目覚めのキス



静かに眠っている様子の菜々緒の顔を見つめて、もういい加減経つ頃だ。
車から背負ってベッドに寝かしたがまだ寝息を立てていて、時折そっと頬を撫でても起きる様子はない。


キス、したい


2年まで、毎日自分を呼んでくれたこの唇に。
キスしたら起きて俺に起こるだろうか、でも、どうせならこのまま起きなくてもいい、なんて、どっかのおとぎ話と真逆のことを考えながら、好きな人の唇に触れるだけのキスを落とした。


「…菜々緒」


会いたかった

どうせ叶わない恋なら、それでもいい。今だけ俺の前にいてくれるなら、それでいいから、お願い。

甘酸っぱい気持ちが溢れてるのに、切なさが消えない。
暑かった部屋を冷やすエアコンの音と、窓の外からの蝉の鳴き声、菜々緒の呼吸だけが聞こえる。あんなに自分を追い込んでいたテニスさえ忘れ、この部屋だけ時間が緩やかになっているように錯覚した。

それもつかの間、う〜っと寝返りを打ったと思えば菜々緒はゆっくりと瞼を開き目を覚ました。
手を真っ直ぐ上に向けて伸びをし、ゆっくりと上半身だけ起き上がる。まだ寝起きで視線が定まらず、あくびを一つした。


「…よく寝たあ」

「おはよ」

「おは……えっ!」



ベッドの横に座っている俺を見て菜々緒はギョッとした顔をして驚いた。
しばらく俺の顔を見つめ、顔をパッと赤らめ、両手で顔を覆う。



「俺のこと、覚えてる?」


もっと話したいこと、聞きたいことが沢山ある。


「りょ、リョーマ…くん」

「くん、なんて付けてなかった」


ムギュっと頬をつまむと菜々緒は緊張させていた顔を一気にほどいた様子でニコニコと笑顔になった。
ああ、変わってないな、この菜々緒が好きだった。


「いひゃい、いひゃい!」

「ばか菜々緒」

「なんでリョーマがここにいるの!?…って私はどこにいるの?ここどこ?」


菜々緒は頬をつままれながら、まだなにが起こっているのか分からないというような顔でひょうきんな声を出した。自分が倒れて中学生に拾われて知らぬ間に医師に診察され、リョーマの部屋に運ばれたなんて夢にも思わないだろう。
リョーマは跡部たちから聞いた通りの事を、目を白黒させている菜々緒に伝えた。


「そうなんだ…私、いい年してすごい迷惑掛けちゃって…ごめんねリョーマ」

「いいけど、どうして倒れてたの?」

「…寝てたの」

「はぁ?」

「昨日アメリカから日本に帰って来て…時差ボケなのかすごい眠くて、それで木陰でウトウトしてて」

「菜々緒は眠かったらどこでも寝ちゃうわけ?」

「いやっ!そんなことない!寝る時はベッドで寝たいよ私も!!」

「…いくら日本だからって、女なんだからしっかりしてよね」

「あはは、ごめんごめん……あ、久しぶり!2年前より大きくなったね!」


はにかみながら困った顔をして笑う菜々緒には、自分が参ってしまう。目覚めたらどんなこと話そうかなんて考えていたけど、やっぱり菜々緒のペースで、不安なんて何処かに行ってしまった様だ。


「…菜々緒は変わんないね」

「もうっその減らず口はリョーマも変わらないのね!」

「変える気ないから」


なんて、好きな人に向かって生意気なことを言う性格が自分自身で呆れてしまう。
でも、その方が楽で、その方が菜々緒は困らなくていいのだろう。
それでもニコニコ笑う菜々緒を見ているのが耐えられなくて目を逸らした。


「リョーマの部屋、リョーマの匂いがするね…懐かしいー」

「俺はわからないけど」

「私…また親の出張でアメリカに帰って来たんだけどね、リョーマいなくなっててビックリ!」

「今年引っ越したから」

「だから私リョーマの同級生に"リョーマの住所知りませんかー?"って聞いてまわって、日本にいるって言うから息抜きもかねて来ちゃった」

「…俺に会いに来たの?」

「そうだよ!びっくりした?」

「っ…まあ、ね」


ずるい、って思った。嬉しいけど、やっぱり菜々緒はずるい。
菜々緒は俺の気持ち、なにも知らないからそんなこと言えるんだ。
どんなに菜々緒の笑顔でドキドキしても、眠れない夜も、それ以上求めないで胸が苦しかった。菜々緒が去った時だって、どこにいるか敢えて聞かず、菜々緒のために諦めたつもりだった。

あれから2年経っても菜々緒は20歳、自分は中学1年生…恋愛なんて対象に見られていないことなんて2年前からわかってた。

ずるいよ、菜々緒は。


「リョーマ、テニスはどう?南次郎さんには勝てた?学校はどう?…あっ!彼女出来た?」

「質問多すぎ」

「いいじゃない!2年間もあってないんだから、話したいことたくさんあるのよ?」

「…じゃあ菜々緒は、彼氏できたの?」

「私?私はいいの!」

「…じゃあ俺も言わない」

「あ、ずるーい!」


彼女なんて出来る訳無いけどね、今でも好きだから。


「……ほーんと、変わってなくよよかった!」

「俺は成長したよ、菜々緒が変わってないだけ」

「リョーマが私のこと覚えてなくて、もしも話してくれなかったら…ちょっと不安だった!」

「ふーん…俺が覚えてて良かったね」

「うん、嬉しい、本当にリョーマに会いたかった!」


だから、反則だってそれ。
純粋なのか、わざとなのか、菜々緒はきっと前者なんだろう。
2年前の庭を隔てた柵は今はなく、自分の部屋で、腕を伸ばせば届く距離に菜々緒がいて。


「…飲み物持ってくる、ファンタでいい?」

「うん、ありがと!」


このままでは色々堪えることに頭がおかしくなりそうで、階段を降りてリョーマは台所へ向かい、クールダウンの為に頭から冷たい水を流した。


「あ…」


キス、したんだった。


菜々緒のペースに飲まれ完全に忘れていた、聞いてみることも出来ないだろう。
コップに飲み物を注ぎ終えると、リョーマは冷蔵庫に寄り掛かりバクバクと強く打ち続ける胸の音を抑えるためにため息をついた。













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