※野生のポケモン死亡注意。 ぱぁん、とひとつ音が響いた。 次に見えたのは、鮮やかな赤。 目の前に飛び散ったそれは、自分たちの中にも流れているものと同じ。 そして、重力に逆らうことの出来なくなった体が、倒れて。 ふっと、一瞬音も何もかも消えた気がした。 「……………え…?」 サトシの口から、小さく声が漏れた。 俺もカスミも、目の前で起きたことがすぐには理解できず呆然とするしか出来ない。 すぐ傍にいたサトシも、その赤色――返り血を浴びたまま、立ち尽くして動かない。 サトシの前には、ポケモンが倒れていた。 ぴくりとも動かず、頭を鮮やかに赤で染め上げて。 それは、つい今までサトシとじゃれていたポケモンだ。 本当に、今の、今まで。 そのポケモンは、この森で一休みしようとしていた時に出会った親子のポケモンの、親の方だった。 子供の方は、今俺の腕の中ですやすやと眠っている。怪我をしていて、治療したばかりだったからだ。 サトシは、かたかたと震えながらひどく緩慢な動きで倒れたポケモンへと視線を移した。頭と視線が動いただけで、体は固まったように立ち尽くしたままだ。 瞳が、困惑に揺れる。 「……なんだよ、これ…?」 声が、震えている。 目の前で起きたことを否定するように、サトシの口元は小さく弧を描いていて。 ――ああ、この子は現実に耐えられず壊れてしまうかもしれない。 そう感じ、背筋がぞくりと寒くなった。 初めて直面したであろう生き物の、ポケモンの死というものが、こんな残酷な形だなんて。 誰よりもポケモンを愛し、他の痛みも自分のことのように感じてしまうこの少年に、今どれほどの感情が渦巻いているのだろう。 この子が壊れることなどあってはならない。 けれど、目の前で起きたことは変えようのない現実で。 自分達には、それをサトシから遠ざけてやることも記憶を消してやることも、できはしない。 「 」 呆然としていた俺たちを現実に引き戻したのは、見知らぬ声だった。 大人の、男の声だ。 茂みの向こうから聞こえたそれが場違いな歓喜に満ちている事に、俺とカスミはまだはっきりしない思考のままそちらを見た。 「 」 「 」 そこには、手に何か持った男が二人、立っていた。 混乱しているせいだろうか、言葉がうまく聞き取れない。音として耳に入ってくるそれは今の俺たちにはよく理解出来ず、心の中に重たい流れを作り通り抜けていく。 けれど、いくつかの言葉だけは頭の中に残った。 歓喜の声はその時確かに、言ったのだ。 「やった!!」 「仕留めたぞ!!」 その言葉を認識した瞬間、急速に固まっていた思考が動いた。 よく見れば、男が手にしているのは銃だ。おそらく狩りに使うためのもの。 ――奴らが、その銃で撃った。 理解した瞬間、俺とカスミはさっとモンスターボールに手をかけた。 奴らを捕まえなければ。 何故こんなことをしたのか、理由を聞かなければ。 「いけっ!イワーク!!」 「ニョロトノ、おねがい!!」 閃光とともに、ボールからイワークとニョロトノが現れる。 突然のことに男たちは後退りをし銃を構えたが、間に合うはずもない。たとえ撃ったところで、鉛玉など俺のイワークには無意味だ。 ニョロトノのみずでっぽうで奴らを木に叩きつけ、すかさずイワークの体でしめつけ拘束した。銃も取り上げ、イワークが噛み砕く。 最初は抜け出そうとしていたものの、観念したのか、男たちは暴れるのを止めた。 頼まれたからやった。 これが、奴らの答えだった。 近くの小さな町で、凶暴で暴れまわるポケモンがいるから退治してほしい、と要請があったらしい。 確かにこの親ポケモンは、最初、自分達にも襲いかかってはきた。 けれどその理由はといえば怪我をしている子供を守るためで、無闇に暴れてなどいなかったのに。 奴らの行為は許し難い事だったけれど、しかしこれは、私利私欲のものではなかった。 住人が困っていた。その依頼を受け、撃った。 行動理由だけを見れば、これは罪ではないように見えた。裁くことは、出来ないかもしれない。 けれど、ポケモンを大人しくさせるのなら、なにも撃ち殺さなくても良かったんじゃないか。もう少しでも近寄って、 様子を窺ってみるべきだったんじゃないだろうか。 そうすれば、その時に子供のことに気付けただろう。銃の小さなスコープからでは、気付けなかった事にも。 けれど何よりも、あの歓喜に満ちた声が、俺たちは許せなかった。 自分たちがそう思ったところで、状況が何か変わる訳じゃない。こいつらを警察に突き出しても罪には問われないのかもしれない。 けれどポケモンに関する法律もたくさんあるから、どれかには引っかかるかもしれない。 町の人々にしてみれば喜ばしい結果だろうから、俺たちの私怨のような理由になるけれど、奴らを警察に引き渡すことにしてねむりごなで眠らせた。 暴れまわるからと言って、殺してもいいなんて理由にはならない。人間がそれと同じことをしたとしたら、警察が捕らえ然るべき罰を与え、簡単に命を奪う事などしないというのに。 ポケモンだから、人間じゃないから殺していいなんて事は、絶対にない。 「…サトシ、もう少し休む予定だったがこのまま森を抜けてこの二人を…――サトシ?」 男達を縛りながら振り向くと、サトシはへたり込むように倒れたポケモンのそばに座っていた。 そうして、一生懸命に何かをしている。こちらから見えるのは背中で、何をしているのかは見えない。 「サトシ…?」 近寄り、覗き込む。 「――!」 思わず、息を飲んだ。 サトシは必死に、ポケモンの傷口に傷薬をかけていた。 何度も、何度も。 だが、効果はない。…あるわけが、ない。当たり前だ。 だって、…もうそれは『いきもの』ではなくなってしまっている。 それを理解できない、いや、理解したくないのだろう。サトシは更に薬を取りだそうとリュックやポケットを探る。 すぐに追いかけてきたカスミも、その様子を見て言葉を失った。 「…サトシ、」 「タケシ、どうしよう、血が止まらないんだ。薬、これじゃあ全然足りない」 呆けたような声で、サトシが言葉を紡ぐ。持っていた薬を全部使ったのだろう、周りにはいくつも空の入れ物が散乱している。 傷薬、麻痺治し、眠気覚まし、げんきのかけら。 傷口の周りも地面も、雨の後のように薬で濡れていた。 「どうしよう、こいつ、こんなに怪我してるのに」 目に涙はない。そんなものは通り越してしまっているのだろう。痛々しいその行動に、何を言っていいのか分からなかった。 ごそごそと薬を探していた手を止め、サトシが顔を上げる。 「そうだ、ポケモンセンターに連れて行こう。ジョーイさんならきっと助けてくれる」 抱き起こそうと体に触れた瞬間、サトシが動きを止める。 つめたい。 小さく、そう呟いたのが聞こえた。 そして、救いを求めるように俺たちを見上げる。 「なあ、タケシ、カスミ、そうだよな?ジョーイさんならこのくらい、」 「サトシ。」 遮るように名前を呼ぶと、薄く笑ったままびくりとして固まった。 その先の言葉に、認めたくない事実に怯えるように。 「サトシ。…もう、助からないんだ」 サトシは、俺を見上げたまま動かない。 「…っはは…そんな……冗談…」 「冗談じゃない」 俺もしゃがみ、できるだけサトシと視線を合わせる。 「わかっているだろう?…もう…」 サトシは小さくゆっくりと首を振り、今度はちゃんとポケモンを――ポケモンだったものを、抱き起こした。 そしてぎゅうっと力を込める。 つめたい。 もう一度、呟いた。 その冷たさに現実を認識しはじめたのか、表情が、歪む。 目からはせきを切ったように涙が溢れ出した。 「なんで…?」 絞り出された声は、震えている。 「こいつはなにも悪くないのに、なんで?なあ、なんで、なんで、なんでなんでどうして!!!」 森に、声が響く。こちらの心をも抉るような、悲痛な叫び声。 それは、哀しみと悔しさと、怒りに満ちていて。 俺たちにはかける言葉も、慰めも、思い浮かばない。けれどそんなものは多分、今のサトシには無意味だ。 「どうしてだよぉ…!!!」 服が血で汚れることなど構わずに、サトシはそれを抱きしめた。 強く、強く。 腕の中の亡骸は、ぴくりとも動くことなく冷たくなっていくだけだった。 亡骸は、大きな木の根本に埋めた。 小さな花を摘んで、供えてやる。 子供も、親の死を理解したのかもしれない。悲しそうな表情で、俺たちの手をひと舐めしてから埋葬が終わった後森の奥へ消えていった。 「サトシ…俺たちも行こう」 声をかけると、サトシは俯いたまま小さく頷く。 「…大丈夫か?」 「…、……うん」 一瞬こちらに向けられた目は、泣きはらして真っ赤に腫れていた。表情は、暗いままだ。 肩に乗ったピカチュウが、気遣うように目元を舐める。 サトシは無言でピカチュウを抱き上げるとと、ぎゅ、と抱きしめた。 「………行こう。」 掠れた声で言って、サトシが歩き出す。 空は雲一つない快晴だけれど、俺たちは心も表情も曇ったまま、町に向かって出発した。 2008.11.17 収納 日記ログを少し修正。 相変わらず、文章の締め方がわかりません。 サトシを泣かせて取り乱させたかったんです← あと、愛されサトシ。 もう少しタケシがサトシべた可愛がってるのを書きたかった… /落とされた血の色 |