太宰×芥川 | ナノ

君に愛されたい


「やっと捕まえた」
 そう云って自分の上で微笑む秀麗な顔に、太宰は言葉を失うしかなかった。

 それは、今からほんの数分前のことだった。
 眠い。疲れた。眠い。
 ぐるぐると同じことを繰り返し頭の中で唱えながら、太宰は寝所へと入り込んだ。
 本来ならそこは、侵蝕が進んだ文豪とその文学書を癒やすために使われる部屋だ。しかし、今の太宰は潜書後であるわけではなく、それどころか昨日浄化を施されて万全の状態のはずだった。それにも関わらず、今まさにベッドに潜り込もうとしているのは、単に眠たいからだ。
 肩にかけた羽織を取り、寝るのに邪魔になる装飾品の類を全て外す。上はワイシャツ一枚になり、首元の赤いネクタイを解いて、傍らの椅子の上に放り投げる。最後にブーツを脱ぎ、太宰はベッドに倒れ込んだ。
 いつ触れても陽だまりの香りのする布団に、掛け布団の上から体を沈める。枕元にいる猫のぬいぐるみを片手で抱きかかえて、仰向けになる。そして目を閉じれば、緩やかな眠りはすぐに訪れた。
 しかし、その穏やかな時間が長く続くことはなかった。
「……ん?」
 浅い夢の中、唐突に息苦しさを覚え、太宰は呻き声を上げた。ゆっくりと意識が浮上し、嫌でも目が覚めた。
 何かが、自分の上に乗っているような重たさを感じる。いったい何だと思いつつ、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
 そして、開いた眼で見えたのは―
「あ、起きちゃった?」
 目の前で笑う、蒼天の瞳だった。
「…………」
 太宰は絶句した。夢を見ているのではないかと、すぐに疑った。それほど、今の状況は衝撃的だった。
 自分の上に重なるようにうつ伏せになっているのは、芥川龍之介、その人だった。彼はいつも身につけている凝った服ではなく、ゆったりとした着流し一枚だけを着ていた。その深い藍色は、彼の白い肌を際立たせ、長い髪の色によく馴染んでいた。
 芥川は微笑んだまま、太宰の胸元に両手を重ねて置き、その上に顎をのせてこちらを見ていた。
「せ、先生……」
 暫くして、ようやくそれだけを口にした。芥川は「なに?」と云わんばかりに首を傾げる。
「な、何で……」
 どうしてここに。なぜこの状態に。
 尋ねたいことがいくつもあったが、そのどれも言葉になってくれなかった。
 芥川を目の前にするだけで、太宰の心臓はうるさいほどに高鳴っている。緊張で指一本動かすことができなかった。
「何で、僕がここにいるか、かな?」
「…………は、ぃ」
「太宰君が逃げないように」
 にっこりと、花が綻ぶような美しい笑顔だった。しかし、その笑みと共に告げられた言葉は、太宰の心臓を鷲掴みにし、一瞬で全身から血の気が引いた。
「逃げる、なんて……そんな……」
「逃げるだろ?この間の夜だって、せっかく一緒にご飯食べてたのに、さっさといなくなっちゃうし」
 拗ねたように唇を尖らせる芥川に、太宰は何も云えなくなった。逃げ出した自覚があったからだ。
「僕、寂しかったんだよ?」
「っ!も、逃げませんっ、だからそこ降りてくださいっ」
「どうして?」
「どうしてって……っ!」
 すりっと、衣服が擦れる音がした気がした。芥川が僅かに身動ぎ、太宰の下腹部に自身の腰を擦り寄せてきたせいだ。その曖昧すぎる刺激に、しかし太宰は全身を跳ねさせるほどに驚いた。
 くすくすと、声に出して芥川は笑っている。今のは紛れもなく、わざとしてきたのだとわかった。
 太宰はいよいよ混乱した。
 あの夜と同じだ。芥川は間違いなく、太宰を誘っている。甘い匂いを漂わせて、たっぷりと蜜を含んだ目でこっちにおいでと手招きしている。それも、逃げ場のない袋小路に太宰を追い込んだ上で。
 誰より尊敬し、憧れ、魂の奥から焦がれていた人に求められて、歓喜よりも先に動揺していた。
「やっと捕まえたんだ。今日は逃がしてあげないから」
 そんな太宰の胸中を知ってか知らずか、芥川はさらに追い打ちをかけてくる。
「ねぇ、太宰君」
 芥川の細い指が、太宰の首筋をなぞる。手袋をはめていない手はいつになく眩しくて、その感触と光景に息を呑んだ。
「僕のこと、好き?」
「……っ!」
 あまりに直接的で、核心的な問い掛け。吐息混じりに囁いた声に煽られて、じわじわと熱が高まっていく。これ以上密着されていたら、まずい。
「太宰君?」
「ぇ、あ、その……」
 名前を呼ばれ、返事を催促される。
 好きかどうかなんて、そんなこと、好きに決まっている。しかし、太宰にはそれを直接本人に伝える覚悟はまだなかった。
「尊敬して、ます……」
「それで?」
「それ、で」
 芥川は本気で、太宰を逃がす気はないのだと痛感した。
 素直に答えればいいのかもしれない。しかし、この場で流されるままに答えたら、その後自分と彼の関係はどうなるのだろう。不安ばかりが募って、結局言葉にならなかった。
 そんな太宰に痺れを切らしたのか、芥川は少し身を起こすと、太宰の正面に顔を持ってきた。笑ってはいないが、とても静かで、穏やかな顔付きをしている。
「僕は、好きだよ。太宰君のこと」
「へ?」
「好き、大好き。君のこと」
 そして落とされた囁きは、予想もしなかった彼からの告白だった。
「な、何で!?」
 かつて、芥川の前では出したことがないような、大きな声が出た。面食らったのか、芥川はきょとんと目を丸くした。
「何でって、君、可愛いから」
「かわっ、え?え?」
 芥川が自分を好いている。そんなことは、想像すら恐れ多くてできなかったのに、まさか、本人から告げられる日がくるなんて。
 顔を赤くし、目線を彷徨わせる太宰に、芥川は目を細めてうっとりと笑った。その指先が、太宰の頬を撫でる。
「ね、太宰君。僕ね、君に愛されたいんだ。どんな風に愛してくれるのか、知りたいんだ。君が僕を好きなら、その目で見て、その手で触れて、僕のことたくさん愛して?」
 毒薬を注ぎ込むような、甘ったるくてくらくらするような声音だった。冷たい人差し指が、太宰の下唇を柔らかく押す。
 そして芥川は、重ねて問うてきた。
「僕のこと、好き?」
 芥川から目が離せない。視界も思考も、何もかもが目の前の彼に支配されていく。太宰は完全に、抗う術をなくした。
「好き、です……」
 唇が震え、辛うじて口にできたのはそれだけだった。しかし、芥川はそれだけで満足したらしい。妖艶な微笑が途端に少女のように弾けたものに変わる。
「うん、僕も好きだよ」
 頭を太宰の胸にぐりぐりと押し付けると、芥川は幸せそうに笑って瞼を閉じた。
「もう、僕から逃げちゃダメだからね?」
「は、はい」
 ここまできたら、腹を括るしかない。太宰は頷きながら、出かかった溜め息を呑み込んだ。
「せ、先生……もう俺、逃げませんから……だから、その、そろそろ退いてもらえませんか……?」
「え?どうして?」
 不思議そうに芥川がこちらを見る。太宰は思わず目をそらした。
 本当の理由を云うわけにはいかず、最もらしい理由を代わりに答えようとする。しかし、そこは芥川のほうが上手だった。
「ああ、勃っちゃったから?」
「!!?!!!?」
 見事に指摘され、太宰は心臓が口から飛び出しそうになった。芥川の云う通り、彼に乗っかられ、あまつさえ悪戯に刺激を送られたせいで、太宰の中心はすっかり昂ぶっていた。
「したい?」
「え!?それはっ」
「でもダーメ。我慢、するんだよ?」
「っ!」
 宥めるように唇を指で撫でられ、言葉とは裏腹に腰を緩やかに動かされ、太宰は悲鳴を上げそうになった。
「今はお昼寝しよ?元々そのつもりだったんだろう?」
「いや、そうですけどっ」
「ほら、その猫さんはこっち。君は、僕のこと抱きしめて」
 右腕に抱えたままだった猫のぬいぐるみを取り上げられ、芥川がそれを抱きしめる。そして太宰の上で横向きになると、彼はそのまま目を閉じた。
「太宰君?」
「っ、は、はい」
 おずおずと腕を動かし、芥川の痩躯を腕の中に閉じ込める。芥川から漂ってくる煙草の香りが、一層強くなった。
「夜になったら、たくさんさせてあげるから」
 きっと自分は、一睡もできないことだろう。
 そう悟った太宰は、ただ天井を見上げて、甘い責苦に耐えるしかなかった。










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