「サトシ、ちょっとおいで。」

「何?」


 僕はきょとんと首を傾げるサトシの左手を取り、ひっぱって歩き出した。
 後ろからピカチュウやヒカリの声が聞えたが、諌めるようにタケシが二人(正確には一人と一匹)を宥める声も聞えて来たのでそのまま進む。
 どうしたんだよ、なんなんだよ、とサトシの声も聞えて来たが、それも無視して歩く。あの場で言ってしまう事をサトシは望んでいないようだったから連れ出してあげたのに。

 彼らから十分離れ声も聞こえなくなった所で足を止め、サトシを振り返った。状況が未だ飲み込めず再度首を傾げている。

「なんなんだよいきなり?」

 むすりと下から見上げてくるサトシを近くの木に軽く押しつけ、右肩を掴む。


「いッ…!!」


 途端にサトシは顔を歪め半射的に体を引こうとしたが、背後に木があるのでそれは叶わない。
 ずいっと顔を近づけて近距離で睨むようにその顔を見ると、瞬間、しまったという表情を浮かべた。

「やっぱりね…我慢してたんだろう」
「べ、別に我慢なんか…」
「あんなに痛そうな顔をしておいて、どの口が言うんだい?」

 もう一度、今度は先程より少し強めにそこを掴むと、サトシの口からは声にならない呻きが漏れた。
 …ほらね。

「怪我、してるだろ。」
「……なんでお前にはすぐバレるんだよ…」

 サトシはバツの悪そうな顔をして、はあ、とため息をつく。
 みんなにはバレてなかったのに、と小さく呟いたが、それは間違いだ。少なくとも、ピカチュウとタケシは気づいていた。
 だからこそピカチュウは後を追おうとして、だからこそタケシはそれを止めた。

「何年の付き合いだと思ってるんだ。君の事なんかお見通しだよ、サートシ君?」

 少し意地悪く言ってやると、サトシはぷっと頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。どうやら、観念したようだ。
 ぽんぽん。軽く頭を撫でてやる。サトシは意外にも、僕にこうされるのが好きなようだから。

「さ、手当てするから、脱いで。」

 ポーチから包帯や傷薬を出しながら言えば、しぶしぶといった様子ではあるが服を脱ぎはじめた。
 右腕を動かす度に微かな呻きが聞こえる。恐らく相当痛いのだろう。


 そうしてインナーまで脱ぎ終わり、露わになった右肩から二の腕にかけてを見て、

 思わず僕は絶句した。


 赤くなっているどころではなく、そこは広範囲にわたって青や紫に変色していた。おまけに腫れている。
 ひどい打撲傷だ。

 ――くらり、と目眩を覚える。


「っ…たく君は!一体どれだけ無茶したんだ!!」


 思わず怒鳴りつけると、サトシはぴゃっと首を竦ませた。
 それから、少し不機嫌そうに、


「檻に体当たり、しかしてない…」


 と唇を尖らせながら言った。

 体当たり。…何故に体当たりだけでこんな事に。
 相変わらずポケモンのことになると加減を知らないんだな、こいつは。
 ……けれど、思ったよりは無茶をしていないようで安心した、

 その矢先だ。

 同じ右肩に、微かに残る歯形のようなものを見つけた。
 それから、こちらも微かにだけれど、火傷の痕。


「――サトシ、これは?」


 そっと、傷跡に触れながら問う。傷の具合から見て、今日付いたものではない事は明らかだ。
 するとサトシは、ああ、と口を開く。

「ヒコザルが、バトル中に“もうか”のせいで正気を失っちゃって…その時に」
「噛まれた?」
「うん。火傷もそん時」

 サトシはけろりと言ってのける。

 だが実際には、それは大変なことだ。
 ポケモンの力を真正面から受けることも、小さなポケモンであれ、噛みつかれることも。

 何が命取りになるかわからない。それがポケモンという生き物だ。

 それなのにサトシは何ともないように言う。ポケモンのために傷つくことに、恐怖も躊躇いも無い。そういう奴だ。
 だからだろう。
 よく見れば、今回の傷やヒコザルの傷以外にも体中は傷だらけだった。

 生傷の絶えないサトシが、それを何とも思わないサトシが。僕は、改めて怖くなった。
 たまらなくなって、ぎゅう、と抱き寄せる。

「シ…シゲル?」

 戸惑った声。
 けれど、構わずに腕に力を込めた。肩の傷が痛くないようには、気を使って。

 あたたかい。
 同い年なのに、自分より体温が高い、自分より少し小さな身体。


「……あまり、無茶しないでくれよ…」


 ぎゅう、と更に強く抱きしめる。

「だから、これは…」
「今回のことや、ヒコザルのことだけじゃないよ。…君はいつも無茶ばかりだ」

 抱きしめて留めておければ、この子はもうこんな風に傷を作るような無茶はしないだろうか。
 …いや。自由を奪ってしまったら、その方がきっと壊れてしまう。
 どんなに傷が増えても、これはサトシの意志であり望むことだから、止められやしない。


「心配、なんだよ…」


 無意識に、少し声が震えた。

 だって僕は、傍にすらいられない。
 心配も安心も、怒りだって、伝えられるのはほとんどが電話越しだ。

 もしまた今回みたいに、サトシが危険に晒されたとしても…僕が傍にいる確率は限りなく低い。
 僕の知らないところで何かがあったら、なんて。とても恐ろしい事だ。


「……ごめん」

「…ん。素直でよろしい」


 少し体を離して頭を撫でてやると、サトシは安心したのかはにかむように小さく笑った。

 心配して、心配して、こうして抱きしめられる事は……本当に、極僅かだ。
 こうして、手当してあげられる事も。
 だって、サトシも僕も、夢に向かって歩いている。

 そのためには、今は、ずっと傍にいるわけにはいかない。


「……さ、早く手当しちゃおうか。きっとみんな、心配してるよ」

「おう」


 出してあった薬と包帯を手に取って向きなおると、今度はサトシは大人しく待っている。
 意外と白い肌に映えた青が痛々しくて、僕はすぐに手当てを始めた。








 手当が終わってからもう一度サトシを抱き寄せて、こそりとその腰に付いているモンスターボールに触れた。


(サトシを、頼んだよ。)


 ――まあ、僕が願わずとも彼らはサトシを守ってくれるだろうけれど。



2009.3.16 収納

またしても書いてるうちに軸がブレた。
本当はEROに突入するような引きの話を書きたかったはずなのになあ。

/絶え間ない傷
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