「私、結婚することになったから。」
静かなBGMが流れるカフェソーコにて。突然そう切り出したトウコにNはぽかんと、トウヤはぶはっとコーヒーを吹き出した。なにベタな事やってんのよ、と笑うトウコに、慌ててナプキンを差し出すN。トウヤはありがたくNからナプキンを受け取ると口周りを拭き取ってから、マジか。と言った。マジよ、当たり前じゃない。と鼻を鳴らすトウコ。しかしトウヤは探るような目をしたままだ。まさかこの其処ら辺の男より男勝りで気の強い姉を娶る男がいたとは、冗談を言っているんじゃあるまいか。益々渋く歪んでゆくトウヤの顔面を一瞥し、失礼ねぇ、とトウコは溜息を吐いた。流石は双子。言葉を介さずとも表情を見れば、相手の腹の内など手に取るようにわかってしまう。相変わらず可愛くない弟だとトウコはそっぽを向いたが、その先に待ち構えていたのは、トウヤとは対照的に柔らかく微笑むNだった。トウコの逆立った心がしゅるしゅると緩んでいく。
「凄いじゃないか。おめでとうトウコ。」
「ありがと、N。やっぱりあなたはいい奴ね。トウヤとは大違いよ。」
「で、相手は誰だよ。」
蚊帳の外が面白くないのか、改めてコーヒーを啜るトウヤが伺うようにトウコを見やる。対するトウコはアイスティーを一口飲み込んでから、んー、そうねぇ。と続けた。
「旅先で出会った人よ。本当は今日も連れてこようと思ってたんだけど、どうしても都合がつかなくて。ま、今度紹介するわ。」
「…チェレンとベルは知ってんのか、この事。」
「勿論。世界を股にかける誰かさん達と違って、二人はイッシュにいるからね。時間を作ってもらって、ちゃあんと紹介したわよ。」
「う。」
痛い。トウコはニコニコと笑顔を絶やさないままなのに、言い聞かせるような優しい声が細かな針となってグサグサとトウヤとNの心に突き刺さる。
しらー、と目を逸らすトウヤと、ぎこちなくごめんね、と詫びるNの両人を、トウコは仕方ないなぁ。と苦笑した。
あっちへ行ったりこっちへ行ったり。北はシンオウ南はホウエンまで。世界狭しとばかりにしょっちゅう高跳びするトウヤとNの所在を掴むのはなかなか難しい。イッシュの外ではライブキャスターの電波も届かない為、トウヤ達から連絡がない以上、パソコンのメールボックスに話をしたい旨を残しておく事くらいしかトウコには出来なかったのだ。勿論そのメールに今回の結婚報告を綴っておいてもよかったのだが、やはりこういう知らせは直接会って伝えたいものだ。家族となれば尚更である。しかし一方で旅に夢中になれば家族への連絡も疎かになってしまうもの。トウコとてイッシュリーグを制覇し、今では一流のポケモントレーナーだ。それくらいは承知の事。
「だから代わりに今度時間作ってね。ちゃんと会わせたいからさ。」
はにかむトウコに、トウヤもNも今度こそはとしっかり頷いたのだった。

***

「へぇ。なんだか君たちのお母さんのようだね。旅先で出会った人間と恋に落ちるなんて。」
「そう言われればそうね。やっぱり親子ってそういうのも似るものなのかしら。」
ケーキやコーヒーを味わいつつ、話題はトウコと相手のなれ初めに至っていた。どこでどのように出会い、どのような所に惹かれていったのか。暫くゆっくり話をする機会もなかった事も相まって話題は尽きなかった。丸いテーブルの上に3人の掛け合いが飛び交う。穏やかなBGMが流れる店内では、時間がゆっくりと流れているような気がしてついつい話に夢中になってしまう。壁掛け時計の知らせる時刻は、3人がこの店に入店してからすでに一周していた。
「トウコ、とても幸せそうだね。」
コーヒーカップを持ち上げて、冷めた中身をすするNを茶化すであろうトウヤは、丁度トイレに立っている為不在だ。二人の間に満る空気が柔らかいものに変わる。トウコは照れたように笑った。
「これでも私だって女だしね。そりゃあ、花嫁ってのには憧れるわよ。純白のウエディングドレス、ブーケトス!女の子にとっては憧れなのよ、コレ。」
「そうなのかい?」
「うん。だから、幸せ、かな。」
氷の解けきったアイスティーの中身をストローでくるくるとかき混ぜるトウコは、以前会った時よりずっと大人びて、艶やかになった気がした。彼女の左薬指に嵌められたエンゲージリングがキラリと光る。トウコの細くて長い指に、シルバーの涼しげな指輪はとてもよく似合っていた。それを撫でるように弄びながらトウコは、ちらりと上目使いでNを見上げ、ねぇ、Nは?と問いかけてきた。何が?と首を傾げるNに、トウコは頷き、問う。
「あなたは今、幸せ?」
「…随分唐突だね。」
パチパチと瞬きをして苦笑を零すN。長い睫は上下する度にパサパサと音がしそうだ。それを観察しながら、トウコは、ふっと肩の力を抜いた。背凭れに凭れると椅子がギシッと鳴る。
「私ね、Nには幸せになってほしいんだ。……うーん、っていうか、あなたは私が知ってる人間の中で、一番幸せにならなきゃいけない人なの。」
「どうしてだい?」
「…うまく言えないんだけど。…うん。私はトウヤ程Nの近くにいたわけじゃないけど、でも、Nの事何も知らないわけじゃない。あなたは今まで凄く頑張ってきた。私なんかより、ずっとずっと沢山。だからね、あのね、うまく言えないんだけど…報われて欲しいって言うか。私は、Nには一番幸せになってほしいの。…なあんて。ごめんね、こんなのお節介よね。」
困ったように、照れくさそうにトウコは言い切ると、最後に、だってNももう家族みたいなもんなんだからさ。と付け足した。

家族。

Nの体の中心にぽやりとぬくもりが灯る。そういえばトウヤも以前こんなことを言ってくれたような気がするな、とNは思った。
『お前は俺のものなんだから、もう家族みたいなもんだよな。だからこの街だってお前の故郷だよ。この家だってお前の家だよ。俺がお前の居場所だよ。』
聞く人によってはただの甘ったるい言葉の羅列に思えるだろう。だけどNにとってトウヤのその言葉は、重く深く心に沁みた。この言葉はただの口説き文句とは違うのだ。ありのままのNに向かい合った上に、全てを受け入れてみせるトウヤの暖かさにどれだけ救われてきただろう。Nにとっては掛け替えのない言葉だった。
そのトウヤと同じ言葉を、双子の片割れであるトウコも言う。やはりこういう所も双子と言うのは似るものなのだろうか。不思議な気持ちになりつつも、それがどこか可笑しくて、嬉しかった。
「…ありがとう、トウコ。けど大丈夫。心配には及ばないよ。…ボクは今凄く幸せだから。」
「………うん。」
「君が嬉しい知らせをボクにも届けてくれる。こうして君がボクの幸せを想っていてくれる。それだけでも嬉しく思うし、幸せな事だと思うよ。それにね。…ボクにはトウヤがいるから。」
うん。Nの言葉を聞いたトウコが、安心したように頷く。うん、大丈夫。大丈夫だよ、トウコ。と、Nも笑う。

Nはトウヤと世界中を巡った。その先々で様々な人間やポケモンと出会って、様々な感情を知った。そしてやはり世界は汚いとも思ったし、同じくらいそこまで捨てたもんじゃないとも思った。
悲しみ苦しんでいる者達の声を無視する事なんてできないから、時に激しい憎悪を抱くときだってある。それでもトウヤがいれば、Nはどれだけ悩み傷ついても前に進める気がするのだ。隣を見ればトウヤがいる。ひとりじゃないのだ。それを証明してくれたトウヤの隣にいれるのなら、明確な理由などなくてもNは安心することが出来るのだ。
「だからボクは今のままでも、とても幸せだよ。」
どこか力の抜けたNの笑顔は、初めて会った時に見た作り笑いと違い、人間らしく緩やかだった。息をついたトウコが、そっか。と相槌を打ったその時だった。にゅっと、Nに伸びてくる二本の腕。それはNにゆるく巻きつき、ずしりとのしかかってきた。目を丸くする二人。それを笑いながら、腕の主は「当たり前だろ。」と宣言した。Nが振り向き頭上を見上げるとそこには。
「トウヤ!」
「ま、これくらいじゃ全然足りないけど。」
Nの背中に圧し掛かるように凭れたトウヤは、何時の間に、一体どこまで聞いていたのやら、やけに自信ありげな表情で続けた。
「Nのことは俺が責任持って幸せにしてやるから、余計な心配はしなくていいぜ、トウコ。」
挑発するかのようにニヤリと笑ってみせるトウヤに、トウコも同じように笑って見せる。双子と言うのはこんな所までそっくりだ。バチバチと二人の間で火花が散る。
「ほーぉ。できんの?あんたごときに。」
「勿論。こいつ俺のものだし。当然だろ。」
「はぁ。独占欲の強い男ってやーね。N、こいつの事が嫌になったらいつでも私の所に来てね?」
「残念ながら一生ねーよ。馬鹿姉貴。」
「なんですって?」
「お、やるか?」
「ちょっ、二人とも…。」
ガタリと席を立つ二人を諌めようとNは両者を交互に見やるが、一度火が付いた闘争心は勝敗をつけるまで醒める事はない。共にイッシュを制覇した二人だが、トウヤが国外に出ていた事もあり、思えば随分長く手合せもしていなかった。ポケモントレーナーとしての本能がじくじくと疼き出す。
今回の旅の成果とやらを見せてもらおうじゃないの、と舌なめずりをしたトウコに、決まりだな、とトウヤが言い切る。もうこうなっては止めようもない。Nは仕方ないな、と苦笑して二人に倣って立ち上がった。

会計を済ませて店の外に出ると、少女がフルートを吹いていた。穏やかで優しいその音色は、毛先を弄ぶ爽やかな風に乗りNの耳にも届く。綺麗だ。美しい。素直にそう思う。
しばし足を止めて聞き入っていると、後ろからNの名を呼ぶトウヤとトウコの声が飛んできた。どうやらバトルは郊外でするらしい。
「N、早く来いよ!」
「置いていくわよー!」
足を止めて二人が待っている。Nは今行くよ、と答えて駆け出した。目に滲んだ僅かな水は、穏やかな風に攫われて、零れる前に散っていった。




Herzlich.(心から)







心からNの幸せを願うトウコちゃん。Nの幸せを誓うトウヤ君。幸せを噛み締めるN。
主♂N+主♀。と言うよりはトウトウN寄りになってしまった。
トウコちゃんは幼馴染の中でも早めに結婚しそうな気がします、なんとなく。
BWから6、7年後の3人。
どうかNにとって世界がやさしいものでありますように。

主催の主♂N企画に献上。








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