肩甲骨


「イーノック」
名を呼ばれた。振り返らずとも分かる。
「ルシフェル、」
 そこには神が創りし美しき大天使の姿。彼はいつも私の傍にいてくれる。もう彼しか、いない。

 私の隣には仲間がいた。世界を救うため共に戦う仲間が。時は流れ、世界も移り変わり、私はひとりで戦うようになっていた。
 きっと彼らと出会った時からは数百年が過ぎている。私の記憶は時とともに曖昧になっていた。忘れる、それが怖くて記憶を本に記し、記録に変えている。
 少しだけ救われるが、時々押し潰されるような感覚に陥る。この感覚は何だろう。

「少し休もう。あちらに集落がある、情報収集も兼ねよう」
 ルシフェルはいつも正しい。私の口から同意の言葉が出る。しかしなかなか足が集落へと向かない。
「どうしたんだイーノック」
 ルシフェルは呆れたような声音で言う。
 聞こえた声に焦りを感じ、旅が始まってから口癖のようになった言葉をやっと吐き出した。
 唯一私の名を呼んでくれる彼を、いや、私の声を聴いてくださった神を、落胆させたくない。
 言葉は力になる。自分に言い聞かせた言葉で覚悟を決める。
 私の足は集落へと向かう。


 「残念だったな、イーノック。まぁ、情報は手に入ったからよかったじゃないか」
 ルシフェルは楽しそうに言う。
 先程集落に向かったは良いものの、話を聞き終わったあと私の素性がばれてしまった。追いかけてきてしまったので振り払って逃げ、現在に至る。
 金色の髪に青緑の瞳。不老不死。迫害されることに痛みは感じるが、私はどうすることも出来ない。
 ひとと関わることが、少しだけ怖い。
 空が赤く、地平線では青に変わっていく。
「もう休んだらどうだ」
 その言葉に甘え、なにもない更地に身を預け、目を閉じた。



 「イーノック、」
 ルシフェルの声だ。しかしいつもと少し違う。内側にこもり、物質を震わせたような音。
 どうしたのだろう。不思議に思い、頭を覚醒させ目を開ける。
 ルシフェルが私の顔を覗き込んでいた。
 少し驚いたが、違和感の方に目が行く。
「ふっ、驚いたか?どうだ?似合うだろう」
 いつもの黒の衣ではない、私が旅で着ているような、麻の衣だ。
 「お前一人では旅をするのに目立つからな。私も少しの間だが、旅人のまね事でもするよ。ひとの体を借りてきたからね」 その言葉に驚く。
 「ハハッ、そんなに驚くことか?私は大天使だぞ?面倒だからいつもはしないだけだ。」
 時間を旅していた時はよく借りていたよ、と笑う。
 今までたくさんの未来の道具を見せてもらったが、そうやって手に入れていたのか、と納得。
 久しぶりの一人ではない旅。なんだか心強く思う。


 やはりルシフェルの存在は心強かった。ルシフェルがいるだけで安心できる。それに迫害されることも少なくなった。
 ルシフェルは私の心を分かっていたのかもしれない。ひとに対し恐怖心を抱いていたことに。
 いつも支えてくれる。感謝しなければ。



 「イーノック、ちょっといいか」
 ルシフェルがひとの体を借りて三ヶ月。ああ、早いな、と同時にそういえば長くはひとの体を借りれないと言っていたことを思い出す。もうそろさろなのだろうか。少し残念だが、私の我が儘につき合わせてしまってはいけない。
 そう考えた私はルシフェルを見つめ返す。
 「イーノック、背中が痛むんだ」
 予想外の話だった。話を促してきくと、どうやら背中ではなく、
「そうそうそこだ。肩甲骨が痛い」
 にこやかに話すルシフェル。
 私の時間が止まる。ルシフェルは、なにもしていないというのに。




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0609

ドシリアスとギャグエンド両方用意してたのはいい思い出

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