いるはずのひと






ロサンゼルス空港から車で1時間の家


気候は温暖で夏は結構暑くて、アメリカで2番目に大きい街は熱気が出るほど熱い


でも車を走らせれば切り揃えられた広い芝生が生えた庭があり、静かな住宅街が広がっている

生まれてから10年間ずっとこの土地で暮らしてきた自分は、両親の住む日本をまだ知らない



いつもと変わらない毎日

ただ、スクールからの帰宅中に"引越し"とデカデカと書かれた大きなトラックに近所ですれ違った


特に気に留めることなく家のドアを開けると、母親から隣人が今先程引越しして行ったのだと聞かされた








夕方になるといつも親父とテニスをしていた

親父にはムカつくけど一度も勝った事がない、右も左も覚える前からテニスをして育った自分にとっては、親父に勝つことがいつしか目標になっていた



「リョーマ、まだまだだなぁ〜」

「…っ…うるさい」


息を切らして親父を尻目に睨むが、汗ひとつかいていない。それだけ自分が走らされていることに気付かされてムカついた。親父はニヤニヤしながら、じゃあがんばれよ〜なんて言いながら家に入って行った。

いつか絶対に負かす

ぐっと炭酸の抜けたジュースを飲み干すと一人でさっさとサーブ練習を始める

もっと、もっと強くならないと親父に勝てない

スクール以外はテニスかゲームか寝るか、そんな毎日だった



「リョーマー!」


声の方へ目をやると隣の家に住んでいる家族の一人娘が、庭を隔てて並ぶ柵の向こうからこちらを見ていた。
バイト終わりなのだろう、練習に集中していたせいで日がとっくに傾いていることに気がつかなかった。
近くに放り投げておいたタオルで汗を拭ってその人の元へ行く

「お疲れ様ね、はいこれ」

ニコニコしながら差し出されたのは先程飲み干した炭酸飲料と同じ物、冷たく冷えた缶を受け取った
ほとんど毎日この時間になり彼女からジュースを受け取るのが日課になっている


「サンキュ」

「どういたしまして! それで、今日はどうだったの?」

「菜々緒…それ、毎回言わせるわけ?」

「あ!怒らないでリョーマ、そういう意味じゃ無いの!」


菜々緒がロスに引っ越して来たのは2年前、生まれは日本、その後はフランスに居たらしい
年が7つはなれているせいか、いつも姉さんぶってまるで当然のように俺の頭をくしゃくしゃに撫でる
いつも俺を猫が何かだと思って可愛がっているつもりなのかもしれない

でも悪くない

初めて見た時からずっと思い続けてきたから



「早く南次郎さんに勝ってほしいと思ってるよ!じゃないと私お嫁に行けないでしょ?」

「……」

「ねえ、きいてる?」

「…聞いてない」


意地悪に返すと予想通り頬を膨らまして菜々緒は拗ねる
それだけで満足なんだ

でも、なら行かないで欲しい、何て言ったら菜々緒はどう返すだろう

拗ねている彼女の頬を軽くつまんで引っ張る


「いひゃい、いひゃい!」

「明日は勝つから」


こんなふれあい方しかできない自分に、なぜか彼女はいつも笑顔を向ける

その笑顔の菜々緒が堪らなく好きだった

じゃあね、っと言って翻し、家に帰っていく菜々緒を見送っている時は、いつも切ない気持ちがこみ上げる

気持ちを伝えられない事が、こんなに胸を締め付けるなんて彼女に会う前は知らなかった

でも、確かめる事なんてしたくなかった、このままずっと来年も再来年もずっとこうやって、夕方になれば会える好きな人を失いたくなかったから

明日もこの笑顔を見るために、自分の気持ちを抑えているのだ














そんないつもと変わりのない昨日だった




母親から菜々緒から預かったという紙袋を受け取り、部屋にこもった


なんで?一言くらい言ってくれてもいいじゃん


紙袋の中身は手紙といつものジュースが2缶、あとラッピングされた白いキャップ




リョーマへ
引っ越しを黙っていてごめんなさい
最後まで笑っていたくて、なんていうわがままを通してしまいました。
ロスに来て2年間リョーマと毎日夕方に話をするのが私の楽しみだったよ。
リョーマは南次郎さんに勝つまで毎日テニスをがんばってね。
どこにいても応援してるから!
Ps,こんなオバさんと仲良くしてくれてありがとう
菜々緒より



「…オバさんなんかじゃ、ないし、何これ」




久しぶりに目が熱くなって、泣いていることは少し経ってから分かった。

しばらく放心して、何分経ったのかわからないけど立ち上がった時には涙は乾いていた

白いキャップをかぶり、ラケットを持って庭に行った



こんな日に限って騒がしい親父は何処かに出かけていて、八つ当たりに強い球を壁に向けて打つ

何時もの時間になっても、いくら日が暮れても、彼女は自分の名前を呼ばない

周りの家には明かりがつくのに隣の家はシャッターまで閉まっていて



ブチッと音が聞こえ手元のラケットを見ると、ガットが切れていた


そのままラケットを地面に叩きつけたくなる衝動がカッと頭まで上った瞬間


「リョーマ」


声が聞こえ振り返ると、母親が心配そうに玄関からこちらを見ていた



フッと力が抜けた






いるはずの菜々緒はもういない










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