Hey,look. this is my love 【前編】


すっかり暗くなった夜道を足早に歩く。時折吹く風は容赦なく緑間の体温を奪っていった。まだ12月に入ったばかりだというのに、今日の気温は1月並みだと天気予報で伝えていた。
道理で薄手のコート一枚では寒いわけだ。首を竦めるようにして、更に歩を早める。あまり人気の無い道だからか、履いているブーツが武骨な音を立てた。
緑間は今年で30になった。世間的にも男として成熟した働き盛りで、結婚など視野に入れる時期でもある。だが緑間にはそんな予定も相手も居なかった。
大学は国文学科に入学し、在学中に作家としてデビューした。だがその時賞を受賞して以来、目立ったヒット作はない。
だがだらだらと惰性のように、書くことしか知らぬ緑間は書き続けてきた。
そうして何とかありもしない才能があるのだとしがみついて、誤魔化しながら毎日を暮らしている。
必要最低限以外でほとんど外出しない緑間がどうしてこんな寒空の下風を切っているかというと、それは高校時代まで遡る。
これもまた惰性のように続けていたバスケを通じて、高尾という男に出会った。気さくでよく笑う、賑やかな男だった。
三年間を通して高尾は緑間の一番近くに居て、バスケをし勉学をしたまに遊び、他愛ない話をしたものだ。昔から人付き合いは苦手で諦めているが、高尾だけは面倒がらず難儀な緑間の性格に付き合ってくれた。
大学は別々になり、それ以来だんだんと疎遠になった仲である。
彼が結婚したのは25の時だ。若かった。
招待状が届いたが、緑間は出席しなかった。
真ちゃんが来てくんないと寂しいよ〜なんてメールをもらったがそんなのはただの形式的な返事に過ぎない。別に緑間が行こうが行くまいが、何も影響などないのだから。本当は祝福しに行くことは出来た。仕事なんて嘘だ。締め切り前なんだとぼやいたのは建前で、融通などいくらでもきいた。断ったのを、行きたくない理由を正当化してこじつけたかっただけだ。
一番最近会ったのは確か二年だか三年前。
高尾と奥さんの間に子供が出来たのを、見に行った。建てたばかりのマイホームはぴかぴかで、上がるのすら躊躇われたものだ。
生まれたばかりの女の子は人形のようで、高尾はだらしない顔をしていた。
可愛いだろなあ真ちゃん、なんて親バカになったものだと鼻で笑った。上手く笑えていたろうか。
あの子も見ないうちにだいぶ成長しただろう。
だが今日の目当ては、その女の子に出来た弟を見るためだ。また呼ばれた。
10月あたりだったかに生まれたらしい。
高尾はいちいち自慢したいがために疎遠になった者をわざわざ呼び出す。よほどの親バカでしかない。
あの家に行くのは苦しい。幸せな家庭は眩しかった。嫉妬ではない、自分には目を向けることすら叶わないようなきらびやかなものに思えたからだ。
作家としての悪癖か、つらつら物事を考えているうちに高尾の自宅の前へと着いてしまった。立派な一軒家だ、30にしてはしっかり稼いでいる。
また一段と強い風が吹き、肩をすぼめながらゆっくりインターホンを押した。
間抜けな音が響く。

『はいはーい!』

返事こそ、最も間抜けなものだったかもしれない。
相変わらずの軽快で快活な声音に緑間は何とも言えぬ気分になりながら、

「…緑間です。」

と一拍置いて答えた。

『うっは、真ちゃん!真ちゃんだ!!めっちゃ久しぶりに声聞いたなぁ、なつい、めっちゃなつい!!』

笑い上戸で口調が軽薄なのにも代わりはない。
仮にも二児の父ならば、もう少し言葉遣いには気をつけた方が良いなどと思うのは作家の悪癖か。
「…寒いのだよ。」
放っておいたらいつまでも話していそうな高尾に、そう一言告げる。
すればたちどころに、

『あっ、だよなわりぃ今すぐ開けっから待ってて』

がちゃんばたばたばたがんっざざっかちゃかちゃり。

「ひっさしぶり真ちゃんいらっしゃい!!」

一連の動作をマッハでそしてノンブレスで歓迎した高尾はやはり笑顔だった。
つり目がちな瞳を細めて、愉快そうに。懐かしいな、と素直に感じた。歳を取ったのだろうか自分は。

「久しぶり、高尾。」

「てか真ちゃん薄着じゃね?それじゃ寒かったっしょ待たせてわりぃな入って上がってママー真ちゃん来たよーう!!」

本当に騒がしい男だ。
一秒たりとも落ち着かぬ、だがそれがあまりに高尾らしかった。
ぱたぱたと足音が響き、玄関に入った緑間の前に、高尾と女性がひとり。

「お久しぶりです。緑間さん、今晩は」

「今晩は。」

高尾の妻の由紀子だ。
顔立ちの整ったすらっとしたやせ形の美人だ。いかにも高尾好みである。

「つまらないものですが」

と土産を差し出す。何がいいかなんて分からないし知らないから適当にクッキーを買ってきた。

「うあ、真ちゃんこれたっかいやつじゃんわざわざ買ってくれたの?」

「そうなのか?よくわからない、店の人に聞いて用意してもらったからな。」

「値段見たあ?」

「買えない値段では無かったのだから高くない」

自分の所持金が余るほどの価格だったのだから、さほど高くはないのだ。
靴を脱いで屈んでいれば、高尾がばしばしと背中を叩いてきた。痛い。

「もうホンット真ちゃんて昔から変わんねぇよなぁ、ぶれないしさあ。やっぱサイコーだよ真ちゃんは!」

なにが楽しいのか理解しかねるが、高尾はゲラゲラと笑っていた。緑間はくすりとも可笑しくない。

「てか真ちゃん独身だからこれ高くないって思えんのよ。妻帯者プラス子持ちは大変よー、なんでもかんでも贅沢禁止なんだから」

「そう思うなら禁酒禁煙して欲しいわよ。」

ぼやいたのは由紀子だ。
話を黙って聞いていたかと思えば鋭い指摘。高尾ははっきりした人間が好きだ。ならば今の自分は対極に居るような気すらする。

「えー、唯一の娯楽を取り上げないでよママ〜」

「子供に悪影響がない程度なら許します」

「ひでー」

なんてなかむつまじい夫婦だ。緑間は目を伏せた。

「あ、わりーねお客様に立ち話なんかさせちゃって。ほらどーぞお」

高尾に案内されてリビングに入る。生活感があり物が多く感じた。緑間は独り暮らしだからかもしれない。物もほとんど無いから。

「散らかっちゃっててすみません、急に緑間さん呼ぶって言うものだから…」

恥ずかしがるように由紀子はそう言い訳した。
緑間としては何も気にならなかったため「平気です。」とだけ応じた。

「んー、ユウちゃんどこかな?ユウちゃん〜」

ユウちゃんとは高尾の愛娘だったはずだ。緑間が会ったのは生後間もない頃。

「はぁい!」

元気の良い返事はソファーの向こうからで暫くしてとてとてと女の子が歩いてきた。小さい。幼い。
見慣れないものだ。

「…高尾、名前はなんと言った。」

「やだ真ちゃん忘れちゃったの!?和成だよ和成〜」

「くだらん冗談はよせ。この子の名前なのだよ。」

「ふはっ、連れないのも変わんない。懐かしいー。ユウちゃんは優しいに香るで優香っていいますー」

「ゆーかです!」

溌剌とした印象を受ける女の子はやはりはきはきとそう緑間に自己紹介した。
大きな瞳はくりくりしていたが、僅かつり気味だ。
高尾に似たのだろうか。

「…緑間真太郎なのだよ」

緑間には生憎目線を合わせてやるだとか口調や表情を柔らかくしてやるといった感性があまりない。
ため仁王立ちで見下ろしたままいつものトーンで淡々とそう返した。横で高尾が

「ぶははは、子供相手にめっちゃ高圧的!!」

などと腹を抱えていた。無視する。

「……」

「……。」

じいっとこちらを見詰めてくる優香に、緑間も視線を反らせなかった。
何故だか柔らかいながらもどこか鋭さを秘めた瞳が、高尾にそっくりで、それからは逃れられないような。

「…すき」

「…」

「はぇ?」

間抜けな声を漏らしたのは高尾で、緑間は黙ったままだった。ただ驚き過ぎて言葉を紡げなかっただけだが。優香は確かに、好きと言った。しかも緑間に。
なにがだどうしてだと考えるより先に、悪趣味だと思った。自分で言うのもなんだが。見るめが無い、生来ろくな男に引っ掛からないであろう行き先不安だ。

「ゆ、ユウちゃん?」

「おにーちゃ、すきー」

またもや近づいてきた優香は、ひしっと緑間の足に抱き付いてきた。しがみつくという表現の方が正しいのかもしれないが。

「…。」

「おにーちゃ、にーに、」

優香は何が楽しいのかけたけた笑いながらじゃれついた。緑間は無言である。

「…、おい高尾」

「…はい。」

「笑いたいなら笑え。」

「ぶははははは!!」

震えて耐えていた高尾は呆気なく噴き出した。ある意味素直なやつだ。

「ぶは、あはは、うけるまじうける…!まじさすが俺の娘見る目あるわてか子供にまでモテモテな真ちゃんやっぱりすげー」

ひいひい腹を抱える高尾は笑い上戸である。
うるさいので聞かないことにして優香を見る。

「…その気持ちは嬉しいのだが、答えることは出来ないのだよ。」

「ぎゃははマジレス!!」

「なんでー?しんちゃ、なんでだめー?」

いつの間にかお兄ちゃんじゃなくて呼び方が真ちゃんになっていた。素早い。
流石高尾の血を引くな。

「歳が離れ過ぎている。君はまだ未来があるのだから、もっと好い人が現れると思うのだよ」

「ゆうちゃ、わかんないー。パパどうゆう意味?」

「生々しいな!てか真ちゃんそれガチかよ?」

まだ爆笑中だ。緑間は素知らぬふり。

「ねーねー!」

「うーん大人になったら、きっと分かるよ」

高尾は適当に返した。

「むずかしかったのか。子供相手には勝手がよく分からないのだよ。」

「なのだよ〜?」

小首を傾げる優香。
高尾はまだ笑ってそれを見ていたが、すぐに小さな声で付け足す。緑間に聞こえないように呟いたのだろうが、耳に入ってしまった。

「…ユウちゃんに真ちゃんは渡せねーよなぁ…」

「ユウちゃん〜、お手伝いしてー!」

由紀子はリビングで家事をしていた。たぶん料理だろう優香を呼ぶ。
はぁいと態度と身を翻して優香は行ってしまった。










それから鍋を囲んだ。
由紀子は料理があまり得意ではないからと謙遜して、鍋にしたようだ。緑間は自炊すら出来ない。家事もあまり出来ない。出来るのはバスケと文字書き位だ。
高尾は相変わらずよく喋り笑い、優香もよく似て楽しげに笑い拙い言葉を紡いだ。緑間は相槌ばかり打った。由紀子は静かだった。

「真ちゃんビール飲む?」

「のむー?」

二人の重なった声音が問い掛けてくる。

「いや、」

「え、なんで飲まないん?もう用意しちゃった」

缶ビールを両手に持った高尾がそう言う。気が早い。というか皆、目的を忘れているのではないか。

「高尾、俺はまだ息子さんを見せてもらっていないのだよ。そのために来たんだろう?」

「あやべそうだった」

うっかりー、なんて高尾は笑いながら立ち上がり、緑間の手を引く。優香は由紀子の膝に居たが、ゆうちゃんも行くと動き出す。

「優香は待ってなさい。」

由紀子はいやに硬質な声で、そうとだけ呟いた。
部屋は同じ一階にあるようで、そこへ向かう。
どうやらかなり大人しくてあまり手がかからないのだそうだ。確かに由紀子も様子を見てはいるが、静かにしているように思えた。

「ユウちゃん時は夜泣きとか激しいしすっげ手ぇかかったんだけどねー」

「名前は何と言うんだ?」

「んーとね、」

ドアを開けながら高尾は答える。部屋は真っ暗だ。殊更ゆっくりと口を開く。

「カズマっていうの。」

「どういう字を書くんだ?」

「平和の和に、真実の真」

「そういう意味なのか」

「ふふ、うんまぁね。」

笑った高尾は、中へ入る。緑間も続いた。ドアは閉まる。電気は付かない。スイッチが分からなかった。

「暗いのだよ。」

光は窓の外からちらつく僅かな街灯のみ。

「電気をつけろ、高尾」

「…」

「高尾?」

高尾はだまっていた。暗くて表情が見えない。だが彼が静かなことほど奇妙なものはなく、不可思議に思いながら肩に触れた。

「…どうかしたのか?」

「ホントはね。」

「そういう意味で、つけたんじゃあないんだよ。」

「…?ああ、そうなのか」

名前のことを掘り起こされていると合点がゆく。
頷いたが、ならばどういった由来があるのか。今時の若い両親らしくフィーリングや文字のバランスや流行りでつけたのだろうか。
まあ緑間に子供は居ないし、小説を書くときもキャラクターの名前にこだわりなど別段ない。だから仕方ないのかもしれなかった。

「でもちゃぁんと、理由はあるんだよ?」

「何なのだよ」

尋ねた瞬間に、痛いくらいの力で腕を掴まれた。

「っ、いた…」

「和成の和に、真太郎の真。それで和真だ」

ぐ、と額が触れそうなほどに顔を近付けられる。
漸く表情を認識出来た。ぎらつく瞳を捉える。
まるで見たことがない表情、目付きだ。バスケをしている時だって、こんな鋭い目はしていなかった。
なにが、なにを。
思わず息を飲んで、無意識に顎を引く。だが高尾は許さないとでも言うように、緑間の頬を両手で抱き込んで見せた。優しい手付きだが、有無を言わさず逃げるなと告げる。
心中脳裏に煌めいたのは、純粋な恐怖だ。

「お前と、俺の名前から取ったんだよ」

「っ、」

「素敵な名前だろ?男の子が生まれたらぜったいつけようと思ってた。」

話す高尾はどこかうっとりとしているようだった。反対に緑間は背筋がぞくりと粟立つようで。寒いはずなのに冷や汗が流れる。

「真ちゃんと、俺の子供みたいじゃない…?」

高尾は猟奇的に慈愛に満ちた顔で、微笑んだ。








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