぐだろ?何か欲しいものないの?」
宿題から目を離さずに、カレンダーを指差す。
そこには几帳面に予定が書き込まれており、十一月五日の欄にはきっちり吾郎誕生日と書かれていた。
自分の誕生日などすっかり忘れていた彼は首をかしげて考える。
特に欲しいものなんて無かった。
新しいグローブもジャージも靴もついこの間母親の桃子に頼んで買ってきてもらったばかりだったからだ。
「別にいいよ。欲しいものなんて何も無いし」
「じゃぁさ、行きたいところでもいいんだけど」
「行きたい所、バッティングセンターだな」
「それじゃ、いつもと変わんないだろ?」
スウィングの真似をする吾郎に、小さくため息をつく。
「そうじゃなくって、遊園地とか、映画館とか。たまには息抜きしてもいいだろ?」
寿也は焦っていた。
あの日以来、お互いなんだかんだと忙しくて、二人っきりになるチャンスがなかなか得られない。
吾郎は打倒一軍を目指し、夕食を終えた後も一人練習量を増やし寿也が寝付いてから戻ってくることも多くなってきた。
今日のような大雨の日でもなければ、部屋にいることなど滅多に無い。
事実今もテレビを見ながら、鉄アレイを持って筋力トレーニングをしている。
六月の一軍との壮行試合に勝ったら、海堂を辞める。
静香や泰造そして寿也の前で堂々と宣言したあのシーンが甦る。
なんとか思いとどまって欲しいが、その術がわからない。
このままでは、本当に自分の前から去ってしまう。
そんなのイヤだ。彼のいない海堂なんて考えられない。
いっそのこと自分も一緒に辞めようかとも考えたが、それは無理だ。
自分を海堂に入れるため再び働き出した祖父母のことを思うと、とても出来ることではない。
だから、何か特別な思い出が欲しかった。
もし、彼が海堂を辞めてしまっても自分らしくいられるように。
「……海」
「えっ、何?」
「海に行きたい」
テレビから視線を逸らすことなく、ポツリと呟く。
画面には南太平洋の美しい海が映し出されている。
「海外の海なんて、言わないでよ。」
「嘘だよ。まぁ、どこでもいいや。連れて行ってくれんだろ?」
笑って、ふと窓の外を見る。
真っ暗な空にときおり稲光が光っている。
「雨、やみそうに無いね」
「そうだな」
恨めしそうに、厚い雲をにらみつけていると、突然館内放送が入った。
『佐藤君、至急監督室まで来るように』
それは、静香の声でいつもより焦っているように聞こえる。
「おい、お前なんかしたのか?」
「解らないよ。とにかく行ってくる」
思い当たるふしはないが、あの様子で只事ではないことだけは理解できた。
なんだか嫌な予感がする。
予感は的中した。
寿也の祖父が階段で転倒し、入院したと言うのだ。
困り果てた祖母が寿也に助けを求めている。
すぐさま病院へ行くことになり、その日のうちに厚木寮をあとにした。
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