凄絶な光を覚えているかい 「なあ真ちゃん。はじめてシュート決めた時のこと、覚えてる?」 一度尋ねられたことがある。帰り道だった。 高尾は何でもないように何気なく聞いた風だった。 「…覚えていないのだよ」 そう一言返したのを、覚えている。 自分で尋ねておきながら、高尾はふぅんと実に曖昧な相槌を打った。 今までに数えきれないほどシュートを撃ってきた。 決まったフォームで、今では入るのが当たり前。 一番、はじめなんて。 「そういうお前は、覚えているのか」 普段なら聞きもしなかったことだろう。だが逆に無性に聞きたくなったのだ。 「俺ぇ?まぁ俺はもともとシュートがんがん決めるよりも、パス回したり相手からボール奪うのが、楽しかったクチなんだけど…」 実にPGらしい答え。 「…でも、覚えてる…かな。うん覚えてる」 「曖昧なのだな」 「まぁねえ。結局今じゃパス捌きが生業だしー」 高尾はいつものように、明るく笑ったのだった。 はじめて試合に負けた。 これは紛れもなくはじめてで、覚えている出来事だ。忘れたくても、忘れられない。敗北。 中学時代、それは死とも同等ほどのものであった。 「真ちゃん…」 何かを伝えたいようで、伝えあぐねるようなそんな顔つきを高尾はしていた。 慰めなどいらなかった。 ただ、自身が至らなかったばかりに負けたのだ。 人事を尽くし切れていない。それだけだ。 ならば更に、今まで以上に練習に打ち込めば良い話。そうすれば勝てる。 そうしてシュート練習にまた磨きをかけていった。 いつも通りの毎日。 「…なぁ、緑間」 放課後、いつものように居残り自主練習をしていた時のことだ。 高尾は珍しく用事があるとかで先に帰っていた。 話し掛けてきたのは、宮地であった。 「なんですか。」 彼とはなんだかんだであまり馬が合わない。 というより、向こうがその意識を持っているのだろう。緑間は人に対しての甲乙がよく分からない。 「最近、熱心だなお前」 「人事を尽くしているだけです。」 「負けたからか?」 「…次は無いです」 きっぱり言った。 当たり前だ。勝つために、やっているのだから。 淡々とはたまた不遜にすら見えるだろう態度で緑間が言うと、宮地は怒りもせずにひとつ頷いた。 「だなぁ」 「…用件は、」 それだけですか、と続けようとした言葉は、ぐぅと喉の奥に仕舞われる。 「だけどそれだけじゃあ勝てねえよ、緑間」 「っ、」 二重の瞳がこちらを見詰める。睨んでいない。 だがどうしてだか、その視線に怯む。 「どういう、意味ですか」 「分からないか?」 分からない、と性分上素直に言い難い。 すると宮地はにぃ、と唇をつり上げて。 「いつか、分かるさ」 と意味深長に呟いた。 どうして勝てないのか。 理解出来ない。 自分が出来る最大の努力をすれば、報われる。 天命は味方する。 事実であるはずだ。 「あー、練習だりぃ〜」 「あちぃし、出たくねえよなしょーじき」 「きっついもん」 更衣室で着替えていると、そんな言葉が耳に入ってきた。見ればどうやら、二年生たちらしい。 名前は知れないが。 そういった考えは緑間には無いし、一番嫌う思考とでも言えるだろう。 視線が一瞬絡んだ。 「…んだよ緑間ァ」 「文句あんのかよ?」 何も言っていないのに、酷い言いがかりだ。 高尾が居たならば、「目は口ほどに物を言う。んだよ真ちゃん」などと茶化していたかもしれない。 生憎と彼は委員会だとかで遅れていたが。 「何も。」 そう何もない。 人事を尽くそうとしない人間に興味はないのだ。 「っだよてめえ!!何様のつもりだその態度!」 「別に何様のつもりでもありません。ただ事実を述べたまでです」 簡潔に答えたが、彼らには気に食わなかったらしい。昔からよくあった。 妬み、やっかみなどから絡まれることは。 だから慣れたのだ。 何もかもに。 「見下してんじゃねえぞ!!自分がちょっと出来るからってよぉ!!」 ばん、とロッカーを殴る。音が響いて、緑間はうっとおしげに目を細めた。 「…失礼します」 否定しなかったのは、そのままの意味だ。 彼らは好かない。 それを見下すと言うのなら、そうなのだろう。 「てっめえ!!」 腕を掴まれて、これは殴られるか、とぼんやりと考えた時であった。 「ちょ、ちょ、ストップストップ!暴力はよくないっすよ、ね、先輩」 間に挟まってきたのは、剽軽なような声音。 旋毛を見下ろす。 「高尾。」 「やあ真ちゃん。さっきぶりだね!」 「…何をしているのだよ」 「いやあ?なんもー」 言いながら、高尾はぐいぐいと緑間と二年生たちとの距離感を広げた。 危機一髪、とでも言うのか。まあ、慣れたことであるから構わないが。 「高尾、お前…!」 「すんません、どうせまた真ちゃんが怒らせるようなことしたんすよねぇ」 止めておきながらどちらの肩を持つのだ。 あきれて鼻を鳴らす。 「ちょっと愚痴っただけでガン飛ばしやがって…」 別に見ただけである。 高尾は何も言わないが、たしなめるような響きの目線を感じた。 「いやあ、やっぱり夏場の練習はきついっすよね〜」 「だよな」 「はい。サボりたくなる気分もよぉっく分かります」 「…高尾。」 堪らず低い声で名を呼ぶが、彼は構わない。 「でもですねぇ、緑間はやるこたぁやるんすよ」 「…?」 「どんなに暑かろうが辛かろうが面倒臭がろうが、何が何でも練習するんです」 見れば、高尾は穏やかな表情をしていた。 うっすら笑んですらいる。それはどんな思いを乗せた、笑顔なのか。 分からなかった。 「まあ緑間的に言やぁ、人事を尽くす。」 「…まあそこの過程がありえねーくらいむかつくことがあんだけどねぇ」 飄々した声音が追加された。更衣室の入り口には、宮地が顔を覗かせている。 「なあ、俺もあいつは気に食わねえけど、努力は認めてんだよ」 「…すんません、」 「いやいや謝んな。俺だって緑間を轢きたい衝動に襲われる時もある」 フォローしたいのかなんなのか不可解だが。 高尾は笑いを堪えるように顔を背けていた。 緑間は黙っている。 「ただ、な。俺たちが目指すその先には、少なくとも同じものが見えているとは思ってんだぜ?」 それはいったい、なんなのであろうか。 珍しく部活が休みの日曜日であった。 本屋にでも寄るかと歩いていると、弾んだ声で後方から呼び止められる。 「緑間っち!」 こんなふざけた渾名で呼ぶ人間を、残念ながら緑間は一人しか知らない。 「…黄瀬か」 「久しぶりッス!偶然スね、こんなとこで会うなんて。今日はオフ?」 「ああ。お前もか?」 「そうッス。あ、ここで会ったのもなんかの縁なんで、ちょっと寄ってかないッスか?あそこ」 指差されたのはファミレスであった。 あまりそういった場所は好まなかったが、いかんせん今日は機嫌が良い。 おは朝では蟹座は一位であった。ラッキーアイテムは眼鏡である。 常に身に付けていられる。 「…良いのだよ。」 まさか肯定を貰えるとは思っていなかったらしい。 目をぱしぱしと瞬かせてから、破顔した。 「まじッスか!やったあ、じゃあ行こう〜」 ぐいぐいと緑間の腕を掴んで進んでゆく。 こういったところが、どこか誰かに似ていて…。 浮かんだにやけた顔を、無理矢理追い払った。 「緑間っち、なに頼むッスか〜?」 「…そうだな。そんなに腹は減ってないのだよ…」 「なら一緒にポテト食べない?あとドリンクバー。あ、俺このモンブランも頼んじゃうッス」 くるくるとよく変わる表情。目まぐるしく忙しい。 それはなんというか。 「すいませーん!!」 店員を呼ぶ黄瀬を見ながら、ぼそりと呟く。 「…お前は犬みたいなのだよ。騒がしい」 「えっ!?ちょ、なんスかそれ!ひでー」 言いながらも気にした素振りは見せない。 軽薄だが、受け流すことに長けている。 注目もさくさくと済ませてしまった。店員は黄瀬をぽぅ…と見詰めていた。 「お前を見ていたな」 「え?あー、店員さんのことッスか?」 「ああ」 取り分け気にした様子もなく、黄瀬は手を振る。 「見た目だけ好かれたって、嬉しくないッスから」 それは明るい金の髪や、くだけた口調に反して、しっかりした意見だった。 「黄瀬。お前はどうしてバスケットをしている?」 唐突に口にしていた。 尋ねるつもりはなかったのだが、思わず口をついて出た、という感じだ。 きょとん、とした表情の黄瀬はうーん…と唸る。 なんでだとかどうしてだとかは、問われない。 そういったところは、緑間は嫌いではなかった。 「…楽しい、から?」 「なんで首を傾げる。」 「いや、楽しいのはまぁ昔から楽しかったんスけど…。難しいッスね、最近はちょっと違ってて…」 目を細めて、無意識なのだろう人差し指で髪の毛をくるくると巻く。 やはり伊達にモデルはやってはいない。 様になっていた。 「…きょーりょく、とか。中学ん時は無縁だったじゃないスか。今はちがくて、こう…餓鬼みたいだけど、みんなとプレーするのが、楽しい…」 「なにか違うのか?」 「違うッスよ!!ぜんぜん!勝つためってのはあるッスけど、練習して上手くなって、その喜びをみんなで味わうんス。おんなじように。それは、」 世界が変わって見える。 黄瀬はそう言った。 喜び。楽しさ。 緑間はバスケにそういったものを求めていないし、求めたこともない。 「お待たせいたしました」 考えている間に、ポテトが運ばれてきた。 「あ、きちゃった。緑間っちドリンクバー取りに行かないとッスよ!」 先ほどまでの真剣味を帯びた顔付きはどこへやら、にっこり愛くるしく笑った黄瀬に、思わず苦笑した。 「勝利に差はあるか。」 そう尋ねた緑間に、高尾は不思議そうな顔はすれど、問い質したりはしなかった。まったく、誰かに似ていると思ったら。 「そーだなぁ。まあ点数差とかあると、余裕だったなあとかぎりぎりだったなあとかは思うかな」 それは緑間が知りたいものとは異なっていた。 高尾も承知の上だったらしい、まだ口は閉じない。 「…あとは、一人で戦うか皆で戦うか、とか」 「…作戦の違いか?」 「ざっくり言ったらね。例えばパスを回して回してなんとかゴールを奪ったりとかさぁ。がんがん攻撃ばっかしたり、はたまたエース様頼みだったり、な」 「…嫌味なのだよ」 「違うのだよ」 「真似をするな。」 むっとすれば、高尾は軽くごめんごめんなどと軽く手を上げた。 「自販機あったらおしるこ奢るからさ」 「…この先の角にある」 「うお、おしるこ有り自販機の在処はもう把握済みってか。流石真ちゃん」 本当に我ながら高尾はコントロールするのが上手い、と半ば関心すらする。 「…俺は、」 「ん」 「勝ちに差など無いと思っていたのだよ。敗けたのは、俺自身の力が及ばなかったから。…どのような試合のあり方が正しいのかなど、俺には分からない。」 だけれども。 宮地も黄瀬も高尾も、同じようなことを言う。 いつになったら、明確に分かるようになる? 押し黙った緑間を見て、高尾は唇を緩めた。 「すげーなあ…」 「何がなのだよ」 「お前がそんな風に思うなんて。雨でも降るのか」 おどけたように肩を竦める。眉を寄せた。 「何が言いたい。」 「前までの真ちゃんなら、そんなこと考えたりしなかったんじゃねぇの?」 「……。」 反論はなかった。 以前なら誰に何を言われようが、信念を曲げたり、考え込んだりするなど微塵もあり得なかった。 だが今はどうだろう。 さとされ励まされるように、緑間を包む言葉たちはひどく優しかった。 そうしていつの間にか、心を支配する。 「…愛されてんねっ」 「は?」 「真ちゃんってさ」 久しぶりの練習試合だった。今日は暑さもそれほどではなく、いかにも日和、と使いたくなる陽気。 いつの如くおは朝は見た。人事は尽くした。 あとは天命を待つ。 試合が始まった。 「っ、宮地さん!!」 序盤から緑間は徹底したガードをされていた。 ボールは自然と緑間に上手く回らなくなる。 3Pを撃つには、些かリスクが多すぎた。 高尾は上手くパスを回すが、やはり緑間が居なければ点差は広がらない。 ふと厳しいマークをされながら、宮地の言葉を思い出した。ベンチを見る。 いつぞやか、愚痴を言っていた二年生たちの姿がベンチにはあった。 「行けー!」「高尾ォ」 などと叫んでいる。 彼らはあれから練習を一度も休まなかった。 ただ、ふと零れた愚痴だった、のだろう。 自分がやらないことは、理解出来なかっただけだ。 今の彼らには、沸き上がる感情の理由が分からない。 「ナイッシュー!」 一際大きな掛け声。 今、一丸となって目指しているものとは。 どんな形であろうが、いま、自分たちは。 自分、は。 3Pを封じられて、あぁ、とすら思う。 無理矢理なら撃てる。 フェイクでも使えば、ドリブルで抜けば。 だが、それは? 黄瀬の言葉を思い出す。 協力。 そんなものは、小学生ではないのだからと馬鹿にしていた節すらある。 たが今、皆は緑間に撃たせようと隙を伺っている。 それを傍観する、自分。 当たり前?否。 高尾の言葉を思い出す。 一人で戦う。 今、自分以外は一つだ。 そうしたら。それならば。 「……。」 答えは見えていた。 はじめから。 気付かないふりを、していただけではないか。 恐れていたからだ。 「真ちゃん?」 不意に高尾が駆け寄ってきた。視線が絡み。 「大丈夫、すぐにボール回せるようにすっからさ。大坪さんが攻めてくれてるし、これから引き離すぞ」 どうして、そんな。 口にはしなかった。 だが高尾には、伝わったのだろうか。 「仲間、だろ?」 にひ、と彼らしく笑い、肩を数回叩くと高尾はまた走り出す。 嗚呼、ああ。 ひとつ息を吐いた。 …覚えているさ。 ぐ、と足に力を入れた。 緑間はゴールから離れた場所からのシュートを、極めていた。 だから内側に斬り込み、ゴールを争うことなど、滅多にしない。でも。 そのまま加速した。 敵が周章てたのが分かる。振り切る。 宮地がボールを高尾に回していた。 にやりと目が笑う。 緑間は進んだ。 「っ、しん、ちゃん!!」 声とともに鋭いパス。 「いけぇ!!ブチ込め!!」 宮地らしい。 ボールをしっかり掴む。 跳、べ! ゴールにボールを力強く、叩き込んだ。 一瞬の静寂。 なれていなかったから、着地でよろめいた。 ボールが床を転がる。 そして。 …歓声。 と同時に、背後から誰かにどやされた。息を呑む。 「どうしたんだ緑間。ナイスダンクだったが」 大坪が目を見張り、 「すっげえなお前」 木村は誉める。 どやした本人、宮地は、 「どしたん、お得意3Pは封印ですかあ?」 「…状況を見て、判断したまでです。」 「はぁん。てか緑間お前、あそこでダンクとかまじなんなん?出来すぎうける」 そんな宮地を振り返り。 「ダンクなど、身長があれば誰でも出来ます。」 本心であった。 緑間は二メートル近くもあるのだから、道理だ。 それが伝わったのか、 「かっわいくねえやつー」 などと頭をもみくちゃにされた。 ふと気が付く。 高尾がこちらを見ている。手は、届かない。 瞠目して、どうしてだか泣きそうであった。 「なんなのだよ、その腑抜けた面は。」 「しんちゃ…、いま、いまわらって…!」 高尾は必死に口をぱくぱくさせていた。 宮地たちは笑う。 「なーん、高尾のがかわいいじゃんかー」 「……。」 緑間は近付いてくる高尾から目を逸らさず告げた。 「覚えているのだよ。」 「え…?」 「はじめて、シュートを決めた瞬間を。」 「あっ…。い、つ?」 あのときのやり取りを思い出したのか、無理にはにかみ高尾は言う。 ゆっくりと。 「…今だ。」 「い、ま…?」 「ああ。俺が、はじめて決めたシュートは今だ」 忘れない。 忘れられない。 誰かを想い。 誰かのために。 勝つために。 自分のために。 「っ、かっこいいじゃんかよぉ、くっそぉ…」 くしゃり、顔を歪めた高尾に緑間は目を細めた。 はじめて見たシュート。 忘れもしない。 有り得ない長距離と高さを持ち合わせたボールは、乱れない弾道を描き、ゴールに吸い込まれた。 綺麗だった。 音もない。 鳥肌がたった。 こいつとプレーが出来る。いや、したい。 撃った本人は当たり前だとでも言うように、淡々としていた。 ―君と、一緒にバスケがしたい。 その欲求はむくむく膨れ上がった。 ひとりではない、あの仏頂面に華やかな笑みを咲き誇らせてみたい。 そして、勝つ。 なんとも甘い誘惑で、魅力的なことに思えた。 一歩、踏み出す。 「なぁ、俺、高尾和成ってんだけどさぁ…、」 end 「好きだよ真ちゃん。」 一緒に戦って喜んで哀しんで笑う、君が。 いつか、伝えられるだろうか。 |