← (2/2) →「ちょおこっちおいでや」
首を傾げた私を連れ、平子隊長は先の箱の山へと向かった。そして懐から細い筒状の物を取り出し、端の方を両手で持ちぐっと引っ張ってみせる。
きゅぽ、と小さな音がしたかと思えば筆先のような部位が現れ目を見張った。が、すぐさま「これの説明は後な」と言われてしまい、お預けとなった私は悶々としつつぐっと押し黙る。
そのままじっと見守っていると、平子隊長は白紙の一枚に院で教え込まれた護廷隊の組織表みたいなものを書き出した。
「十三隊てこんなんやろ? 俺はここ。ジブンはどこや?」
「ここ、です」
「せやな。ほんで一番関わりありそういうたら、ここあたりか?」
「そう、ですね。よくして頂いてる方がいらっしゃいます」
そう言って指し示されたのはいわゆる勘定方というか、隊の財政にまつわる役割も担っている席次だった。隊長の仰る通り、普段から私が報告等で直接言葉を交わす席官もその一人で、時折先輩たちと共に夕餉をご馳走になったりもする。
「ほな質問です。藍染惣右介の偽装死の際、ジブンどないに思いましたか」
「これからどうなるんだろうと、思いました……」
「ほんならそれがもし、そいつやったらどやった?」
「……っ」
途端に背筋がぞくっとした。仮定の話だというのに、言い知れない不快感と動揺で体の中がざわざわするような妙な感覚。気難しい一面もあるけれど、人好きのする笑顔、事件発覚以降の苦悩を滲ませた顔だとか、次々勝手に思い返される。
「ほなもういっこな。あいつが黒幕やてわかった時は、どないに思いましたか」
「いったい何が不満だったんだろうと……そしてやっぱり、これからどうなるんだろうと思いました」
あの日、私は隊舎周辺の警護に就いていた。当然ながら双極の丘で起きた、あの眼鏡をぐしゃっとやったという衝撃場面も目にしていない。天挺空羅による伝信が隊長・副隊長各位から席官へ、席官から私たち平隊士へと伝わった時には既に前隊長は姿を消した後だった。
とにかく不思議だった。下された後処理の指示をこなしながらも、胸に去来するのは「何故」という疑問だけ。
地位、強さ、人望、充分な給金、私室、暖かい寝床、申し分ない食事。天に立って何をどうしたい? 隊長ともなると、そんな大それた事をしてまで変えたい風景が見えたりするもの? その為の筋道は、他になかった?
「仇を討ったるーでも、裏切られたーでもない。隊長いう存在に対して、気持ち的な距離がえーらいあるやんな。そこんとこやろ、乖離しとるいうんは」
「……はい」
「それがあいつが作りよった五番隊いうこっちゃなぁ。蓋ぁ開けたら大半の平隊士には『藍染隊長』やなくて隊長やから尊敬対象やっただけ。親しみもへったくれもあらへん。まー目的が別んとこあってんから当然っちゃ当然やけど」
「……」
「ジブンかて、物書きの姿勢がようなっただけちゃうか?」
「はい……」
「ったく、あのアホ眼鏡。ほんーま無駄にお利口サンな隊にしくさりよって」
言いながら平子隊長は、うんざりしたような表情でがしがし頭を掻く。無駄にお利口さん……そうなのだろうか。これまでの流れを辿ると、何だか物凄く無関心且つ不忠な気がしてしまう。実際問題、隊としての体裁が整っただけで何だかんだ皆な安堵してしまっている。今日この話をするまで、私だってそうだった。
だけどそれは、それだけ風当たりの強い思いもしたから、とも言える。
確かに、若い数字の席官の方たちほど裏切られた思いは濃かったようだった。
その憤りを、臥せってしまった雛森副隊長の分まで頑張ろうと奮起に変えた矢先、謀反側と通じている者が残ってはいないか監査が入った。何せ首謀者を出した隊。言うまでもなく、藍染惣右介と接触の多かった順に長い拘束と詰問が待っていた。
私のような下っ端平隊士はというと、何か妙なことを頼まれたりしなかったかと尋ねられた程度だったが、それでも他隊の人たちから警戒と疑心を含んだ目を向けられたり。友人にすら「本当に何も気付いてなかったの?」と探りを入れられたことを思うと、個人的にはいい勉強になったかもしれない。
「……あの、でも」
「んあ、何や?」
「平子隊長が就任されてから、皆さん表情がやわらかくなったと思います。あ、いえ持ち上げるとか、決してそういうことではなく!」
「ハハ、ほーかそら嬉しいなぁ。ほなご褒美にジブンにこれやるわ」
ニカリと笑って渡されたのは先の不思議な文具。見ていて思ったが、とてつもなく便利そう。これひとつあれば買出し先での覚書き等も格段に楽になりそうだ。
正直凄くありがたい。でもこんな優れもの良いんだろうか、私なんかが頂いてしまって。隊長のお顔と交互に見つつおどおどしていたら、すう、とその目が細められた。
「ただーし!」
「は、はい!」
「ひとつ、俺に貰うたことは誰にも言わんこと!」
「はい!」
「ひとつ、使うんは極力急がなアカン時だけ!」
「はい!」
「おし、ええ子や!」
気圧されるままにびしっと背筋を伸ばしてはきはき返事を続けていたら、うっかり最後まではいと言ってしまいそうになり慌てて呑み込んだ。本当に分かってんのか? と言わんばかりの胡乱げな視線をひやひやしながら受け止める。
「あの、ちなみにこれは何というものなのでしょうか」
「あー筆ペンいうねん。昨晩、思ったよか早く飲みに駆り出されてなぁ。今日提出の書類が片付いてへんもんで、こっそり早朝出勤してちゃっとこれで仕上げたるつもりやってん。しゃーけど念のため墨摩った形跡も残しとこ思うてな。あ、これも内緒な。桃も知らんから」
「え、それではこれは必要なのでは?」
「あー大丈夫や、隊首室にようさん予備がある」
少しも悪びれないどころか得意気にふんぞり返る平子隊長。随分と秘密の多そうな方だと思わず笑ってしまう。先ほど戦慄させられた時の迫力など嘘のようだが、きっとどちらの顔も持ってらっしゃるのだろう。何だか不思議な隊長さんだ。
「それはまた……ちょっとずるいですね」
「オマエな、隊長サンの書きモンの量舐めたらアカンで。どえらいねんて、ほんま」
「ですが、それなら大っぴらに使えるようになった方が良いのでは?」
「アカン。それはアカンねん」
何故だろう? これだけ便利な代物、他の隊長さんたちとて重宝しそうだし、諸々仕事も捗りそうなものだけど。
「あんな、ちゃっちゃ終わったらそんだけ時間が余るやんか。そしたら不思議なもんでな、あれもこれも出来るてどんっどん忙しない感じなってまうもんやねんて。しんどいやろ? そんなん」
「なるほど……」
「それにこれを普及さしたとしてや。墨屋や筆屋のオッチャンはまだええで? しゃーけどそれなんかの職人サンらは食いっぱぐれてまうかもわからんやろ」
平子隊長が指差したのは私の帯に下がっている矢立て。そうか、確かにそうかもしれない。このつるつるした素材や墨汁の保存の問題はあれど、筆自体に蓋をする形状からして筒部分も筆屋さんだけで担えてしまえそう。そうしたらおのずと入れ物の必要はなくなってしまう。
目先の便利さに囚われず、それを取り入れることによる弊害だって考慮しないといけない。視野狭量。まだまだ未熟だ。
「すみません……浅慮な発言でした」
「分かればええねん。しゃあからこれはまだズルする時だけや。ええな、沙絵」
え、名前
――――驚きと笑いの衝動が同時にきた。何ゆえご存知で? というかそんな真面目な顔でズルって。だけどそれも、私が気に病まぬよう配慮して下さったのかも。
戸惑いつつわかりましたと笑みを漏らせば、すかさず「ジブン笑うとかわいいなぁ」とニヤニヤからかうように仰る。掴み所がなく、ゆるっとしてて。悪戯に調子を狂わされたりもするけれど、その実とても鋭く、芯の温かい方なのかもしれない。
「のーんびり変わってったらええねんて。嫌や言うても変わらなアカン時かてあんねやから」
そのひと言で、この一年が走馬灯のようによぎる。右往左往するしかないまま、色々なものが変わってしまった。果たしてそれらは一体どこに何をもたらしたのか。今の私には、本質のほの字も見えていないのかもしれない。
それでもとにかく、これからはこの方を信じてついていけばいい。そう心に確信した私は、授かったズルする道具をぎゅっと両手で握り締めた。
−END−
2014.5.10