← (2/3) →おーやってるやってる。なんて声も瞬時に後ろへ流れ行く速度で廷内にて全力追いかけっこ。人目を考えれば門外でやりたいところだが、私が最も得意とする立地で勝たねば意味がないとの市丸さんの言い分だ。
「もー、ちょっとは手ぇ抜いてえな」
「そんな失礼なことは出来ません」
そう言いつつ、気を抜くとすぐに背後に迫って来る少年。息ひとつ乱さず、私が見える確実な距離を保って笑顔で追われ続ける。何とも例えようのない緊迫感を覚えて毎回ひやひや。「かわいないガキや」と零す平子隊長の心持ちも分からなくない。
――その度「かわいいやん。ちっこくて」とへらり言いのける市丸さんだ。
「しっかし祝え祝え言わはるほどめでたい歳でもないんやないの? あの人」
「あの、間接攻撃痛いです」
「ふふっ、そか。沙絵ちゃんも大して変わらんのやもんな。なぁ、沙絵ちゃんは何あげるん?」
「……何を、あげたら良いんでしょう」
「んー何でもええんちゃう? 三十環の飴ちゃんかてあの人なら喜ばはる思うわ」
流石にそれはと言いかけるも「昔馴染みなんてそんなもんやん」と何処となく影のついた声色で重ねられ、何か複雑な感慨が肌にしみこんでくる。
誕生日に飴ひとつの間柄は薄っぺらいのか重たいのか。それでもあの人の今日が素敵な一日になればいいと思ってる。腐れ縁。特別な、ただの知り合い。この矛盾を内包した感じを何と表せば良いのか。
「……そうかもしれません。私も今までこれっていう何かをあげたことも、貰ったこともありませんから」
前を向いたまま漏れた私の独白めいた台詞は、背中で聞こえた「な」という短い同調でしっかりと届いたことを知る。市丸さんは、その年端にして私なんかよりずっとずっと物事を分かっているのかもしれない。
――そういうところは少し、平子隊長と似ている気もする。
「水沢七席!」
そんなことを思っていると先の四つ角から名前を呼ばれた。遠目に片手を上げている人の目元では午後の日差しがきらりと反射している。
それが誰かを認めた私は急停止、即座に腰を折る。背後では衣擦れの音ひとつ立てず市丸さんが止まっていた。
「すまない。平子隊長なんだが、背中が疲れただなんだと書類の進みが悪くてね。今しばらく体が空きそうにない」
「わかりました。わざわざすみません」
「いや。ついでに文具店へ行って猫背の矯正用に定規でも買って差し上げようかと思ってね。あの方も誕生日くらいさっと片付けてしまわれれば良いものを……あの集中力のなさは昔からかい?」
「えっ、ええとやる時はやるはず、ですが……」
鋭い目つきで眼鏡の真ん中を指でずり上げる藍染副隊長。何だか、教員に窘められる保護者みたいな気分になってくる。隊長に手を焼く副隊長。その隊長が手を焼く市丸さん
――か。ちらと横目で見れば助けを求めてると取られたのか、くいくいと袂を引っ張られた。
「ほなお茶しに行こ。ボク小腹減った」
「ギン、あまり水沢七席を困らせるんじゃないよ」
「はあい」
「あっ、し、失礼します……!」
間延びした返事をするが早いか、こちらの袖を掴んだままぐんぐん歩き出してしまう。己が子供という要素もめいっぱい活用。気を遣わせて申し訳なく思う反面、本当に、恐ろしく分別のある少年だと思う。彼もまたそう遠くない将来、今の私の目に映る平子隊長と似た背中をしているのかもしれない。
それにしても、現時点で特注褌に特製髪用栄養剤、干し柿五袋に猫背矯正定規……あとは、何が増えるんだろう。
「あら。隊長はんら何したはるんやろ」
昼八つ半という半端な頃合の為か、定食屋や商店などが軒を連ねる大通りも今は人もまばら。そんな中、一軒の店先にひときわ目を引く桃色羽織と袖なしの隊長羽織がふたつ。てててと先に駆け出してしまった市丸さんの後に、身を引き締め直して自分も続く。
「おやぁ? 市丸くんと沙絵ちゃんじゃない。こんにちは」
先に気付いた京楽隊長が、頭の笠に手を掛けにこやかに声をかけて下さる。お疲れさまですと腰を折った私に「まだまだ固えなぁ」と苦笑を零す愛川隊長。「真子の幼馴染みとは思えないよね」と麗しい笑みで続いたのは鳳橋隊長だ。
そんなやりとりもお構いなしに、隊長さんたちが眺めてらしたものを把握した市丸さんが呆れ返ったような声を放つ。
「何や、昼間っから三人仲良く酒の買出しなん」
「買出しは買出しだけど、真子にあげる酒を選びにね」
「そうそう、どうだいこれなんか。色男の平子隊長にぴったりだろう?」
そう言って京楽隊長の手に掲げられた酒瓶には『くどき上手』の文字。何やら凄い銘柄だ。そして反応しにくい。
そうかと思えば「いや春水さん、こっちも捨て難え」と愛川隊長が『洒脱野郎』という一本を差し出す。この酒屋は面白な銘柄が豊富なよう。
他にどんなのがあるんだろうと店頭に並ぶ品々を眺めていたら、突如にゅっと華奢な手が伸びてきた。吃驚して振り返ると、今日もすらりとしたおみ足を惜しげもなく晒した矢胴丸副隊長と、首に可愛らしい桃色の紗を巻いた久南副隊長のお姿が。
「あんたらどこ見とんの。これに決まっとるやろ」
「あ、でもでもーこっちの方がひよりん喜びそうだよ?」
そうして取られた『助平』と『はげあたま』。共に、ここにいる誰もが見て見ぬふりをしていた二本。けれど奥を物色しに行っていた市丸さんだけは戻るなり「それや!」と矢胴丸副隊長を全力支持。
「や、やだなぁ。霊圧消しちゃってどうしたんだい? リサちゃん」
「雨乾堂に行ったはずの誰かさん呼び戻すついでに白とおはぎ食べに来たんや」
「清々しいサボり宣言だな。白、オメーはちゃんと言ってきたのか?」
「ん? ウルセーどこへなりと行きやがれ! だってさー」
「……拳西、今日もゴネ負けたしたんだね」
毎度ながら色々と吃驚なほど和気藹々。けれど肩書き以前に気の合う仲間といった関係性は見てるだけでもいいものだ。振り返っている暇はないと分かりつつも、こういう場面を目にするたび私は少しだけ裏挺隊が恋しくなってしまう。
堅苦しいことが嫌いな平子隊長が好きそうな空気だな、なんて思いながら見守っていたら、唐突に「行くで、沙絵」と矢胴丸副隊長に振られ私ははたと目を見張った。
「私、ですか……?」
「さっき藍染に会うてあんたらが茶店に行くって聞いたんや。あたしらの行きつけに連れてったるから着いてき」
言うなり颯爽と歩き出してしまった背と、横の市丸さんとをおろおろ交互に見遣る。あの人らの行きつけやったら美味いんちゃうん? と彼は言うが、そういう問題でもない気がする。
「行っておいで。あそこのおはぎは絶品だよ?」
両腕を袖にくぐらせ優しく微笑んで下さる京楽隊長。それを受け、鳳橋隊長も「君たちはサボりではないんだしね」と茶目っけを帯びた声音で促して下さる。胸に宿る温もりを噛み締めながら、私は先ほど少しでも感傷を抱いた自分を心の中で叱咤した。
今日の私の仕事らしい仕事は午前のみ。平子隊長に稽古をつけて貰った後は、浦原隊長に貸して頂いた研究書で自習するつもりでいた。予定がずれた今、つまり私は市丸さんに付き合って貰ってここにいる。
死覇装を着る隊士として馴染む為。気晴らし。どこまでが誰の配慮かといえば、平子隊長と市丸さんの半々だろう。それに連鎖するように、行く先々でもこうして私は様々な恩恵に与っている。
「ありがとうございます。では、行って参ります」
早いとこパカーンと割り切れと言ったあの人は、その道筋をもしっかりと照らしてくれている。後は進むだけやろ。しゃーからその足でちゃっちゃと追って来い
――そう、言わんばかりに。