プラトニックにおあずけ

・ヒロインは3年生です。


相澤先生曰く、放課後の私は非合理的らしい。7限を終えた放課後、私が職員室に入り浸っているから。
授業が終わったのならすみやかに帰宅するべきだと相澤先生はお考えのようだけれど、放課後をどう使うかなんて私の自由だ。別段家が遠いわけでもないから尚更。……まあ相澤先生がそれを言ったのは、私が毎度毎度相澤先生に時間を浪費させる結果になっているからなのだろうけれど。いや、先生が生徒に時間を使うのは、非合理的ではないと思うし、そもそも仕事の邪魔をしているわけではない。さすがに一生徒が見てはいけないような仕事をしているときはおとなしく帰っている。先生だってそれはわかっているだろうに、何も言わないのなら迷惑ではないはずだ──などと屁理屈をこね回して自分を正当化しつつ、マイク先生の席を拝借して相澤先生を眺める。相も変わらず伸ばしっぱなしで整えられていない髪に、身嗜みなど一切気にしていないような出で立ち。一見しただけでは、先生に見えないどころかヒーローにさえ見えないだろう。けれどもこの先生は、とっても強いのだ。さすが雄英高校ヒーロー科の教師、そしてプロヒーロー。相澤先生の個性そのものは戦闘向きではないから、その強さは先生の努力の結果なのだなと思うと何とも言えない気持ちになる。端的に言えば、胸がキュンとする。

「……名字」
「はい、相澤先生」
「ここは職員室だ」
「知ってます」
「お前は生徒で、呼び出されてるわけじゃねぇんだからここに居座る理由もない、おまけに今は放課後だ。家帰れ。課題もあるだろ」
「終わってますよ、昼休みにやったので」
「……お前は合理的なのか非合理的なのか、今になってもわからねぇな」

溜息を吐く先生は、2年前から変わらない。相澤先生は、私が1年の時の担任だった。随分相澤先生にお世話になってきたものだと感慨深い。
まだ私が右も左も分からなくて、今よりも個性が使いこなせなかった時。相澤先生は見込みがほとんどないとは言いながらも、それがゼロではないからと根気強く指導をしてくれた。教師として当然のことだ、という顔をしながら。厳しい言葉をかけられたことなんて両手両足の指じゃ数え切れないくらいだが、だからこそ褒められた時は泣きそうなくらい嬉しかった。……なんてことを続けていたら、好きに、なってしまっていたのだ。先生を。
1年のときは良かった。担任だったから、相談でも授業の質問でも、いつだってできた。だけれど2年になって、担任でなくなってしまってからは、それが自然な形ではできなくなってしまった。だけどどうにか、少しでも一緒にいられる時間が欲しくて。毎日のように放課後ここに通うようになって。最初こそ早く帰れとしか言われなかったけれど、今では──言われないわけではないけれど──少なくとも、本当に忙しい時でもなければ話に付き合ってくれる程度にはなった。

「今年の1年生は、どうですか?」
「手がかかるな」
「私よりも?」
「……そうだな。名字よりも手がかかりそうな生徒が何人かいる」
「なんだか悔しいです」
「名字は随分手がかかる生徒だったからな」
「過去形ですか?」
「今も、だ」

現在進行形だ。こうして、相澤先生の手を……手を?煩わせている。手のかかる生徒ほど記憶に残るだろうから、私はそれで良いのだけれど。……そうか、手のかかる生徒が今期は数人いるらしい。その生徒たちのせいで相澤先生の中で私の存在が薄らいでいかないといいのだが。私がそれを恐れているからこうして毎日放課後に先生に会いに来ているのだと、先生は。……私が相澤先生に懐いていることは言うまでもないし、先生だってそれはわかりきっているはずだ。どんなに鈍くたってわかるだろう。而して先生に向けるこの目に含まれる感情には、きっと先生は気付かないフリをしている。
ヒーロー科に在籍しているとはいえど私は花の女子高生だ。同級生にはそこそこかっこいい男子だっているし、下級生を探してみれば選択肢はもっと広がるだろう。そちらのほうがよほど自然で、きっと結ばれる可能性だって高いだろうと思う。私だってそこまでわかっているのに、どうしてこんなに年上の、身嗜みなんて少しだって気にしていないような無精な格好の先生を好きになってしまったのかと疑問に思う。想いが報われる可能性だって、きっととても低いだろうに。だけど、好きになってしまったものはもう仕方ないのだ。だって、私には世界でいちばん格好良く見えるから。
自分の感情は、自分でだってコントロールが効かない。まだ、子供だから。……普段は自分が子供だということを必死に否定したがるくせに、こういう時にばかり子供ぶるのだから自分で自分が嫌になる。

「……先生」
「何だ」
「担任が相澤先生なら良かったのにな」
「おまえの担任が泣くぞ」
「別に不満があるわけじゃないですよ。ただ、」

今の担任が嫌だというわけではないし、先生自体に不満があるわけでもない。ただ、相澤先生が良かった、それだけ。どこまでも下心しかないような願望。私がただ、もっと相澤先生との関わりがほしいだけ。
そんなことを伝えたらまた、呆れたように溜息を吐かれるのだろうけれど。
「何でもないです」と続けたが、先生からの返答はなかった。私のほうなんて少しも見ないで、パソコンの画面だけを見ている。
窓の外はまだオレンジ色。あれが藍色に変わりきるまでに、私は帰宅しなければいけない。そうしなければ相澤先生はじとりと私を睨めつけてくるのだ、早く帰れ、と。傍にいたいけれど怒られたいわけではない。今日のタイムリミットは、あと30分もない。
いつのまにか職員室には私と相澤先生しかいなくなっていた。他の先生は、何かしら用があったのか今はこの教室にいない。室内には、相澤先生がカタカタとキーボードを叩く音だけが響いている。
職員室にふたりきり。先生が何をしたわけでもないし私だって何をしようとしているわけでもないのに、何だかいけないことをしているような気持ちになった。
あり得るはずはないのに、早鐘を打つこの胸の音が先生に聞こえているのではないかと思って、胸元を抑えた。今、なら。校舎内で先生とふたりきりになる機会なんてそうそうない。けれど、今ならふたりきりだ。
横顔を見つめる。私のほうを向いてくれないその視線がいつもひどく寂しくて、でも今はありがたかった。こんなこと、目を合わせながらなんて言えるはずがないから。

「相澤先生、私、先生が」
「名字」

何を言おうとしたのか、わかったのだろうか。相澤先生の個性は個性の抹消であって、テレパスだとか透視だとか、そういうものではなかったと思うのだけれど。私はそんなにわかりやすかっただろうか?私の気持ちはバレているだろうと思っていたけれど、まさかそこまでとは。
たった一言を言わせてももらえないのかと、胸が痛くなる。ぎゅっとスカートを握り締めて、目が潤みそうなのを堪えた。

「俺は、おまえとどうこうなるつもりはない。あくまで、おまえは生徒だからな」
「……伝えるのも、だめですか」
「今はやめろってだけだ」

先生の手が止まって、一瞬だけ職員室が無音になる。
いつも私に向けてはくれない視線が、今は、私をまっすぐ見てくれている。
今は、といった。いつかは聞いてくれるのか。
──私はふと、2年前を思い出していた。先生がこうして私をまっすぐ見てくれるのは、あの頃以来だと。
相澤先生は、こんなふうに私を見ていただろうか。

「……せんせ、」

頭に、軽く先生の手が乗った。すぐに離れていったけれど、平生にはない接触に、私の顔はカッと熱くなった。

「聞いてやりたくなる。今言われたって、教師と生徒の身分じゃ犯罪だ。受け取ってやれねぇから、今はやめろ」
「まだ、3年生になったばっかですよ、先生」
「待てねぇなら好きにしろ、時間は有限だ」
「待ちます、もん……待てますよ。だって、2年間、私待てたんです。あと1年間くらい、大丈夫です」
「……そうか」
「先生も、忘れないでくださいね」

手も握れない、抱き締めることもできなくて、キスだなんてもってのほかだ。けれど、今はそれでいい。好きの一言さえ言わせてくれなくたって。
いつかを確約してくれるなら、おあずけくらいいい子で我慢してみせるから。だからその“いつか”が来たその時は、惜しみなく愛を伝えて、そしてその分だけ返してもらうのだ。

3年分の私の想いを、余すところなくぜんぶ。


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