テンダーシャイン
「いやー、いつもスイマセン」
「とんでもありません」
「……なかなか抜けないみたいっスねぇ、それ」
はは、と苦笑混じりに頭上から言われハッとなる。またやってしまった。
隊首室の床にきっちりつけていた膝。すごすごとそれを持ち上げ、すみませんと小さく零せば「いえ、何も悪いことではないんスけどね」と気遣うように続けられる。柔らかな声色にますます苦い心地になった私は、知らず顔を渋めてしまう。
「それだけしっかり勤めを果たされてた証拠っス。畑は違っても同じ夜一サンの元にいた者同士、誇らしいっスよ」
「……ありがとうございます。でも、気を付けます」
そんなに気張らないで下さいよ、とにっこり微笑む浦原隊長の顔をちらと視界に挟みながら、染みついた習慣の厄介さを改めて痛感する。
まさかの推挙から十二番隊は七席となって早二ヶ月。
自分のいた二番隊が特殊な認識はあれど、それ以前に長の人となりでこうも隊の雰囲気が違うとは。当たり前だった跪いての報告も、現隊長・副隊長を始め一部の方々には畏まりすぎて映るらしい。
己の死覇装姿に挙動不審にこそならなくなったが、長く裏挺隊という組織に身を捧げてきた私の課題は今もって山積みだ。
技術開発局として生まれ変わって間もない十二番隊。名も知らぬ植物や、虚の残留霊圧があった場所の土など、先ほど隊長に手渡した材料らしきも相変わらず私には用途さっぱり。
――自分はここにいて良いのだろうかと、そう思う時も少なくないけれど。
「あ、そういやー今夜は唄酒場に集合らしいんスけど、沙絵サンもご一緒にどうっスか?」
「いえ、私は……」
「まぁ、五番隊以外は隊長・副隊長ばかりっスもんねぇ」
それでも、脚力と食料に鼻が効く以外に取り柄のない私を推してくれた五番隊長殿の面子を潰すわけにはいかない。幼い時分から苦楽を共にしてきたその人の「しゃんと胸張って追ってこい」との命に背く理由も、私にはない。
けれど最近、あの金色の光がどれだけ遠いところまで行ってしまったのか、その正しい距離を私は理解し始めている。伝令の用向きで周囲をうろちょろする視点で感じていたよりも、遥か高みにあの人はいた。
前進するしかない以上今さら悲観もないが、正直なところ時折宙を仰ぎたくはなる。こりゃ大変だ。一体、何年で追いつけるのやら、と――
「おー沙絵! 戻ってたんか」
「……っ」
「「ぷっ」」
ばん! と扉が開くなり見えたふたつ結びと副官章。反射的にまた膝を折りそうになるも辛うじて踏み止まる。両膝に手を当てた半端な中腰。チンピラ舎弟さながらな私の体勢に背後からは吹き出す声がふたつ。隊長と、もうひとつは阿近さんだろう。
「おっ、お疲れさまです」
「何やねん、そんなっさけないへっぴり腰は。せや、それよりちょおこれ見てみ。じゃーん!」
「……」
「……」
一瞬あきれ返った顔をした猿柿副隊長だったが、何やらご機嫌のようで、すぐさま手に持っていた白布を目の前でばっと広げて見せて下さった――のだが。
「……あの、ひよ里サン。なんスか、それは」
「決まっとるやろ。今晩ハゲ真子にやんねんて! どや、ツヤっツヤやろ。言うても祝い品やからな。奮発したったわー!」
や、確かにつやつやだけど……それは、ちょっと……どうだろうか?
高貴な光沢からして上等な絹製品なのだろう。だろうけど目前に掲げられたそれは姿形どこから見ても褌以外の何ものでもない。つやつやの白地、ど真ん中に「ハゲ」のニ文字が刺繍で入っている褌――である。
「し、刺繍の書体も(やたら)美しいですね」
「当たり前やん。藍染に書かした紙を刺繍屋に持ってってんやで」
これをやった時のアイツの顔が楽しみやなーと言ってガハハと笑う猿柿副隊長。本気の水準が違いすぎる。背筋を真っ直ぐ伸ばして一筆入魂しただろう藍染副隊長の姿を目に浮かべ、何とも言えない気分になる。
「ほんで? 沙絵のは何やねん」
「いや、あの……これから稽古なので、そのあと時間があったら何か探しに行ってみようかと。隊長も、何か準備してらっしゃるんですか?」
どきりと跳ねた心の内を悟られぬようさらりと答えて横の隊長に振る。すると「ああ、ボクはこれっスよん」と言って、割烹着風の白衣の脇から掌大の小瓶を取り出された。中には乳白色の液体が入っている。
「それは何ですか……?」
「ふふーん、髪用の栄養補給剤っス。平子サンの綺麗な髪を保つ為の成分をたーっぷり配合して、さっき作ってみました」
さっき! いや、技局長の腕を疑ってなどいけない。……いけない。
「何やそれ。全然おもんないやんけ!」
「いやぁ、そっちの担当はひよ里サンたちに任せるっスよ〜」
猿柿副隊長のダメ出しを苦笑いでかわす隊長を眺めつつ、私の意識は今朝から懐に忍ばせておいた代物に向いていた。
――これを買ってから、彼の誕生日は何度すぎてしまったことだろう。
余裕を持って十一番隊舎の道場へ着いた私。木刀を脇に置き、入り口が見える位置に正座すること四半刻。約束の刻限を過ぎても稽古をつけてくれるはずの平子隊長は一向に現れる気配がない。けれどがらんとした道場を見るに、いつも通り話は通してあるようだ。
私が彼に個人的に稽古をつけて貰うことは、表向きは浦原隊長きっての頼みということになっている。「俺とオマエが昔馴染みっちゅーことはあんまし大っぴらにせんとけ」という言葉の意味も、彼を慕う人がいかに多いかという現実を目の当たりにして分かるようになった。
しかし私自身、廷内で堂々顔を合わせる状況になったからといって、用件もなく話しかけるようなつもりは毛頭ない。いつからか私が遠くへ行かないということと、直接的に親しくするということは同一ではなくなった。
幼馴染み、とは何なのだろう。
ふーと息を吐いた私は、余計な思考を断ち切るべく素振りでもしてようと立ち上がる。そうして無心で木刀を振るい続け、更に四半刻ほど過ぎた頃だろうか。
「アカン。まぁた剣先が下がってしもとるで、沙絵ちゃん」
「っ、あ、市丸さん」
いつの間にいらしてたんだろう。微塵も霊圧を感じさせず入り口に小さな人影が佇んでいた。掛けられた声に私が応えると、たちどころに平時の薄笑いが消え失せ、むっつりとした面白くなさそうな表情になる。
「はぁ、そん呼び方やめて言うたやあん」
「いや、それは無理ですって……」
「あんな、ボクまだ席次決まってへんの。せやから沙絵ちゃんのがお偉いサン。わかる?」
「ですが間もなく市丸さんは私より上の席次になるはずです。今の内から慣れて頂かないと」
「おもんない。沙絵ちゃん、変なとこ固いんやもん。剣術下手っぴなくせに」
脈絡のない悪態を吐いてぷいっとそっぽを向いてしまう彼は、霊術院をたった一年で卒業したという天才であると同時に、平子隊長ですら手を焼くやんちゃ少年らしい。先日、惜しくも殉職された元五番隊三席の次候補とも言われている。
「もっと腕力つけないといけませんね、私」
「あ。うちとこの隊長はんな、藍染副隊長に捕まっとってもう暫く机と仲良うせなアカンのやて。なぁ、それまでまた追っかけっこしよ? 基礎体力も大事やで」
「いいですけど……申し訳ありませんが私、また勝っちゃいますよ?」
「わあ、言うやん。ほなら沙絵ちゃん捕まえたら干し柿買うたってくれる?」
「え、干し柿ならいつも常備されてるんじゃなかったですか?」
「せやけど今日、隊長はん誕生日やろ? 何やボクみたいな幼気な子供にまで何か寄越せやーてうるさくせびりはるから、勢いでにっがーいお茶と一緒に五袋ものしつけてきてしもてん」
せびる方も方だけど干し柿五袋……それも、どうなんだろうか……。
本日最低でも集まるだろう三つの品を一緒くたに思い浮かべ、うっかり私は吹き出しそうになる。しかも内ひとつはあの藍染副隊長との合作だ。
それでも、私がものの一、二ヶ月足らずで市丸さんや猿柿副隊長たちと自然に言葉を交わせるのも、ひとえに平子隊長の人望あってのこと。青葉が美しい今日、彼のことを考えている人はそこかしこにいる。
けれど当の市丸さんはどうも本気で惜しいことしたと思っているようで、あの大人げの無さは昔からなん? とその可愛らしい顔に不似合いな疲れた溜め息を吐く。
――そんな彼にもまた、幼馴染みがいるのだとか。
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