ないしょ。 「やっぱり青峰っちって凄いッスよね〜」 それは人気の無くなった体育館で、ふと溢した他愛ない言葉であった。 言った黄瀬はモップを手にしてはいたが、柄に顎を乗せた格好をしていた。 話し掛けた相手は、毎日毎日熱心に一番最後まで居残り練習をしている緑間。 彼は戯れ言には手厳しいが、何故だか今日はボールを持ち構えていたのを解いて、こちらをちらりと見た。 「…お前は青峰になりたいのか。」 「えっ?いや、なりたい訳じゃない、けど…」 まさか返事があるとは思わず、口ごもりながらも明確な否定を返す。 別段、青峰のプレーは凄いとは思うが、青峰自身になりたい訳ではない。 「羨ましいのか?」 「羨ましい…。うーん、憧れではあるッスけど…。羨ましい?とはちがくて…」 あまり上手く表現出来ないのが歯痒い。 緑間は急かす訳でもなく、ただ黙っていた。 「追い付きたい、とは思うッスよ。対等になりたい、みたいな…。」 「1on1で負けないくらいにか。」 「そうッス!最近やっと食らい付いていけるようになったばっかだし、もっともっと強くなって、青峰っちに勝ちたい、スね!」 考えただけでも、もうバスケがしたくなってきた。 今日も練習の後に何回か1on1をしたのだが、やはりゴールは奪えなかった。 目を輝かせる黄瀬に、緑間はきゅぅと目を細める。 「お前は、ほんとうにバスケが好きなのだな」 「当たり前じゃないッスか!青峰っちだって、みんなそうだと思うッスけど。緑間っちは違うの?」 眩しいものを見るかのように、僅か顔を背ける緑間に訪ねる。 「…どうだろうな」 「分かんないッスか?」 「ああ。バスケにそういったことを求めていないからな、俺は」 「じゃあ、勝ち負け?」 「…さあ」 はぐらかすように首を捻った彼は、手にしたボールを掴み直し、シュートモーションに入った。 相変わらず美しいフォームのまま、寸分違わない高い軌道を描き、音もなくリングをボールが潜り抜ける。 「ナイッシュー!!」 思わず叫べば、いつもと何ら変わらんと返される。 「ここのバスケ部は、みんな凄い人ばっかッスよ。緑間っちの3Pは簡単には真似出来ないもん」 「簡単には、か。ならば、練習を重ねればお前は俺の3Pも模倣出来るか?」 正 面からそのように尋ねられたことはあまり無かった。だがそこには嫌がる響きや、黄瀬を蔑ろにするような意味合いは含まれてはいない。 「あんま、コピーされんのが快いことじゃないってのは分かってるんスけど…。やっぱ、俺のバスケは、これだから…」 言い訳染みたことを口にすれば、緑間は違う、と僅か瞳を険しくした。 「俺は、お前のプレースタイルを否定しているつもりは毛頭無い。」 「あ…、そう、スか…」 そうきっぱりと言ってもらえたのは初めてで、何故だか安堵と遅れて歓喜がむくむくと沸き上がってきた。 「ありがとう…」 「礼を言われるようなことをした覚えはないのだよ」 ふん、と緑間は鼻を鳴らした。それは本当に意図せずだったことが表されているようであった。 そう言うようなところが無意識で、なんだか黄瀬にはとても好ましく思えた。 「緑間っちって、いい人ッスよね。」 「初めて言われたのだよ」 「そうなんスか?まあ最初は取っ付きにくい人かと思ったけど、喋ってみるとそうでもないってゆーか。ほんとは優しいじゃんか」 黄瀬は思ったことを口にしたまでだ。 だが緑間は心底驚いたように何回か瞬きを世話しなく繰り返す。 「黄瀬、お前は可笑しなことを言うな」 「へっ!?ぜんぜん普通じゃないッスかねえ」 「可笑しなことだ」 ボールをまた手にした緑間は、珍しく、ほんとうに珍しく口元を緩めた。 とても整ってうつくしい笑みに、見惚れてしまう。 「なにが、スかぁ…?」 ぼんやり聞けば、緑間はハーフラインからスリーポイントラインまで移動する。 「何がも何も、全てだ」 喉を鳴らすように軽快に、愉快そうに笑う。 そうして無理のないフォームでシュートを放った。 それはいつもの高い弾道の3Pではなく、ごく一般的なスリーである。 「え」 彼が普通のスリーを撃つのを見るのは初めてで、驚いてしまう。 そして更に驚いたのは、シュートの行方だった。 がこん、とらしくない音がしたかと思えば、ボールは縁に嫌われ床に落ちた。 緑間が外したのだ。 あの緑間が、スリーポイントを。まさか。 まさか、としか表現のしようがなかった。 瞠目する。何も言葉を紡ぐことが出来ない。 緑間がゆっくり振り返った。目が合う。 彼はまだ笑っていた。 「何ていう顔を、しているのだよ、黄瀬?」 「…だ、だって…!」 余裕な緑間と対照的に、黄瀬が何故だか焦る。 どうして外してしまったのか、普通のスリーだったのか。ただただ尋ねた。 「どうして、など…。俺がただのスリーを撃ったら可笑しいか?外すことがあったら駄目なのか?」 「え、あ、いや…」 責め立てるような質問に、たじたじとなる。 そんな黄瀬を、緑間は冗談なのだよ、といなした。 「…悪い、八つ当たりだ」 「八つ当たり、スか…?」 「ああ、そうだ」 俺は俺以外の何者にもなれないのだから。 言い聞かせるかのように、緑間はそう言った。 「どういう意味?」 「そのままの意味だ」 にべもない。もう彼は笑っていなかった。 またボールを手にした緑間は、詰まらなさそうにドリブルを始める。 ダムダムと規則的な音が、耳を打つ。 黄瀬は彼に近付く。 「1on1ならやらんぞ」 「えー。良いじゃないスかあ!ねえ、一回だけだから。しよーよぉ!」 自分の取り柄は、切り替えの早さだと思っている。 だからあえて深く追及はせず、茶化してみせた。 「緑間っちとはしたことないからなあ」 「当たり前だ、ボールを扱う生業が違い過ぎる」 「でも、出来るでしょ?」 黒子のようなパス回しが生業であったならは、相手にはならないだろう。 だが緑間は違うし、何より彼はスリーだけの人間ではない。他のことも、一定レベルより遥かに出来る。 青峰に及ばず、とも。 そんな思考を読んだかのように、淡々とした口調で緑間は言った。 「俺を青峰の代わりにするのは止めろ。不愉快だ」 「っ、なぁんでそー…。緑間っちはぁ、」 そういうのは見破っても口にしないのがルールではないのか、と肩を竦めた。 緑間は気にした風もなく、ボールをドリブルし続けている。 「…一回だけなら」 「えっ」 「良いのだよ」 「ほんとっスか!」 まさかお許しが出るとは思わず、黄瀬は食い付く。 ああ、と緑間は頷いた。 「一回だけならば、青峰の代わりをしてやろう」 「…へ?」 「いくぞ。」 またもやどういう意味、と聞こうとして、緑間が動き出したから叶わない。 黄瀬を抜き去ろうという動作は早く、青峰と変わらないくらいだ。 止めるのがやっとだ。 「く、ちょっ、」 「どうした黄瀬。毎日青峰とやっているのだろう」 「だけど、こんな、」 きゅ、きゅ、とシューズが床に擦れる。 緑間は隙が全く無い。 ボールを奪えない。 チャンスは、あのシュートフォームに入る、僅かなタメの一瞬のみだ。 彼が、スリーポイントラインより中へ斬り込もうとしないからそう思った。緑間は、スリーで点を奪いに来る、そうに違いないと。 (くっそ、なんだ、早い) そう思った時だ。 ぶぉっ、と高速で耳元を何かが横切った。 (えっ) それがボールであると気が付いた時には、派手な音をたててゴールが決まっていた。たんたん…とボールが虚しく転が てゆく。 「なに…。」 呆然と呟くと、緑間はボールを拾いに歩き出した。 ゴールを決めたのは、彼が先程シュートしていたのとは反対側であった。 「緑間っち?いま、スリーじゃなかったッスよね…」 「ああ、そうだな。」 ボールを手にしながら、緑間は頷く。 「どうやって…?」 「どうやってと言われてもな…。投げただけだ」 「はぁ!?」 「だから、投げただけだ。力任せにボールを。」 こう、な。と投げるふりまでしている。 フォームも作らず、無造作にシュートした? あの緑間が? 青峰でも滅多矢鱈にそんなことはしない。 滅茶苦茶なプレーだ。 破天荒でまったく理に叶っていないのに、人を惹き付けるような。 「…あんた、って…」 「なんだ?幻滅したか」 緑間はいつもしないような、指の上でボールを回転させている。 それを眺めながら、 「緑間っちって、本当は、何でも出来るじゃないッスか!」 「それはお前もだろう」 「俺は違う、ただの模倣でしかないッス。でもあんたのそれは、元からだろ?」 「…さてな。」 「青峰っちのコピーとは、またちょい違ってた。青峰っちなら、バスケ大好きだし、長くボール触ってたいから、ダンクすると思うッスよ、あそこは。」 「そんな理由で、あいつはダンクをするのか?」 「単純スから。まあ俺も、だけどね。」 ボールを落とした緑間は、はぁと息を吐いた。 「くだらないな。」 「酷いッスね」 黄瀬はくすり、笑った。 それから散らばったボールを広い集めた緑間は、帰るぞと口にする。 「あれ、一緒に帰ちゃって、いいんスか?」 「何故駄目なのだよ?」 「だって、いっつも一人で帰りたがるじゃん。」 「それは…」 珍しく歯切れ悪く、緑間は視線を落とした。 だが瞳の奥は、愉快そうな色を浮かべていた。 「ねえ。」 呼び止める。 「なんで、緑間っちはバスケを始めたの?」 何でも出来る貴方が。 「……愉快そうだったから、なのだよ。」 それはバスケがか、メンバーがか、出来そうだったからかは、分からない。 ただ、緑間はにこりと綺麗に微笑んでみせた。 「黄瀬、お前もう知ってしまった。誰にも言うなよ」 こくこくと頷く。 「勿論、スよ。そんなのみんな知ったら、大ひんしゅく、ッス。」 「顰蹙などという言葉をお前が知っていたとは驚きだな。」 「まぁた馬鹿にしてー」 軽口を叩きながら、体育館を後にする。 入り口に、ボールがひとつだけ転がっていた。 「あ、仕舞い忘れ」 「中に入れておけ。明日片付ければ大丈夫だろう」 「うん」 黄瀬はボールを拾う。 何を思ったのか、緑間がそれをすっと奪った。 「どしたっスか?」 「何も。」 言った彼は、軽いモーションで振りかぶった。 ボールは真っ直ぐに飛んでいき、そのままゴールへと吸い込まれていった。 ガコォオン。 「…あんたねぇ…。こっから何メートルあると思ってんの、あそこまで…」 「内緒、だぞ?」 茶目っ気たっぷりに緑間ははにかんだ。 八重歯が見えたその笑いは幼くて無邪気で、とても愛らしかった。 僅か赤くなった頬を隠すように俯きながら、黄瀬は笑って頷いた。 「内緒ッスね。」 後日、赤司がその秘密を共有していると知り、何故だか落胆したのは黄瀬以外に知らないことである。 end |