ニアデスハピネス

・リリカルホモ
・中学時代の夢主から爆豪に矢印が向いていたら


精神が身体に引っ張られなかったことを、これほどまでに疎ましく思ったことはない。男として生まれたのなら、精神も男になれば良かったのだ。中途半端に中身だけが女の子だなんて、不便なことこの上ない。中身がこうだから、恋愛対象は男になってしまう、だとか。……笑えない。
その可能性はあったのだから、下手に近しい関係の男子なんて作るべきではなかったのだ。今更、言っても遅いのだけれど。言うまでもない、僕が好きになってしまったのは幼馴染の勝己だ。不良かと思うような容姿をしていてもその顔は整っているし、僕に対してその態度も軟化する。わかりにくいけれど確かに存在するその優しさを、僕だけが知っている。それで好きにならないはずなんてなかった。
気付いたときには、ああやっぱりこうなったかと諦観めいた感情を覚えた。離れれば良かったのだろうけれど、そうするための理由もうまく思いつかなかったし、そもそも離れたいと思えなかったから、こうなれば徹底して隠し通すしかないだろうと思った。悪いとは思いつつも、僕に告白してくれる女子さえ利用して。女の子の恋人ができれば、僕が勝己を好いているなんて誰も思いはしないだろうし。まあ、もともとそんなこと考える人はいないかもしれないけれど、念のためだ。
時折、勝己のことが好きだという女子の話をきいた。協力して欲しいと頼まれたこともある。それを頼まれるたびにお腹の奥がぐるぐると痛むような錯覚を覚えたものだ。どろりとした重たくて汚い感情が溢れ出して止まらなくて、情けないことに部屋で泣いてしまったことだってある。僕だって勝己が好きなのに、男だっていうだけでそれが絶対に叶わないのだから理不尽だ。僕が女の子だったら叶ったというわけでもないけれど、それでも男であるよりはその可能性は上がるだろう。嫉妬心だけは立派に女子してるのになあ、と自嘲した回数は数えるだけ馬鹿馬鹿しくなる。
きっと、誰よりも勝己の傍にいることを許されている自信はある。一番心を許されているのだってきっと僕だ。触れることすら容易にできてしまうのに、僕の本懐が遂げられることはない。

「……勝己は、さあ」
「あ?」
「好きな子とかいるの」
「……は?」

馬鹿なことを聞いている自覚はある。いる、と答えられたら虚しくてたまらなくなるだろうに、どうして尋ねてしまったんだろう。きいて後悔するなんて、馬鹿にも程がある。

「……ンだよいきなり」
「んー、ちょっと気になって。いるの?」
「いるっつったらどうすんだ」
「……寂しい、かな?」
「ンだそれ」

寂しい、それも嘘ではない。性格が悪いことを言うと、勝己にできる恋人が僕より優先されるとは思えない。だって、僕より長く勝己と一緒にいる女子なんていない。勝己にとって大事なものってそう多くはないし、その多くはない大事なものの中に僕が含まれていることはわかっている。いつかできるだろうその恋人がその大事なものに含まれたとしたって、十年単位で勝己の大事なものに居座っている僕をそう簡単に越えられれるとは思えないから。
ただ、もしもその子が、僕より優先されるようになったとしたら。そうでなくても、少なくとも勝己が明確に好意を自覚するほど好きな子が現れたら──それを考えると虚しくなるし、苦しくもなる。あとは、悲しいとかも思うだろうか。とにかく、あまり味わいたいと思える気分ではないことは確かだった。

「いるよ」

クーラーの稼動音とか、家の外でセミが鳴いてる声とか、とにかく室内は無音ではなかったのだけれど、その瞬間の僕の鼓膜は、勝己の声しか拾わなかった。その声だけ、やけにはっきりと、クリアに聞こえた。
いるよ、という短い言葉を、理解するまでにかかった時間は当然そう長くはない。
勝己には、好きな子がいる。その想いを自覚するくらいに想っている子がいるのだ。

「……そう、」
「おー」
「どんな子?」
「言う必要あんのか」
「ないかなぁ」

だって僕だって言っていない。言えないのだ。勝己のことじゃないとしても、恋人ができたこととか別れたこととか、わざわざ勝己に言ったりはしない。勝己は知る必要がないからだ。だって、勝己は。勝己だからこそ、僕の気持ちにはきっと気付かない。勝己はきっと、僕が自分を好きになるなんて露ほども思っていないだろう。たぶん勝己にとって、僕は親友のような存在だろうから、その親友が自分のことを恋愛対象としているなんてまさか思わないだろう。だからこそ、僕は他の誰かを騙せればそれで良い。勝己が、知る必要はないこと。……本当は、それを言い訳にしているだけなのだけれど。だってそうだろう。誰が好き好んで、好きな相手に恋人ができたなんて報告しなければいけないのだろう?虚しくなるだけだ。だから、そんなわがままで黙ったままの僕が、勝己にそれを教えて欲しいと言う筋合いだってない。ない、けれど。諦観はあったし、そのうちこういうこともあるだろうなとも思っていた。……でも、実際にそうなってみると胸が痛くてどうにかなりそうだ。……ああ。嫌だ、な。

「……おい?」
「………あ」
「あ……?何、」
「あれ……」

目の奥が熱くなって、ぼろぼろ涙が溢れてくる。
嫌だ。本当は絶対に、嫌なのだ。自分より優先されるなんて思っていない、だけどそれがずっと続くと思っているわけでもなかった。それに、仮にそれが続いたとしても、勝己がその恋人を愛しむことを思うだけで気が狂いそうだ。

「なに、泣いてんだよ……」
「……いや、だ」
「は?」
「やだ……好きな子とか作んないでよ」
「てめェ自分は彼女作っといてよく言う」
「だって、やだ……」
「……何で」
「だって、」

後続の言葉は出てこなかった。だって、勝己のことが好きだから。そんなこと言えるはずがないのだ。きっと、勝己はもう気付いてしまっているのだろうけれど。

「言ってみろ」
「やだ」
「何でもやだやだっててめェはガキかよ。……まんまと騙されたわクソ。彼女作ったのも全部カモフラか?この俺を謀ろうたあいい度胸だな」
「……気付かないフリくらいしてよ」
「できるわけねえだろ」
「……ごめ、ん。きもちわるいよね」

終わりだ。10年来の付き合いにも終止符を打つ時が来たのだ。勝己はこれで優しいから、言いふらしたりはしないだろうけれど。でも、そんなことよりももう勝己の傍にはいられないんだって思うことのほうがよっぽど辛かった。

「話は最後まで聞けやバカ野郎」
「え、」
「別に気持ち悪ィとか思ってねえし、もう傍にいられねえとか思ってんなら今すぐそれ改めろ」
「……かつき?」
「名前」
「は、」

個性の影響で皮の厚くなった、少しざらつく手のひらが僕の腕を掴んで引き寄せた。体格差はそこまで顕著でもないし、僕だって非力というわけではない。けれども勝己は僕よりも遥かに鍛えており、加えてその行為が僕にとって完全に不意打ちだったことも相俟って、僕の身体は容易く勝己のほうに寄せられた。顔が勝己の肩にぶつかって、鼻を強かに打ったため少し息が詰まった。直後、勝己の手が僕の後頭部を柔らかくぽん、と撫でるように叩くのを感じた。

「てめェがいつまでもグダグダやって、結局言わねえまま離れそうだから俺から言ってやる」

こんなにも近くで声を聞くなんて、幼少期ぶりだと冷静な頭が考える。耳をくすぐるようにして、少しひそめられた声が僕の鼓膜を震わせた。

「名前が好きだ。ずっと。てめェしか見えてねえわ、個性も出てねえようなクソガキの頃から。わかるか?友情とかそんなモンじゃねえ、てめェのことを、月並みに言や恋だの愛だのそういう意味で好きだっつってんだ」
「……それは、」
「冗談とか同情とか勘違いとかクソみてえなこと抜かしやがったら今すぐここでてめェのその頭吹っ飛ばして俺も死んでやっからな」
「え……」
「つーのはまあ、3分の2冗談だ。良いか、この俺が、てめェのことをずっと好きだったとかてめェしか見えてねえとか、薄ら寒いこと言ってやってんだよ。この、俺が!そんなクソみてえな冗談言ってやると思ってんのか?同情で男に告白してやると思ってんのか?自分の感情さえ満足に理解できねえような男だと思ってんのかよ?本心じゃなきゃ言うわけねえだろこんなこと」

何を言われているんだか、理解が追いつかなかった。ずっと好きだったって?僕しか見えていなかったって?……何の冗談だろう、と本気で思った。僕が情けなくもめそめそ泣くから同情なのかとも思った。もしかしたら勝己は強い友情と恋心の区別がついていないのかもしれないとも思った。けれどそれは一つ一つ、勝己によって訂正されてしまった。
勝己は少なくとも僕に対して、そういう弄ぶような冗談を言ったりすることはない。たとえば僕が泣いていたとしても、同情如きで自分がやりたくもないことをやるなんて有り得ない。他人のことなんて歯牙にもかけていないようで、他人の気持ちを繊細に感じ取ってみせる勝己が、自分の感情がわからないなんてそんなこと、あるはずない。
……でもそうだとしたら、勝己は本当に僕のことが好きだと、そういうことになる。
……こんなにも僕の都合にとって都合のいい現実が、果たしてあって良いものだろうか。

「……だめだ、」
「あ?」
「何か、もう……だめ、だよ、僕。……今、死んじゃいたい……」

勝己の背中に、手を回す。抱き着く、には少し遠い。シャツを申し訳程度に掴んでいるだけで、僕にとっては精一杯だ。気性と個性の荒さからは想像もつかないほど甘い匂いがして、何だか泣きそうになった。
これは夢などではない。感触も匂いも体温も、全てがリアルなのだ。だから、勝己が僕のことを好きだと言ってくれたことは、まぎれもない現実。
叶うはずがないと思っていた。可能性なんて本当に低くて、報われるほうがおかしいのだと自覚していた。それが一番望んだ形で報われたのだから、こんなにも喜ばしく、幸せなことなどない。
だから、だから、こそ。
途方も無いくらい幸せな気持ちのまま、いっそ死んでしまいたい。それくらいしか、この幸せを永遠に留めておく方法が見つからないのだ。

「バッカじゃねえの、クソ野郎」
「へ……っ、うぁ」

後頭部にあった手が、そのまま僕の頭を掴んで肩から離す。引き寄せたり引き離したり忙しい奴だなあなんて現実逃避めいた思考は、何だかすぐに現実に引き戻されて、しまう。
勝己にキスされたことによって。彼女もいなかったとなればキスなんてしたこともないだろうに、勝己は僕の口の中に舌を突っ込んで、器用に僕のそれと絡めてきた。何が起きているんだ。キスをしたことがない、とは言わない。せがまれて二、三度くらいはしたことがあるけれど、本当に唇が触れる程度だったし、こんな舌を捩じ込むようなディープなものはさすがにしたことがない。初めてのそれが勝己だったというのはまあ、良かったのかもしれないけれど。でもいきなりはどうなのだろう。息をするタイミングがどうも掴めず、酸欠気味で頭がくらくらしてきた頃、ようやく唇が離される。

「……天国は見れたかよ」
「み、……見れ、ました。……かも」
「死にてえなら何回でも殺してやらあ」
「……そういうんじゃないんだけどなあ」

これ以上の幸福なんてない気がする、なんていうのは少し勝己をナメすぎていただろうか。完璧主義なこの幼馴染は、「こんだけで満足するとかてめェは随分謙虚なんだな」と鼻で笑うのだから。
それ以上を望んでも、当然の顔をして許してくれるのだ。

「好きだよ、勝己」

──この数年後、まさか自分が女の子になってしまうなどとはついぞ思わなかったんだけれども。……まあそれについては、別の話ということで。

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