華奢な爪先まで愛しむ

買い物に行く約束の日、名前は花柄のワンピースを着てうちに来た。どこにそんな女物の服があったんだと尋ねれば、母親が従姉妹からもらってきたものだと言う。仕方なくと身に付けているわけでもない、自然な様子にいよいよもって調子が狂う。
制服は未だサイズの合わない男子制服を着ているが、月曜日には届くと通達があったそうだ。もちろんと言っていいのかはわからないが、女子制服が。それに関しても名前は、「まあ今は女の子だからね」とさらりと受け流していた。クラスの金髪のアホ面からお前それで良いのか?なんて訊かれていたが、それに対してだって、「これからずっと女子なんだから適応しないとね」と笑って返していたことを、やけにはっきり覚えている。
俺より幾分低い位置にある頭、華奢な手足と柔らかそうな身体。確かに柔和な顔つきではあったけれど、どっから見ても男にしか見えなかったはずなのだ。身長のせいでもあったかもしれないが。それが今じゃ、ほとんど同じ顔のはずなのに女にしか見えない。それがどうにも、気味が悪いほど違和感がない。声にしてもそうだ。耳に慣れているなんて有り得ない、聞き慣れない声のはずなのに、妙に耳に馴染むのだ。まるで最初からそうであることが自然であるかのごとく。
別に名前が女であることが嫌なわけじゃない、先日名前に言った通り、困ることなんて何もないのだ。
ただ、それがあまりにも、不快なだけで。名前どうこうではなくて、少なからず安堵した──喜んだ自分が、たまらなく不快だった。
まず前提として、俺は名前のことが、まあ、好きだった。もっとはっきり言えば、恋愛感情を持っていた。物心ついた頃には一緒にいた幼馴染。まあそれにはムカつくことにデクも当てはまるが、名前はデクとは違って、何でもとは言わずともそれなりにいろいろなことができた。それに今思えば幼少期には、周囲にいたどんな奴よりも、それこそ俺よりも大人びていた。俺も我ながらガキらしくないガキだったとは自覚しているが、名前はそうではない。ガキらしくないのはその通りだが、なんと言っていいものか……大人が必死に子どもぶっているような妙な雰囲気があって、少なくとも年相応ではなかったと思う。
まず顔が良かったし、性格も穏やかだった名前は、それなりに遊びに誘われることだってあった。けれど名前はついぞそれに乗ることはなかったし、自分がしたいことがあればそちらを優先させていた。けれども俺が誘えば、自分がしたかっただろうこと、それまでしていたことを中断してでも俺に着いてきた。それがたまらなく心地よかった──たぶんおそらくは、感情の発端はそれだったのだと思う。
名前はお人好しのようで、その実ほとんど人に頓着しない。幼馴染──といっていいのか、幼稚園から一緒だった奴は俺の他にも数人いたしそいつらと連んでもいた。ただ名前が気にするのは、自惚れではなくいつだって俺だった。そいつらに名前が自分から話しかけるようなことはさして無かったから。
気分が良かった。他人にほとんど執着しない名前が、俺のことを気にかけるのが。どういう感情があったんだか俺にも察することはできないけれど、ただただその“事実”に、優越感を覚えていたのだ。
いつしか俺の隣に名前がいることは当然になっていた。けれどもただそれだけなら、多少なり歪んでいたとしても友達だとか、親友だとか。まだ、そういう枠に収まっていたのかもしれない。
俺が名前を好きになったのは──こう言うのは自分でも嫌になるが──デクのせいだ。名前は、どういうわけかデクのことは気にかけるから。俺の隣にいて当たり前の存在が、デクのことはそれなりに気にしている。いつだって俺と名前の後ろにいたデクをふとしたときに振り返って「出久」と名前を呼ぶ。笑いかけて時には手を引いて、自分と俺の間にデクのヤツを連れてくるのだ。そして俺のやること言うことに文句なんてほとんど言わない名前が、デクに関して俺がすること──自覚しているがいじめのようなそれだ──には、文句を言ってみせた。デク以外のヤツに何かしていても何も言わないくせに。……何も言わないというのは言い過ぎか、今になって思えば、そういう時は他のことに意識が向くよう言葉をかけられていた気がする。まあ何にせよ当時は気付かなかったし、気付いた今になっても結局デクのことに関して俺に文句を言っている事実は変わらない。名前は俺のなのにと、湧いて出る子供じみた独占欲。それ気付いてからは早かった。俺がそれを抱くのは、友達とか親友とか、そういう括りにいる存在だからではなくて、もっとどろどろとした何か……初めこそわからなかったそれは俗的な、或いは女子共が好む言い方をするのであれば、恋とかそういうやつだった。
やけにすとんと落ちてきたその答えを、受け入れるまでに要した時間は思うほど長くはない。男に惚れるなんて有り得ないなんて思った一瞬後、だけど相手は名前だと否定の言葉が入る。
それが当然なのだとすら思った。……まあだから、名前が彼女できたなどと報告してきた時、思考停止するくらいにはショックを受けたわけだが。すぐ別れたのでその辺りはどうでも良いが、名前にできた数人の彼女は俺の中にある「いつか殺す奴リスト」の、デクの下に名を連ねているというのは余談だ。
男だろうが何だろうが関係ないと思っていたのだ。それにも関わらず、名前が女になって安堵した。喜んだ。まるで自分がそうなることを望んでいたようで、ひどくムカつくのだ。
こうなったのは、名前がどう言っても俺のせいだと思っている。名前が受け取りはしないだろうから行き場のない罪悪感は、こうなってしまったことに加えて、喜んでしまったという事実に対してのものも含んでいる。
今まで通り接するよう、気を付けてはいる。──いるが、それを一番ぶち壊そうとしてくるのもまた名前なのだ、腹の立つことに。
死ぬまで立ち入ることはないだろうと思っていた女物の下着屋に、コイツは俺を連れて行こうとしやがった。行こうとしたというか連れて行った。どれがいい?などと下着を指差し尋ねてくるのは冗談だとわかっていても動揺する。し、俺も健全な男子高校生だ。その辺の、脳と下半身が直結しているような頭の悪い男とは違うと自負しているにしても、さすがに好きな女──女?兎にも角にも好きなヤツにそんなことをされたら嫌でも意識する。たとえばその下着を着ているところを想像してしまったりしてしまう。クソのような思考回路に腹が立つが、こればかりはどうしようもないことだった。
その後の服にだって名前はムカつくほどに時間をかけたが、退屈だとは思わなかったのが不思議なところだ。ババアの買い物なんて5分と付き合っていられないというのに。もともと名前は趣味がウィンドウショッピングとか女子みたいなことを抜かすヤツだったので、何度か付き合ったこともある。その時だって不愉快だとか、退屈だとかは思わなかった。今日はいつにも増して長いが、それでも思わないのだ。どうせ惚れた弱みだとかそういうのだろう。クソ情けないことに認めざるを得ない。我ながららしくないことをしたのもそのせいだ。女に服を買ってやるなんて今後名前にしかしてやらないつもりだが。
彼女ができてもすぐ別れそうだとか、お前が言うなという話だ。お前だってひと月と保たなかっただろう。そんなことはもう過去のことなので言うつもりはないが。それに、俺が彼女という存在を作るとしたら名前以外には有り得ない。
……今のところ、名前は自分がその対象になっているだなんてまさか思っていないのだろうが、まあ良い。時間は途方もないほどある。名前に意識させるくらいのことはしてやる。
見下ろした先で能天気に笑う名前に、覚悟してろと胸中で宣戦布告した。

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