おつきさまは真実しかくれない


「にひゃく」

緑間は小さく呟いて、満足げにゴールを見詰めた。
本数を数えながらシュートを撃つのは、最早毎日の習慣になりつつある。
その下には、ボールが四方八方に散らばっている。
ちらりと時刻を見るとまだ八時であった。いつもより些か早い。

「緑間ァ、終わったん?」

不意に背後から声がかかる。その問いに頷いた。

「はい、たった今ノルマ分終わりました。」

「今日は何本だ?」

「二百です」

「昨日より少ねんだな」

半面を使い自主練習をしていた宮地は、こちらに向かってくる。

「昨日はあまり調子が良くなかったので、多くしたんです。」

「そうかあ?今日と変わんなかったろ」

「分からないならいいです。俺は不調だと思って、調整したまでですから」

とボールを拾いながら淡々と答えると、宮地も同じようにボールを抱えて、

「かっわいくねぇの」

と呟いた。

「男バスの後輩が可愛いなんてことあるんですかね」

「そーゆう可愛さじゃねーよ。高尾とか可愛いぜ?からかいがいがあるもんだ」

しょっちゅう宮地に舌鋒戦で負かされている高尾が脳裏を過った。

「てか、今日高尾は?」

「見たいテレビがあるからと帰りました」

「んだその理由は」

ふっと宮地が笑う。
ふと思い浮かんだ言葉が、口から滑り落ちた。

「高尾が居たほうが、良いですか。」

「は?」

一瞬意味が分からなかったようで、宮地はボールを拾う手を止めた。
こちらを怪訝そうな二重の瞳が伺ってくる。

「誰がんなこと言ったよ」

「いえ、言ってませんが…。文脈からして、そうなのかな、と…」

緑間はボールを篭に入れながら、口ごもった。
はぁ、とため息を吐いた宮地は緑間に馬鹿か吐き捨て、と首を竦める。

「なんで俺が高尾に居てもらいてぇんだよ、きめぇ」

「…そうですか」

「そうだ。」

粗方片付け終わったので、宮地に礼を言う。

「有難うございました」

「ん。鍵締めっから、さっさと体育館出ろよ」

「俺が締めます」

「なんでだよ」

「宮地さんは、俺が終わるのを待ってくれていたんでしょう?」

問いかければ、体育館の電気を消そうと歩き始めていた宮地が止まる。

「…なんでそうなんだよ」

と地を這うように低い声が追いかけてきた。

「なんでって…。終わったかと尋ねてきましたし、一緒にボールを片付けてくれました。鍵当番は宮地さんでしたが、
俺は居残ると知って声をかけてませんでしたし…。」

いつもなら鍵当番の部員から鍵を預かるのだ。
そして最後まで残っている緑間(高尾もよく一緒だが)が締めるのだ。
今日は宮地が当番で、でも一緒に居残っていたから良いかと思っていた。

「…自惚れんな。練習上がりがたまたまかぶっただけだろうが」

「…そうですか」

今のは自惚れだったか、と反省する。
篭を倉庫に仕舞っている間に、電気が消えた。
真っ暗だ。見えない。

「少し消すのが早いのだよ、先輩…」

ぼやきながら、なんとか倉庫から出る。
入り口が仄か明るい。
それを頼りに歩き出そうとしたら、腕を掴まれた。

「ひっ!」

「…んだよ。なにビビってんだよばぁか」

と耳慣れた宮地の暴言が左耳から滑り込んできた。

「み、やじさ…」

「ふらふら歩いてんなよ危なっかしい。」

「…俺は、夜目があまりきかないんです」

「鳥目か」

「そこまでではない、ですが。あまり見えないです」

左腕をぐいぐい引かれながら、体育館を出る。
やっと目が正常に働く。
見れば、もう宮地は手を放し、戸締まりをしていた。

「お前、歩きか?」

「え、あ、はぁ…」

唐突だったので、間抜けな答え方になった。
宮地は気にした風もなく、ふぅんと頷く。
今日は高尾が先に帰ったので、リヤカーはない。

「乗っけてってやるよ」

「何にですか?」

「チャリ」

「誰の?」

「俺の。」

「何故?」

「…るっせえなあ、乗るのか乗らねえのか!!」

「の、乗るのだよ!!」

理由を聞いただけなのに怒鳴られて、反射的に返事をした。すれば宮地が満足そうに、笑った。

「それでよし。」

「…宮地さんは、数学は得意ですか」

こちらも幾分唐突だが、尋ねてみる。
更衣室へと向かいながら、宮地はああと答えた。

「俺は理系選択だ」

「じゃあ、少し分からないとこがあるので教えていただけますか」

「あー、いーけど。すぐ終わるか?」

「一問だけなので、手間は取らせません」

手早く着替えを済ませて、鞄から教科書とノート、筆記具を引っ張り出す。

「どこがわかんねえの」

「この問題です。」

指差したのは加法定理のまだ初歩であった。

「あん?これって一年の内容だったか?」

「いえ、二年生です」

「んでやってんだよ」

「予習です」

「あっそ…」

僅かばかり眉を上げた宮地は、ノートを見詰める。

「んー、この問いの四番が解けねぇのか」

「はい。」

「単純に公式ミスって覚えてんじゃね?sinαcosβ−cosαsinβだろ、これ」

「…あぁ、確かに」

「αとβにこの与えられた数字を当て嵌めりゃあ、」

「解けました、」

「だろ?」

得意気な表情に、緑間は感心する。

「宮地さんは、意外に頭が良いんですね。見てすぐに間違いに気付くなんて」

「意外ってなんだこら」

「本心を言ったまでです」

と素直に口にしたら、頬をつねられた。

「いひゃいのらよ!」

「うっせー可愛くない口には仕置きだ」

「も、いーまひぇん!」

宣言すれば、漸く手を放してもらえた。つねられた所がひりひりする。

「乱暴なのだよ…」

「何か言ったかぁ?」

「有難うございました!」

笑顔の宮地に、速攻で緑間は感謝を述べる。

「素直で宜しい。質問はそんだけか?」

「古典ならありますが」

「パス。理系つったろ、喧嘩売ってんのか」

「…だから聞かなかったんです。」

鞄に教科書たちを仕舞いながら、ロッカーを締める。

「行くぞ」

「はい。」

連れだって、外へ出る。
もう真っ暗だ。ただ、今日は満月であり、その明るさで幾分見通しが良い。

「おー真ん丸お月さん」

「兎は見えますか」

「からかってんなよお前」

小突かれて、小さく笑う。すれば、珍しいものでも見たかのように僅か瞠目した宮地が目を瞬く。

「なんですか?」

「お前も笑うのな」

「人をなんだと!」

「いや、笑ってんの高尾の前でしか見たことなかったからよ…。」

酷い言われようである。
まるで緑間が感情がない人間のようではないか。
別段笑わないわけではない。笑いが表情に直結しずらく些か口下手で、ツボが深かったり他者と異なるだけ、である。

「別に俺は笑わないなんてことないです。面白かったら笑います」

「今面白かったか?」

「はい。高尾の前で笑うのは、ただ居る時間が長いので確率的に。」

「…確率的に笑うのが多くなるだけ、ってか?」

「はい」

「ぶはっ、なんだそりゃ」

宮地は小刻みに肩を震わせる。どこが可笑しいか分からず首を傾げる。

「可笑しいですか」

「可笑しいわ!まじお前ウケるなあ」

「初めて言われます。」

「いーや、高尾も言ってたぜ?俺も今理解したわー」

「高尾め…」

快活な笑みを忌々しく思い出す。明日問い詰める。

「てかお前損だよなぁ」

「え?」

「仏頂面振り撒いてるから、周りも敬遠しがちじゃねーか。知ってんだろ?」

「俺は俺なので生き方は変えられません」

もっと上手く立ち振舞えば楽なのだろう。
でも緑間は不器用だし、何より性に合わないから取り繕うことはしない。
こういった所が変わっていると言われる所以か。

「そんな大仰なもんかね。…ほら、乗れよ」

駐輪場に着き、自転車の鍵を開けた宮地はサドルに股がり緑間を促す。

「…どう?」

「どう?普通に乗れよ」

「はあ…。初めてなもので、勝手が…。」

「二ケツしたことねーのかよお前!」

「犯罪ですよ」

「ぶっは!!」

またツボだったらしく宮地は爆笑し出す。

「おま、いつも、リヤカー、なんなん、」

「あれは二ケツじゃありませんセーフです。」

「あう、アウトだろ…!」

「…アウト寄りのセーフです。…たぶん」

「セウト…!ぶはは、」

ハンドルのあたりに突っ伏して一頻り楽しんでから、宮地は顔を上げた。
笑いすぎたのか、目尻に涙が浮かんですらいる。

「そんなに笑いますか」

「おもしれーもん」

「高尾が言ってたんです!俺じゃないのだよ…」

「はいはい」

自転車に股がるが、なんだか居心地悪い。

「動くなよー」

「痛いです」

「我慢しろや」

などと言い合いながら、自転車は走り出す。

「家、こっちですか」

「お前ちと同じ方向」

「俺の家をご存知で?」

「俺いっつも緑間家の前通って学校来んもん」

「そうなんですか」

はじめて知った。
いつか見かけるやもしれないな、と考える。

「てか掴まっとけよ?」

「あ、はい」

「荷台あぶねーから、肩にでも」

「…はい」

広い背中だ。自分より、幾分がっしりしている。

「…そういや高尾がよ、」

「せんぱいは、」

「ん?」

宮地が振り返らないのを良いことに、少しだけ身体を近付けた。

「高尾の話ばかり、しますね…」

「そうか?」

「はい。…名前も呼ぶし」

「名前くらい呼ぶだろ」

「俺は呼ばれてませんっ」

「呼んでるって」

「お前としか言わないです、宮地さんは。」

ああ、そうか。と納得したような緑間。
僅か唇を尖らせた。
見られてないから、分からないからいいだろう。

「拗ねんなって緑間。」

「っ!!」

「満足か?」

可笑しそうな宮地の声。
からかっている。
すぐにわかった。

「…はい。」

ふて腐れながら、小さく小さく返事をする。

宮地はまた肩を震わせた。

「…宮地さんは、鈍いのだよ…。」

「なんか言ったか?」

「なにも。」

それから黙る。二人で居るのに、高尾の話ばかり、しないでもらいたい。
言わない、けれど。

「つーか、緑間だって高尾の話よくしてんぜ?」

「…本当ですか。」

それに関しては純粋に驚きだ。まあ1日の大半を一緒に過ごしていたら、話す出来事出来事に彼が登場しても可笑しくはない。
仕方ないだろう。

「そーだよ、無意識か?高尾高尾って。」

「そんなつもりは…」

「お前の口から高尾って聞くと、なんかもやるんだよなぁ。なんでだ轢きてぇ」

ぽつり、と独り言みたいに彼は呟いた。
緑間は目を見開いてから、優しく口元を緩める。
気付かない、はず。

「なーに、笑ってんだよ緑間ァ!」

「ふ、なんでもないです」答えながらも、笑みを隠すことは出来ない。

案外宮地は緑間を気にしているのかも、しれない。

「宮地さん、」

「あー?」

「月が、綺麗ですね」

「今ちょっと雲かぶってきちまったぞー」

「…宮地さんはやっぱり国語をもう少し勉強したほうが良いですね」

「その喧嘩買ってやろうか、あぁ?」

二人が乗った自転車は、よたよたとどこか頼りなくゆっくり、でも確かに進んでいった。

fin



title 不眠症のラベンダー

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