太宰×芥川 | ナノ

拝啓、嫉妬心様


「何あれ」
 地を這うような声が聞こえて、谷崎は振り返った。背後にいたのは、後輩であり友人である男。秀麗な顔を不機嫌に歪めて、芥川は谷崎のその向こうを見ていた。
 そこには、永井荷風と、そして太宰治がいた。二人は中庭に置かれたベンチに腰掛け、和やかな様子で会話をしている。相変わらず座っているだけでも優雅さを感じさせる永井と、彼の話を少年のように目を輝かせて聞いている太宰。昼下がりの優しい木漏れ日が合わさり、その光景は一枚の絵画のようだった。
 そんな二人を、谷崎と芥川は、図書館の窓から眺めていた。
「見てわかりません?君の子犬が、私の荷風先生にじゃれついてるんですよ」
「なんで」
「なんでって……」
 まるで玩具を取られた子供のようだと、谷崎は内心呆れた。理知的な瞳をしている反面、どこか幼さを残す表情は、初めて彼を見た時に抱いた印象そのままだ。
 谷崎は溜め息をつき、答えた。
「荷風先生を尊敬しているんですよ、彼。先生に熱烈な手紙を出すほどに」
「手紙?」
 その単語に、芥川の纏う空気が険しい物になった。
「手紙って、太宰くんが永井先生に書いたのかい?」
「ええ。そうですよ」
 以前、永井の部屋に招かれた時、机の上に置きっぱなしになっていた手紙を目にしたことがある。覗き見するつもりはなかったのですぐに目を逸らした。しかし、たまたま目に入った“太宰治”の名前に興味をひかれ、少しだけ中身を読んでしまった。そこには、太宰がいかに永井を尊敬しているかを理解するために、充分な言葉が並んでいた。
「僕は、太宰くんから手紙貰ったことないんだけど……」
 芥川の声がさらに低くなる。彼が永井に嫉妬していることが、嫌でも伝わってくる。芥川がここまで露骨に負の感情をさらけ出すのは、傍にいるのが他ならぬ谷崎だからだ。その自覚がある谷崎は、面倒なことになったと肩を竦めた。
「手紙を書きたくても、上手く書けないんじゃないんですか?彼、ここに来た当初も緊張して君とまともに話せなかったのでしょう?」
「……だからって、永井先生にだけ出すなんて……」
「なら、君から彼に手紙を出しては?」
「嫌だ。それだと負けた気がする」
「いったい何の勝負にですか……」
 要は、永井が太宰から手紙を貰っているのだから、自分も太宰から先に手紙を受け取りたいのだろう。やはり面倒なことになっている。
「もうやだ。太宰くんの馬鹿」
 拗ねた声を出して、芥川は谷崎の肩に額を押し付けた。子供がぐずるように恨み言を零し、しがみついてくる。
 男に密着されることは不快極まりないが、相手がこの男なら仕方ないと許してしまう。
「そんなに人に取られるのが嫌なら、ちゃんと首輪つけて躾したらどうですか?」
「……そうする」
 冗談半分で呟いた言葉に、芥川は妙に真面目な声で返事をした。谷崎から体を離すと、彼は窓から体を乗り出し、そのまま外へと出てしまった。
 そんな芥川の行動に驚きつつ、谷崎は成り行きを見守ることにした。
 芥川は早足で永井と太宰の元へ向かっていく。その背中からは、これでもかと怒りのオーラが滲み出ていた。
 自分たちに近付く芥川に気付いた太宰が、ベンチの上で飛び跳ねた。その腕を掴むと、芥川は表面上はにこやかに笑いながら、永井に何事かを告げていた。それを聞いた永井は苦笑し、ひらひらと手を振って見せた。そこで話はついたのだろう。芥川は深々と頭を下げた後、太宰の腕を引き摺ってその場を去っていった。
「おやおや……」
 おろおろと困惑する太宰は、まさに飼主に怒られることを予期している犬のようだった。心なしか、いつもピンと跳ねている彼の頭頂部の髪の毛が一房、力をなくしてへたれていた。
 芥川と太宰の姿が見えなくなるまで目で追い、それから谷崎は永井に顔を戻した。すると、目が合った。彼もこちらの存在に気付いたようで、ベンチから立ち上がると、ゆっくりと歩み寄ってきた。
 風に吹かれてなびく髪が、とても美しい。歩く姿は凛然としていて、思わず目を奪われてしまう。
「どうやら、怒らせてしまったようだね」
 谷崎の目の前まで来ると、永井はそう云って困ったように笑った。
「先生のせいではありませんよ。仕方のない後輩で、申し訳ありません」
「気にしていないよ。しかし、彼はどうやらまだ知らないようだ」
「と、云いますと?」
「太宰君が抱いている僕に対する敬愛の念と、芥川君に抱いているそれは、全く違う。彼はもっと、自分が愛されていることを理解するべきだ」
「ふふ、全くですね」
 外から見れば、太宰が芥川のことばかり見詰めているのは明白。本人だけが、そのことを知らないのだから、おかしな話だ。
「さて、谷崎君。良ければ、お茶に付き合ってくれないかい?」
「それはもう、喜んで」
 永井からの誘いを、自分が断るはずがない。
 ちらりと、芥川達が消えていった方向に視線を向けて、谷崎は二人のことは忘れることにした。



「あ、あの、芥川先生……」
 太宰の腕を引きながら、廊下をぐんぐんと進む。途中で太宰の戸惑い気味な声が呼んできたので、「何?」と返すと、太宰はなぜか黙ってしまった。
 特別答えを期待していたわけではないので、追及することはなかった。
 その間も、芥川は目的地めがけて進んだ。目指す場所、それは太宰の自室だった。そのことに気付いたのか、太宰が先より大きな声で云った。
「せ、先生!どどどこ向かってるんですか!?」
「どこって、君の部屋」
「俺の部屋!?」
 耳をつんざくような声で叫んで、その時初めて太宰は、芥川に抵抗を見せた。
 引き摺られるだけだった足を止めて、芥川の引っ張る方向とは逆に体を引いた。ただの力勝負なら、芥川は太宰に勝てない。自然と、芥川もその場に立ち止まるしかなかった。
「なんで俺の部屋なんですかっ」
「ここからなら僕の部屋より近いから。ダメなの?」
「そ、その、散らかってるので」
「……ふーん」
 太宰の視線は宙を泳いでいる。彼は芥川相手に限り、嘘をつくのが壊滅的に下手だ。そしてこちらの目を見れないということは、何か隠したいことがあるに違いない。
「僕は気にしないよ」
「いやいや!俺が気にするんですっ!」
「……ねぇ、太宰くん」
 声を常より低くして名前を口にすれば、太宰の肩が目に見えて跳ねた。一歩、また一歩近寄って、顔を至近距離まで近付ける。
「僕が、いいって云ってるんだから、他に問題がある?」
 ひゅっと、太宰が息を呑む音がした。目を丸くして固まる太宰は、じっと芥川を見たまま、こくりとぎこちなく頷いた。まるで、玩具の人形のようだ。
「問題、あ、ありません」
「いい子」
 素直に答えた太宰に気を良くし、芥川は微笑んだ。
 太宰から身を離して、すっかり力の抜けた彼の腕を掴み直すと、再び廊下を進み始めた。
 太宰の部屋につくまで、どちらも口を開かなかった。扉の前に到着すると、芥川は太宰を振り返った。
「入るよ?」
「は、はい」
 一応、部屋の主に断りはいれておくべきだと思い、尋ねる。もっとも、そこで太宰が駄目だといったところで、芥川は聞く耳を持たなかっただろう。
 部屋の中に入ると、そこは太宰の言葉通り、物が床に散乱し、雑然としていた。一月前に来た時はもっと整理整頓されていたはずだが、何があったのだろう。
「新しい小説でも書いてたのかい?」
 床に散らばっているのは、どれも白い紙だった。ぐしゃぐしゃに丸められた物もあれば、真っ平らままベッドの下に入り込んでいる物もある。ゴミ箱からは白い用紙が溢れ出して、洪水を起こしていた。
「いや、これは……」
 太宰は気まずそうに、言葉を濁す。芥川が首をひねりつつ、髪の一枚に手を伸ばそうとすると、慌てた様子で太宰がそれを拒んできた。
「す、すみません!すぐに片付けます!」
 芥川の手の届く範囲から紙をどかし、太宰は床を覆う白を掻き集めていく。大きな山になった紙はゴミ箱の周りに寄せられ、床の木の色が顔を出した。
 手持ち無沙汰になりながら、辺りを見回す。芥川の目に、入り口付近に落ちている紙の塊が飛び込んできた。太宰はこちらに背を向けているので、その紙の存在に気付いていない。
 芥川はその紙を手に取った。そして、丸められた用紙を丁寧に開いていく。現れた文字の並びに、瞠目した。
「太宰くん、これ」
「え?」
 太宰が振り返る。そして、芥川の手にする物を見た瞬間、彼は文字通り飛び跳ねた。素早い動きで、芥川の手から紙を引ったくった。
「よ、読みました!?」
「うん」
 事もなげに頷くと、太宰は顔を真っ赤にした。
「これ、もしかして、僕への手紙を書こうとしてたの?」
「そ、それは……」
 芥川が目にした物、それは太宰の字で書かれた“芥川龍之介様”という、自身の名前だった。その後に続く文章も少し読んだが、それは紛れもなく、手紙と呼べる内容だった。それを丸めて捨ててあったのは、書き損じたからなのだろう。
「まさか、それ全部?」
 この太宰の慌て方から察するに、部屋の片隅に作られた白い山は、全て手紙に成り損ねた物達なのではないだろうか。尋ねると、太宰は耳まで赤くして、俯いてしまった。それを、芥川は肯定と取った。
「全て、僕宛て?」
「……はい」
「読んでもいい?」
「え!?だ、ダメですよ!書き損じたやつですし、支離滅裂だし、字汚いし、恥ずかしい内容ばかりだし……」
「今更。学生時代に僕の名前をノートに書き連ねてた君に、これ以上恥ずかしがることがある?」
「……!!!?」
 痛い所を突いた自覚はある。案の定、太宰は口をパクパクさせ、絶句してしまった。
 太宰が何も云えなくなってしまったことを好機に、芥川は太宰の集めた手紙の山から、一つを拾い上げた。ベッドに腰掛け、開いたそれに目を通していく。
「あ、芥川先生……」
 泣きそうな顔をしながら、太宰が傍にきた。落ち込んだ様子は、耳をぺたりと垂らした犬のようだ。
「太宰くん、手紙、どんどん持ってきて。全部読んであげるから」
「ぜ、全部!?」
「ダメ?僕に書いたものなんだろう?」
「で、でもっ」
「太宰くん」
 優しく呼んで、言外に「云うことをききなさい」と伝えるために見詰める。芥川の意図を汲み取ったのだろう。太宰は引き攣った顔をして、「はい」と頷いた。
「芥川先生……俺、何かしましたか?」
「どうしてそんなこと訊くの?」
「だって、先生。さっきまで、めちゃくちゃ怒った顔してたじゃないですか」
「ああ、そういえば、そうだったね」
 永井と仲良く話す太宰を見て、嫉妬していたことを思い出す。しかも、自分より先に太宰から手紙を貰った相手がいると知って、釈然としないまま怒りに駆られていたことも確かだ。
 だが、それもすでに過去のこと。今となっては、どうでもいいことだった。
「今は怒ってないよ」
「ほ、本当ですか?」
「うん。でも、怒ってたことは事実だから、お仕置きはしないとね。あと、躾」
 ぱらりと、読み終えた手紙を傍らに置く。それと時同じくして、「ひっ」と小さな悲鳴が聞こえた。
「太宰くん、次のちょうだい」
「うう……はい」
 依然、泣きそうな様子でしょぼくれている太宰が、数枚の紙を重ねて芥川に差し出す。
 特務司書と館長が、文豪達のために相互に手紙を送れるシステムを作ってくれたのが、一ヶ月前。この量を見るに、その間、太宰はずっと芥川への手紙を書いては捨て、書いては直す作業を繰り返していたのだろう。
 谷崎の云う通りだった。上手くまとめられず、上手く言葉にできない思いを、太宰は芥川に抱いてくれている。そのことが、芥川は嬉しかった。
「君の一番は、僕じゃなきゃダメだからね……」
 ぐしゃぐしゃになった紙を一枚一枚伸ばしている太宰を見ながら、芥川はこっそりと囁いた。









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