かなわないものなんて。 「努力してもかなわないものがあるんだ。」 氷室が呟いたその言葉には、重みがあった。 それを聞いて目を細めながら、緑間は叶わないか敵わないなのかを考える。 「君も、そちら側の人間だから、分からないだろう?俺のこんな気持ちなど」 まるで自嘲するみたいに笑った氷室から目を逸らす。 「分からないのだよ。」 「やっぱりね、」 「そうして簡単に諦めてしまう気持ちが分からない」 そう続ければ、氷室は黙り込んだ。瞠目したかのように瞬きを繰り返す。 それには構わず、緑間はまだ言葉を続ける。 「貴方はキセキの世代として俺を括っていますか?」 「…ああ、そうだね」 「それを拒んだり否定したりはしませんが、あくまで過去の話です。そして、俺は他の奴らとはちがう」 それは誇りでも何でも無い。だだの事実だ。 自分が秀でているのではない、劣っているという。 気が付きたくもなくて、目を伏せたくて、突き付けられて、受け止めざるを得なくなった。 「青峰には天性の運動神経の良さと、センスがあった。紫原は恵まれた体格を持ち、赤司は誰をも封じる瞳を持ち合わせた。黄瀬は模倣が出来る。だが俺はどうだ?何かを格別恵まれて持っている訳でもなく、秀でていることもない。」 その事実を突き付けられ、どれだけ焦り、苛立ち、絶望しただろうか。 「だが、俺はバスケがしたかった。やりたかった。皆について行きたかった。だから、努力をした。」 氷室は黙っていた。 相槌すら打たない。だがそんなことには構わずに、漫然と言葉を紡ぐ。 一度話し出したら、止まらなかった。こんな、誰にもしたことのない。 「天才と肩を並べるために凡庸とした人間に残された手立ては、努力しかない」 「分かってる…!だからこそ、俺は練習を積んだ。どれほど羨もうが、自分は自分でしか有り得ない。だから己を追い込み、磨いた。でも、どうだ?追い付かない、追い付けないじゃあないか。差は広がる一方で、縮まりやしない。勝てない、勝てないんだ」 血を吐くような、そんな告白だった。 俯く彼の華奢な首筋を見詰める。綺麗な筋肉の張りが隆起している。 努力を怠らない、そんな人間の身体だった。 「俺は諦めない。」 緑間はそう溢した。 キセキと呼ばれようが、まだ満足はいかない。 あの化け物たちに、追い付いたとは思わない。 いつだっていまだってまだ、背中を見つめている。 追い掛けている。 往生際悪く足掻いて足掻いて、まだまだと。 「俺はまだ人事を尽くし切れていないのだよ。だからまだ、これから毎日シュートを撃ち続ける。」 更なる高みへと。 突き進むために。 「…そんな、…君は、天才じゃないか。」 天才。 自分では分からない。 だがそれはあくまで中学までの話だ。 「真ちゃんは天才なんかじゃないのだよっ」 不意に、軽快な声音。 振り返ると、にこやかな表情の高尾がひょこんと首を傾げていた。 「今日遊びに行こうって約束してたっしょお真ちゃんたら。一時に迎えに行ったら、ストバスしに行ったなんて言われて吃驚したよ」 相変わらずよく喋る男だ。氷室は合点がいったように、ああ、と頷いた。 「チームメイトかい」 「そうだ」 「陽泉のシューティングガードの氷室さんですよね?ちわ、高尾です」 剽軽に頭を下げる。 「…あ、そうそうさっきの話だけど、」 思い出したように、高尾は人差し指をくるり。 「うちの緑間は努力家なんで。吐くくらいの合宿中ですら自主練止めねぇし、走り込みだって筋トレだって、人の倍、やってんだ」 「…知っていたのか?」 「みんなと同じスピードの癖に、倍やってたらわかるっしょ。一番近くにいんだよ、俺がさ」 苦笑混じりに高尾は言う。 「だから俺も二倍。」 「は?」 「真ちゃんだけ遠いとこ行かれても困っちゃうからね。俺だって同じ土俵で対等にやりてーのよ」 そのための練習は、惜しまねぇんだあ。 と朗らかに彼は笑った。 初耳だったが、実に高尾らしいと言えよう。 氷室は暫し黙り、手にしていたバスケットボールを弄っていたが、不意に、顔をこちらへ向けた。 「…ばかみたいだ」 「ひっでぇすね。優しい顔して毒舌〜」 吐き捨てたような言葉に、高尾はそう返す。 氷室はどこか苦々しそうでだがはたまたすっきりしていて、でもどうしてだか泣きそうな顔をしていた。 「…凄いよ、緑間君は」 「人事を尽くすまでだ」 「高尾君、きみもね。」 「え、まじすか?」 きょとんとした高尾の間抜け面に、緑間は口元を思わず緩めた。 「あ、真ちゃん笑った」 「…笑ってないのだよ」 「いやいやあ、笑ったよ、笑ったっしょ。ねえ見たすよねえ氷室さん」 「ああ確かに見たな」 「ほぉら、」 「ふん。」 緑間は眼鏡を押し上げながら、氷室を見る。 「天才にかなわないのならば、天才を上回る秀才になれば良いのだよ?」 「ぶっは真ちゃん流石!!痺れるぜ〜」 何やら高尾は爆笑していたが、氷室は神妙な顔付きをして、そうだねと言った。 「きっと俺が絶望しているのは、かなわないと諦めているからなんだね。まだ上へ行けると思えば、希望しか浮かばない」 「だろう。そうして努力を惜しまなければ、自ずと結果と答えは見える筈だ」 緑間は背を向けた。 「行くぞ、高尾。」 「えぇ何処にさ」 「図書館、」 「うん?」 「脇のバスケットコート」 「うは、真ちゃんまじさいこー。好きだわー」 「馬鹿め」 ひょこひょこ高尾が横へと並んで来る。 「有り難う。」 そんな柔らかな声が、背後から聞こえた気がした。 ちらり、見れば氷室の更に後方から、紫原の頭がちらちらしている。 あんな図体で草むらになど隠れられるものか。 「お迎え、来てんね」 「分かっていたのか」 「鷹の目舐めんなよぉ」 ふ、とまた口元が緩む。 「なーん、真ちゃんご機嫌さんだねえ」 「五月蝿いのだよ」 言いながら、きっと氷室は今よりもっともっと強くなると思えた。 そして自分も、高尾も、秀徳が強くなれるとも。 僅か、あの紫頭の大きな子供がどう氷室に声をかけるのか、気になりもしたが。 「なあ、俺といんのに他のやつのこと考えちゃ厭だぜ?真ちゃん」 「…分かっている。」 「っ、え、なにきゅうにデレんなよ!!」 顔を赤らめる高尾に、内心微笑んだ。 表情には出さないけれど。 「まだまだ、俺たちは強くなれる。」 「なれるともさ。」 (あ。) (どったの真ちゃん) (さっきいい忘れたのだよ。タイミングを逃した) (なぁに?) (真似をするのはよせ) (ぷふふ、はぁい) (室ちん、かえろーよお) (…) (おなかすいたし) (…) (疲れたしー) (…) (みんな、待ってるし…) (…) (室ちん…。) (ふふ、帰ろうか。敦。) おわり |